少なくとも15年前以上昔に移住した人たちなら、一度は言われたことがあるんじゃないかと思うけど。
永住権が簡単に取れた時代に移住出来てラッキーですよね。。。
みたいな。。。
まぁ確かに、永住権も含めビザを取るのは今よりハードル低かったよ。
でもワーホリは最低$7,000(だったかな?)の残高証明が必要だったし、同じ雇用主で働けるのは3か月までっていうのは、今より厳しい。
けど、ニュージーランドで生活するということを総合的に考えたら、ビザだけの問題じゃないからね。
例えば、ニュージーランドで生活するために必要な情報、政府機関、IRD(税務署)、警察、裁判所、病院、学校、市役所etc.は多言語のパンフレットを発行していたり、無料電話通訳を手配してくれたり。
英語ができなくても問い合わせができる所は沢山ある。
私の頃はそんなの皆無。
近所のかかりつけ医者に登録するのに、辞書とノート持って行って筆談したわよ(笑)
運転免許だって、今は日本の免許を2年以上持っている人は学科も実地も免除。
私の頃は、学科も実地も勿論あって、学科には「Oral Questions=口頭質問」もありました。
口頭質問はマンツーマンで、試験官がランダムに選んだ質問に答える。
5問中2つ間違ったら不合格。
英語の質問を聞いて英語で答えるので、果たして今の人たちが口頭質問を受けたら合格率はどうなんでしょう?(笑)
今は学科だって、英語だけじゃなくて中国語や韓国語、アラビア語とかあるんでしょ?
仕事探しも、今みたいにCVをメールで送って。。。ではない。
インターネットなんて普及してなかったから。
新聞を買って、求人をチェックして電話を掛ける。
いたってシンプル。
だけど、声を聴いて「英語の苦手な外国人」ってすぐにバレるから、結構大変だったよ。
さて。。。
今でも同じような給与体系の所があるのかは不明だけど。
私がニュージーランドで初めて就いた仕事は、お土産物やホテルの石鹸を作る工場。
色んな種類の仕事があって、毎日同じことをやらなくていいので結構楽しかった。
勤務時間は朝7時半から夕方4時まで。
午前中と午後に10分のティーブレイクと、30分の昼休み。
車で通勤していたけど、当時は朝7時半始まりは渋滞もなくスイスイで、私は遅く始まって暗くなってから帰るより、早く初めて早く上がりたいタイプなので、出勤時間は苦にならなかった。
それどころか、職場近くのプールで仕事前にひと泳ぎしてから出勤したり。
元気だったなぁ~、若かったし(笑)
その工場の工員たちは組合に所属していて、年に何度か組合ミーティングがあって、その時間は仕事を休んで会議に参加しても給与が出る。
組合はその工場だけのものではなく、「業界」で入る組合なので全国規模でパワーのある組合でした。
なので、必ず昇給もあった。
工場は夜中まで稼働しているんだけど、基本的に残業はなし。
昼勤と夜勤を入れていたから、昼勤が終わる頃には夜勤の人たちがやってくる。
夜勤は主に、機械のメンテ、機械に残った石鹸を取り除く、翌日のオーダーとデスパッチ準備、失敗品や石鹸くずの分別と廃棄、といった力仕事が多かったので、大きなサモアやトンガの男性でした。
昼勤は機械の調整や修理をするメカニックと、石鹸を調合するケミスト以外は全て女性で、石鹸を切る、型抜き、包む、箱詰めする、ラベル貼りといった業務。
時に大量発注が来たりすると、マネージャーが週末出勤希望者を募ります。
私は独り身だし、お金に困っている状況でもなかったので、よほど人手が足りないときだけ出勤してましたが、週末出勤は人気ありましたよ。
なにせ、ダブルタイムといって、時給が二倍なの!
それをズルく悪用して、週末に出勤して月曜日に「体調不良で欠勤」する人が出てきてね(笑)
そういう人は、ブラックリストに載ってマネージャーに却下されていたけど!!
23年間ニュージーランドに住んできて、いろいろ比較できる体験はしてきたと思う。
勿論、移住40年とか超ベテランからすれば青いんだろうけど(笑)
いつの時代にも今より良かった、今の方が良いな、という事はあるのですよ。
ビザが難しくなったって言っても、今でもサクッと取る人は居るんだしさ。
条件が変わってもジタバタしないくらい揃ってる人たちは、ビザアドバイザーや弁護士も使わないしね。
ブログランキングに参加しています。ポチッとしてくれると嬉しいです♥♥
にほんブログ村