おはようございます。 今日は快晴。 風が強いですね。
皆様はお元気ですか。 私は、三日ばしかの影響か、指先などの皮がむけてきましたよ。
長いトンネルを抜け出す時というのは、
苦しみの中(期間)にその芽(発見)があるといえるかもしれない。
今元気な人は、もうすでに苦しみの期間を通り越した人であるとも言える。
今苦しみの真っ最中の人は、次にトンネルを抜け出る人かもしれない。
今バカをやって、人にひどい事をする人は、
苦しみのトンネルの存在意義、その先の光りの世界を、どちらも否定する
良い自分になれるかもしれない事を否定する
短気な人かもしれないのです。
どんな事でも、短期間での生成発展はない、と言う事を知らない人なのです。
たとえ、事業に着手後、すぐに上向き増収を得たいと思っていても
すべての条件が整わなければ、そんなにうまくいくはずはない事も、想像しないのです。
想像しないという事は、良い事のみに気を取られて、
危険な事でも、まあしょうがないかと言って、受け入れてしまいがちになる人です。
危険はつねに転がっているのに、舗装道路ばかりが続くものだと、信じている。
(サブプライムローンのように)
本当に人間的によくなれる可能性のある人は、先に苦しい事が多いものです。
(悟りの山には舗装道路はないです)
(実質の暴行行為ではないのですが) たたかれ、けられ、つぶされ、のけ者にされ、
それでも生き残る人を、神は(天使として)お使いになりたいのです。
訓練の行き届いた、明るく美しい人を、神はお使いになりたいのです。
今はやりの、めざましい若手女性男性歌手たちに多く見られるような
人を悪く言ったり、良く言ったり、
その場その場でウケる事のみを考えて、ファンの賞賛を引っ張りだすようなやり方は、
(たとえ死ぬほど良い匂いでも) 真実にはほど遠いのです。
真実は喧騒(けんそう)の中には無いからです。
一瞬にでも静かな時にやってくるものなのです。 (悟りの山頂が静かなように)
大事典の中に、後漢書(ごかんじょ)にこういう言葉があるという。
「衡行則中絶」(こうこうそくちゅうぜつ)
衡行とは思いのままに行くこと。それはすなわち、中程で途絶えやすいものだ。と。
それは、よく考えて生きなければ、わがままではいけない(中絶する)ということか、と思いました。
衡(こう)とは、牛の角木(つのぎ)。牛の角に渡す横木で、牛が自由に行ってしまわないように
縄をかける木の事。
牛にも人間にも、平衡感覚が必要であるという事なのでしょうか。
平衡感覚というのは、何を示しているかというと、
人はいくら祈っても、食べていかなければ、死ぬと言う事です。
人はいくら大僧正になっても、弟子に粥のいっぱいも口に入れてやれないのは、
赤ん坊を死なす母親のように、切なく、不十分だと言う事です。
どんなに良い人でも、食べなければ、明日のノーベル賞学者は、生まれないからです。
ご先祖様が食べて生きてくれたがゆえに、今私達はここにこうして生きているのです。
だとすれば、経済活動を忌み嫌うのは、神の本意ではないということです。
国も一国、人ひとりも一国一城の主というように、一国とすれば、
「一国の経済活動の基礎となる産業」を、「基幹産業」というのだそうですが、(集国p376)
「基 幹 産 業」と書いて、48画。 財運の 8 がついてくる。11+13=24最大財運数。
11 13 11 13
いずれもお金が必要だと、いっているのです。
あなたの基幹産業は何か、という事も、問われているのですね。
(左手の) (右手の)
balance + balance = 38 ここにも財運の 8 がついてくる。
19 19
まるで、ウェイターさんが、銀盆を取り落とせば、大切な飲み物がこぼれ
お金にならないように。
いつもお盆を落とすウェイターさんは、クビになるように。
この世にはやらなければならない大切な事がある、と、いうようにですね。
人は長らく、生きるがためにどうすればいいかを考えたがゆえに、
政教分離をして、バランスを重んじてきたともいえるのです。
on balance (オン バランス : すべてを考慮して )は、 叡智でした。
4 19 = 23 非凡なる叡智の 23 が、ついてくるのでした。
叡智の中には、「食べていける」 も、入っていたという事です。
人間は、生きるために、多くの言葉を、残したとも、いえるのですね。
いつまでも、一宗教にとらわれて、爆破テロを繰り返すという事は、
わがまま以外の何物も、含まれていない、という事ですね。
熟考、熟考。
まず、あなたの足元を、しっかりと固める事ですね。
足元が、精神でもいい。 希望でもいい。
でも、盗んではいけない。
ですから、お坊さん達は托鉢(たくはつ)をするのです。
命を生きながらえるためです。
生きながらえて、悟りに到達するためです。
食べなければ、餓死寸前になって、スジャータにミルクを恵んでもらった仏陀のようになる。
仏陀はその空しさを悟り、ミルクを美味しくいただいたのでした。
人間には、誰でも、出来ない事と、できる事が、あるのです。
幽霊が見えるといっても、この世は幽霊でさわがしくない。
生き馬の目を抜く人間の方が、よほど恐ろしいといえる。
熟考して、あなたを活かせる道を、さぐりましょう。
H21.3.12 (木) pm1:31 記 小濱白光 依美澄卑親呼
追伸 コメントをありがとうございました。
すべての人というのは、今年は東傾向の人、西傾向の人すべてが、
反対の方向に出ていて、全員が凶事を経験するかも知れないからです。
これは、全体を含んだ回転する運勢なので、すべての国なのです。
「もし、そうだとすれば、誰一人として、報われないですよね」と、言う事でしたが、
そうです。とも、言えるし、
そうではない。 それは、白か黒かと問うように、短絡的すぎる、と、答える事もできる。
これからもそうですが、あなたは短絡的であってはならない。
人は千差万別で、一辺倒ではない。
そして、考え続けるのも人間ですから、結果はおのずと違ってくるのです。
まして、「その中にある微かな光を私は見たい」というが、
あなた自身はもう、光を見ている。
誰のための心配をしているのか。
「無理な願いなのでしょうか」というが、無理な願いなど本来はない。
どんな事も願っていいのです。(悪は駄目ですが)
胸がやきつくように、どんな事も願っていいが、人によっては叶わない事もある。
また、今すぐ叶えられるとは限らない。
しかし、あなたにとって必要な願いなら、きっと聞き届けられる。
あなたこそ、希望を忘れてはけない。
3年後、5年後、10年後、20年後叶ったときに、「ああうれしい」と、いうためにです。
「光が見たい」というが、あなたの見たい光はなんなのでしょうか。
具体性がないから、見えていても、見えないのではないか。
他人のようになりたいという光か。
人は他人にはなれないように出来ている。
ひとつひとつ検証する勇気を、持たなければいけない。
検証すれば、あなたは確実に進んでいると、思うのですが。
漠然に光というから、遠くにあるように見えるのです。
光は無いかのように、見えるのです。
「光が見たい、光が見たい」 と書いて、24+24=48 「基幹産業」と同画。
まずは、足固めをしなさい、と、あなたの口がいっているように、
私には思えるのですが。
そして、絵に描いたような100%を願ってはいけない。傲慢(ごうまん)である。
それよりも、
謙遜を胸に、力強さと、誠実、乗り越える勇気さえあれば、
凶運は凶運で無くなる。
これが分れば、あなたこそがもう光です。
人に見られて困るような振る舞いは、しない事です。
あなたが見たい光は、大丈夫。
多くの天使のような人々が、あなたの目の前に、今年を展開してくれますよ。
人を信じ、自分を信じることです。