フィレンツェに行く予定ができ、こんなタイトルになってしまった。
今期のドラマで「さよならマエストロ」を観ている。
初回から私の思い出の曲が演奏されて、高校生の頃を思い出した。
ヴェートーベンの「運命」第四楽章。
先輩の抜けた穴を埋める為に担当したティンパニが、ゾクゾクする程楽しかった。
私には音楽の才がない。しかも緊張症だ。集団の中でそっと目立たない音を出しているべき人間だ。
にも関わらず、なぜそんな挑戦ができたのか。
このドラマの主人公、マエストロと同じだ。
音楽の先生が音楽を愛していて、その世界に何かを感じている人々に寛容だったからだ。
ピアノの先生もそうだった。
先生は「人生を通して音楽やピアノが好きでいてくれたら良い」という人だった。
長い曲になると弾きながら居眠りしてしまう事すらあったが、一度も怒られた事はなかった。
一方で、家での教育は熱血だった。
様々な事情で、そうせざるを得なかったのだ。
子供時代、何を成し遂げても褒められた記憶はない。
褒めるべき点ではなく、直すべき点がある。そんな教育だった。
間違った事をすれば全力で怒られたし、迷惑を掛けても怒られた。
決して伸び伸び幸せに過ごした子供時代ではなかった。
(しかしそこにあった親としての不安や恐れを理解できる年齢になり、早くから悪しきを潰し良きを育てる為に「心を鬼にして」頑張ってくれた子育てには感謝しかない。強いプレッシャーから開放されて本来の寛容さを取り戻せた老親に幸あれ!)
音楽は、そんな風に抑圧された私の心を癒したり鼓舞したり、別世界に連れ去ったりしてくれた。
その扉を次々に開いてくれたのが、寛容な先生達だった。
実は1人だけ凶暴な音楽教師がいたのだが、彼ですら偉大な音楽の前では恍惚とした表情を浮かべ、私にミュージカルの面白さを教えてくれた。
寛容と熱血のあいだで、常に流れていた音楽。
今も電子ピアノで時々音楽を奏でている。指だけで弾いて関節を傷めるし、鍵盤を押すまでどの音が出てくるか分からないから当然アレンジもできない。致命的な才能のなさだが、ピアノは私の人生に欠かせない。
ピアノは私の感情を受け止め、私の代わりに感情を放ち、落ち着かせてくれるパートナーなのだ。
ところで、イタリア語で "piano, piano" とは「ゆっくり、ゆっくり」を意味するという。
期間限定の駐在生活というのは、とかく焦るものだ。できない自分を責める事も多い。
だけど結果は急ぐものではない。
ゆっくり自分自身に向き合い、小さな負荷を積み重ねてゆっくり成長していけばいい。
ゆっくり、ゆっくり。
私はこれから先も、音楽に救われ、音楽から沢山のことを教えてもらうだろう。