大阪で地震の影響があったのは豊中市〜吹田市、茨木市から高槻市にかけて。
活断層に沿ってのライン。
それより以南は影響は少なく通常の生活が出来ていたはず。
震災発生後の1週間は、黙々と被災地に向けて医薬品を供給していました。
通常、1時間半もあれば大阪から神戸市に移動出来るのに半日経っても到着出来ませんでした。
記憶が正しければ神戸徳洲会病院が拠点のひとつ
になっていました。
当時の山手幹線は全線開通前、国道43号線は阪神高速倒壊で通行止め、国道2号と生活道路が阪神間をつなぐ少ない経路
だったはず。
鉄道は悲惨そのもの阪神本線、神戸線、JR神戸線は壊滅的。
阪急伊丹駅やJR神戸線の六甲道の駅舎が圧壊、阪神は石屋川の車両基地から電車が落ちているなど報道を見て絶望感になりました。
長田、三宮、宝塚には知り合いがいるが連絡が取れない。すぐにでも現地に行きたいが仕事で行けず。
考えて見れば行こうにも交通手段がない。そもそも行っても何をしていいか分からない。
電話なども不通、現地の正確な情報が入ってきませんでした。
自治体、警察、消防、自衛隊も指揮系統が混乱のため機能せず、本来の役割を果たせずにいました。
しかし、ラジオとネットがこの状況を打破することになります。
ボランティア活動が国内で動き出すきっかけになりました。
大学の時はコンピューターメーカーでバイトをしていた関係で個人的にネット環境を整えていました。
インターネットが本格復旧する前に存在していたパソコン通信、ニフティサーブの会員だったのです。
電話はダメだけどパソコン通信回線は大丈夫だったので情報を収集することが出来ました。
ラジオでは被災地に向けて食料など物資を提供しようとする動きが出始めました。
自治体が動けないなら民間、ボランティアでなんとかしようとしたのです。
みんなで食料、水などを持ち寄って大阪から徒歩で神戸に入る動きが活発化。
そして震災後、最初の休みを迎えることになります。