12月まではJogNoteをアメブロにコピペしていたのですがそれも面倒になりました。

つくづくブロガーには向いていないと思いましたよ。

定期的に更新している方を尊敬しますよ。ほんと。

Twitterでぼやいたり、JogNoteでちょこっと書き込んだりするのが症にあっているみたい。

 

 

19-20シーズンもハーフとかフルで自己ベストに挑戦する環境ではありません。

要は体重と基礎体力の低下が問題。住環境、仕事が落ち着かないとやはりダメですね。

中期戦で基礎体力を整えたいと思います。

 

 

 

「ヘラヘラ笑いながら10km55分で走れること」

 

 

サブ4を目指す基準、そして練習のスタートラインになるんですよね。

これが出来ないとサブ4を目指すとは口が裂けても言えないし、宣言もしません。

サブ4をを目指すにはサブ4の練習をしていてはダメ。これが教訓。

仕事に影響を与えるほど練習で追い込まないし、怪我は避けたい。

 

 

 

ごちゃごちゃ書きましたが、今年の秋までに戻せるようにじっくり基礎固めをしたいものです。

で、豚野郎は1月何をしていたかと言うと・・・

 

 

鉛筆ほんとのJogNoteのコピペ。

 

 

 どーーーーん!

 

 

こんなもんです。全然、走ってないし・・・滝汗

自己ベストを目指していたときは250km走ってたし。

 

自転車傾斜15%のトレミとHIITのエアロバイクが軸。

ちなみにHIITは20秒全開で漕いで45秒ペースダウン、これを7set。

最後は大腿四頭筋がパンパンになります。タバタみたいなもんですかね。

なんでこればかりするかと書くと脂肪燃焼のため。それだけ。

マラソンの練習とは全く関係ありません。

 

ダンベルこれにプラスして筋トレ。

パワーラックに入って、バーベルスクワットとデッドリフト。後はスクワットプレス。

気が向いたらプランクで腹筋をいじめまくります。

夏に向けて地味にやるしかないです。

これは体幹を鍛える為で走る時に軸がぶれないはず。

 

 

 

ランニング来週末は初参戦のKIX泉州国際マラソンです。これで今シーズンはおしまい。

5時間制限のお遊び要素がない硬派な大会です。エイドもバナナ以外はなし。

最後にモンスターブリッジが4つもお待ち頂いているようで・・・

そのまま突き抜けてみさき公園をゴールにすればいいじゃんとボヤいております。

 

30回近くフルマラソンを走っていると体調、体重でタイムが予想出来るようになりました。

多分、4時間50分でしょう。最後尾スタート、トイレ、暑さ、フィッシングクラブへの入会。

ベストよりも50分遅いタイム。これが現実。

 

 

 

今日は犀川河川敷へ。

天気が良かったのに豚が走ろうとすると・・・

 

 

一気に曇りだし、雪が舞い、眼鏡に雪が付いて、視界不良。

泉州国際完走への視界も不良になりそうでございます・・・・

 

 

おっと、ネガティブなコメントは止めましょう笑い泣き

 

 

先週は、出張Weekで仕事、移動三昧。

これで少しは落ち着けばいいのですがね。

毎日、タイムリーに更新しているブロガーを尊敬します。

私にはTwitterでボヤくのが症にあっているみたいですね。

 

 

前回の続き。阪神淡路大震災の記憶。

 

震災発生から初めての週末。

交通網は寸断、鎮火しない火災、後手後手に回る自治体にイライラしていました。

宝塚の親戚が気になって現地に向かおうを思い立ち被災地に入る準備を進めていました。

確かFMで呼びかけていたと記憶しているのですが不足している物資を直接、避難所に持っていこうと

呼びかけていました。

大阪から歩いて神戸に大勢のひとが向かって行きました。

 

当時、私はバイク乗り。しかも、モトクロスに乗っていたので機動力は万全。

荷物を背負って宝塚に向かいました。

高速も使えない、幹線道路は渋滞と路面のひび割れでなかなか進まない。

しかし、モトクロスだったので問題なし。警察も通してくれる。

 

直接、宝塚に向かえばいいものの被害が大きい三宮に向かえないかと国道43号線を西に進みました。

尼崎から西宮、そして芦屋。どんどん景色が変わってきます。色がないんです。

気分の問題かもしれませんがグレー一色。

路面状況もどんどんひどくなるバイクとは言え進むのが困難になってきました。

そして阪神高速神戸線の倒壊現場に到着しました。目の辺りにしてしばし呆然。先に動けなくなりました。

恐怖心が増幅し、芦屋川手前で考え込んでしまいました。

 

本来の目的である宝塚に向かって進路変更。多分、裏道、171号線を駆使して移動。

この移動ルートは後から分かったのですが活断層でした。

当然のことながら被害もかなりのもの。何も出来ない自分が情けなくなったものでした。

 

なんとか親戚のいる宝塚に到着。無事を確認。

時間はかかったものの帰路につきました。

 

自宅の近くには八尾空港があったのですがヘリコプターの離発着が相次ぎました。

自衛隊がピストンで被災地間を往復。大阪側の支援拠点になっていました。

大阪からは支援物資、被災地からは悲しいの話ですがご遺体を積載して戻ってきたのです。

暫くはそのような状況が続きました。空を見上げるたびに悲しい気持ちになったものでした。

 

暫く仕事では医療物資の輸送と調整、個人では募金などで復興支援。

2003年には当時、先に進めなかった阪急芦屋川駅付近に住むことになり8年を過ごしました。

 

今となっては過去の記憶で地震などの自然災害に対する備えは希薄になっていました。

25年の節目を期に再度、見直したいと思います。それが亡くなった方への最低限の報いだと思います。

 

ちょっとランニングとは関係のない内容になりましたが阪神淡路大震災の話をクローズします。

 

 

 

 

大阪で地震の影響があったのは豊中市〜吹田市、茨木市から高槻市にかけて。

活断層に沿ってのライン。

それより以南は影響は少なく通常の生活が出来ていたはず。

 

震災発生後の1週間は、黙々と被災地に向けて医薬品を供給していました。

通常、1時間半もあれば大阪から神戸市に移動出来るのに半日経っても到着出来ませんでした。

記憶が正しければ神戸徳洲会病院が拠点のひとつ

になっていました。

 

当時の山手幹線は全線開通前、国道43号線は阪神高速倒壊で通行止め、国道2号と生活道路が阪神間をつなぐ少ない経路

だったはず。

鉄道は悲惨そのもの阪神本線、神戸線、JR神戸線は壊滅的。

阪急伊丹駅やJR神戸線の六甲道の駅舎が圧壊、阪神は石屋川の車両基地から電車が落ちているなど報道を見て絶望感になりました。

 

長田、三宮、宝塚には知り合いがいるが連絡が取れない。すぐにでも現地に行きたいが仕事で行けず。

考えて見れば行こうにも交通手段がない。そもそも行っても何をしていいか分からない。

電話なども不通、現地の正確な情報が入ってきませんでした。

自治体、警察、消防、自衛隊も指揮系統が混乱のため機能せず、本来の役割を果たせずにいました。

 

しかし、ラジオとネットがこの状況を打破することになります。

ボランティア活動が国内で動き出すきっかけになりました。

 

大学の時はコンピューターメーカーでバイトをしていた関係で個人的にネット環境を整えていました。

インターネットが本格復旧する前に存在していたパソコン通信、ニフティサーブの会員だったのです。

電話はダメだけどパソコン通信回線は大丈夫だったので情報を収集することが出来ました。

 

ラジオでは被災地に向けて食料など物資を提供しようとする動きが出始めました。

自治体が動けないなら民間、ボランティアでなんとかしようとしたのです。

みんなで食料、水などを持ち寄って大阪から徒歩で神戸に入る動きが活発化。

 

 

そして震災後、最初の休みを迎えることになります。

 

 

 

1995年1月17日は3連休明け。

連休は何をしていたか忘れましたが、17日は出勤だったので早めに寝た記憶があります。

 

17日早朝の5時46分。大阪にいた私はベットが真下に落ちる感覚で目が冷めました。

実際に縦揺れでベットから床に落ちていました。

瞬時に地震だと直感、家中の電気、ガス、出入り口のチェック。考えてみれば冷静でした。

 

外に出ると近所の方も家から出て様子を見ていました。

近くの市道では水道管が破裂して水が溢れかえっていました。

 

家に入りテレビをチェック、もちろん地震発生の報が流れていましたがなんかおかしい。

神戸方面の震度が出ない。空欄のまま。

いつまでもテレビを見ていても仕方ないので早めに出勤を決断。

当時の勤務地である富田林市へ車で移動。医療用医薬品販売会社に勤めていました。

道中は多少混乱はあったけど無事に会社に到着。

 

しかし、出勤してくる社員は半数以下。

集まったみんなでテレビを見ていたら衝撃的な映像が飛び込んで来ました。

阪神高速神戸線の倒壊の映像でした。

何が起きているか理解不能、火災も発生している。

これは大変なことになったと仕事を通常通りにするか打ち合わせをしました。

必要な医薬品はあるが輸送が出来ないことがわかりしばらく混乱。

 

道路は寸断、鉄道もダメ。動きようがありません。

緊急車両である救急車などを使い危機を乗り切りました。

 

18日以降の話は次回に。

 

あれから25年経っても生きているのは偶然の積み重ね。

記憶を風化させない為にも震災前後の記録を残しておきたいと思います。

 

 

 

 

 

JogNote難民申請中の豚でございます。

すっかり年も明けて通常モード。

今年は移動はなさそうなのでひと安心。引っ越しはパワーを使うんで落ち着かないですよね。

 

年始2日は恒例の箱根駅伝5区応援ランに連れて行ってもらいました。

考えてみれば10年前の年越しは海の中。それが数年続いていました。

23時50分くらいに器材を背負って暗い冷たい海のへダイビング。

年明けは海中と言う変態なことをしてましたね。

2009年紀伊大島の大晦日。ドライスーツ着込んで極寒の海へ向かう。アホです。

海から上がったらこのまま湯船に一直線。

 

最近は宗谷岬でテントを張って迎える猛者もいるようですね。

いずれはバイクを復活させてテント積み込んで北を目指したいものです。

 

鉛筆JogNoteのコピペ

ランニング15.45km 2:06:44

箱根湯本-国道1号線最高地点-芦之湯下

ランニング12.15km 1:09:17

芦ノ湯下-箱根湯本

 

元旦の夕方は時間があったので神田明神へ。人が多すぎるから参拝中止。

秋葉にこんな坂があるとは初めてしりました。

 

年末年始は体を動かそう 7日目

 

集合時間前にさくっと小田原城へ。

前に来た時にいたニャンズ猫は1匹もいない。どこいった?

 

さぁ、今年も行ってきました。 
箱根駅伝5区応援ラン。 
私よりも速いランナーだらけですがそれぞれのペースで国道1号線最高地点を目指す。 
その後は下って適当なポイントで応援するのがパターン。 

函嶺洞門は有名な中継ポイント

 


今年は台風19号の影響で箱根登山鉄道が不通。

 

バスかマイカーしか移動手段はないなか応援に影響が出るか気になりましたが熱心なファンは健在。 
思い思いのポイントで応援、各大学のOB、学生が定位置でスタンバイ。とってもいい雰囲気でしたね。 
国道1号線の最高地点はチャリダーの聖地になりつつなるのか集結していました。

 

芦之湯にある拓大の応援ポイント。

チャリダー、RUNNERの憩いの場でもありますね。

 

で、豚野郎にとっては5区は修行の路。何度か走ったとは言え休み休みが限界。

下り6区は別大女子、サブ4目前女子と一緒でしたがペースが早過ぎる。あちらは余裕だか豚はオーバーヒート。ヘアピン手前あたりで華麗にちぎられました。 
明日のぜんざいマラソンはやばいなと思いつつなんとか箱根湯本駅に帰還。

毎度毎度の箱根湯寮で打ち上がって今年もおしまい。 


原監督の激励、育英大学の駅伝監督の叱咤激励が記憶に残った箱根駅伝でした。 
来年も行きたいな。