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ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

おはようございます。 人は病気をすると、弱いものだと実感しますね。


人徳を磨く(みがく)とは、こういう時に試される問題かもしれません。


一途(いちず)に立っていた心が、試されるのです。


いくら明るくあろうとしても、明るくなれない心情の時、人はどうするのでしょうか。



以前にもお話ししたように、あなたのベルトの位置に、心を集中するのです。


それは上と下とをつなぐ 「バランスのベルト」 でもあり、


勝って兜(かぶと)の緒を締めるように、腹をくくる事でもあるのです。



真心の位置は、ベルトの位置であり、バランサーであり、希望の部屋でありました。


そこにぎゅっと力を入れれば、人は冷静になる事ができ、


再び力もみなぎってくるというものです。


心が弱くなってきたときにこそ、思い出して、試してみるといいです。






ところで、政策というのは、むずかしいものですね。


15兆円あれば、いえ、定額給付金とあわせると 17兆円にもなりますね。


一億二千五百万人の人口に対しては、一人に13万6千円ずつ差し上げられる金額です。


一家族にすれば (四人×13万6000円=54万4000円) と、膨大な金額となるはずでした。



赤ちゃんから、重病の人にまでです。


なのに、行き渡らない事はなはだしい。


何かを買えばとか、何かをどうしたらなどの条件を設けて、結局は行き渡った感がまったく無い。



頭が悪いのか、それとも、巧妙なるずるがしこさか。


これも「かんぽの宿」のときのように、勝手に決めないで、(一度白紙に戻して)


みんなに「使い道」を聞いてみたら、もっと良い方法が、見つかるような気がします。



家を買うとか、自動車を買うためにのみ優遇するというのは、


不動産屋と自動車産業を救うためでしょう。


でも日本は、それだけで出来ているのでしょうか。


優秀な自国民をバカにしてはいけませんよね。


こんなに優秀で理性的な国民が多い国は、世界にそうありませんよ。



アジアの時代です。 政治が日本国民を守らないで、どうするのです。


北朝鮮にバカにされても、世界はまだ、特別扱いしたいのでしょうか。


かの国は特別扱いにしていい国ではないし、傲慢(ごうまん)ですから


感謝もしないかわりに、当然だと嘯く(うそぶく)でしょう。



そんな北朝鮮の、息の根をとめるよりも、利用しょうとするロシア、中国も同罪でしょう。


世界平和の役、アジア平和の役には、立っていないでしょう。


相手が日本だから(?)、北朝鮮がどんな無礼をしても、まあいいでしょうというのは、


愚かな裁定です。 


そのことにおいて、私は中国とロシアを信じません。


毒入り餃子のときと同じように、日本に対してうやむやですますなら、中国に正義などない。


白髪三千条などとおおげさに言った昔と変わらない、張りぼて国家なのでしょう。



今朝、北朝鮮は 「六カ国協議を脱退し、核の廃止もやめる」と、言ってきた。


いつもの厚顔無恥さ。 ガンのようにうっとうしい存在だ。


無礼は、人徳にもとる行為です。 


ウソと無礼。 中国はそれを許している。 中国の人徳は廃(すた)れてしまったのでしょうか。


相手が日本だから、敗戦国だから、と言い続けるのは、ずるく、過酷で、陰険で卑怯です。



政治の力が、今ほど必要な時はないと思います。


優秀な日本国民よ。 真心ですべてを見渡して、バランスをもって、生きましょうね。




                H21.4.15 (水) pm 12:11 記     コハマ ハクコウ
















こんばんは。 皆様はお元気ですか。私は桜を見る事もなく、体調を狂わしていました。


早く見ないと散ってしまう。桜を見ない年は今まで一度もなかったのに、今年はどうでしょうか。



風邪を引いたのは、主人が東京から持ち帰った風邪がうつったものでしたが、


でも、それとは別の、体調を狂わす原因も見つけましたので、


今度の風邪は、私の役にたったといえるかもしれません。


何事も、悪い事だけではない、という証明でしょうか。



私は、たとえ体調を狂わしても、回復も早いので、私は私の使命を、忘れる事がありません。


いつも頭の中にあり、それをしない事は、私の苦しみともいえるのです。



昨日の朝TVにて、日本マクドナルドの社長、原田泳幸(はらだ えいこう)さんを見ました。


素晴らしいお人柄と、経営感覚に感動しました。 お名前も素晴らしいものでした。



私は、あのような名前を、作りたいのです。


でも人間にはおのずと限界があり、誰でもああなれると言う事でもない事も知っています。


でも、出来るなら、出来る限り素晴らしい名を、作りたいのです。



私はゴッドマザーになりたいのではありません。


そうではなくて、可能な限り、その人を、育ててみたいのです。



人には人の、夢があります。


それを、出来る限り可能にする条件を、人々に提供したいのです。



死ぬような名で生きているには、人生はもったいなすぎる。


また、幼くして死ぬような名を、つけるべきではありません。 そう思っているだけです。


一緒に生きてみたいのです。 そう思っているのです。



それに、たった今も、坂本竜馬のコマーシャルを、流しているようでしたが


あれにはがっかりします。 (俳優さんに文句があるのではありません)


しかし、どれほどあこがれても、彼は死んだのであり、


彼がしたこと事ではない事までも、彼がしたかもしれないと過剰評価するのは


間違いだからです。


彼は偶然にも長生きする事はできなかったし、


後の人が考え出したフィクションが、大手を振ってまかり通るのは、哀しい事だからです。




いずれにしても、あなたはあなたを磨くべきなのです。


可能性は、隠れている事が、多いからです。


人生は長い。 


のちのち、あなたが必要な人になるなら、それまであなたは死なないからです。


あなたの中の可能性を、見つけましょうね。




                                   H21.4.12 (日)  am 1:59 記    

   














おはようございます。 皆様はお元気ですか。 私は元気でいますよ。


アメブロを、まだ活用できていない私。 どこかを触って、ジャンルが消えたようです。残念です。



でも、また一から始める事は、私のつとめ。 使命の一部といえます。


先日も易経は、私にこう答えました。


  「いやが上にも明知を磨き、あまねく天下を照らすのみである」 と。




私がどんなに苦しんでも、それをじっと見つめているようなお方がいる。


そして、私が何をし、どう考えるかを、じっと見ているお方がいる。


それは、「天網恢恢 疎にして漏らさず(てんもうかいかい そにしてもらさず)」のお方。



どこをどう見ているのか分らないようなのに、着実に答えを出してくるお方がいる。


それを、潜在能力とも、言えるようですが、


そのお方は、私がくじける事を、許さないのです。


気長く、私の成長を待っている。


死ぬまでを見つめている。



だから、がんばる。 死ぬまでがんばる。 生きる時間がある限りがんばる。


私にできる事はそれだけです。



「運命を開く」 この言葉は、みなさんへの招待状でもあり、


私自身の運命を開く事でもあった。 


自分のためには、もう、だいぶやってきました。



その中で知った事は、みなさんの知らない事も、多いです。


みなさんがいかに、雲の中にいても雄雄しく歩いているかを、知った日々でもありました。



泥沼は今生(こんじょう)だけにしてほしい。 そう思う人も、たくさん見てきました。


涙を禁じえず、どうしてあげようもない苦しみの人々。



そんな人々に私ができる事は、「運命は開く事ができるのだ」と言う事を、伝えるのみです。


その方法の精度を増すためなら、どんなにも学ぼう。



だから、皆さんと、縁を持ちたいのです。 


それだけのために、「窓」(ブログ)を開けたのですから。


でも、縁の数が決まっているものなら、ただ言葉を聴いてもらうだけでいい。



皆さんの心の中に、「希少微量栄養源」となって、いつか役に立てばいい。



だから皆さんもがんばってほしい。 自分を大切にして、育て上げてほしい。


落ち込む時もあるでしょう。 栄華をいただくときもあるでしょう。


ただ運命は、皆さんの中をたゆたい、運んでいく。



水嶋ヒロさんと絢香さん、ご結婚おめでとうございます。


でも、水嶋さんの名前の家庭運の位置に、すでに病符が付いていた。


絢香さんの看護をするためだったのでしょうか。 不思議ね。



名は体を現し、運命の存在を語る。


ならば、良い名がよい。 病気を克服するためには、強い鎧(よろい)が、必要です。


強い鎧(良い名)は、あなたを守る。 それをたくさん見てきた私。



「運命を開く」 は、あなたがあなたを開拓するもの。


私は招待状を出しましたよ。



たとえ、お返事がなくとも、私はいつまでも待っていますから、心配は要りません。


私も気長いほうなので、いつか会えれば、うれしいです。



今一緒に歩いている人々は、自分の人生に自信を持ちつつあります。


なぜでしょう。 自分を知るからです。


「おのれを知り、相手を知れば、百戦危うからず」 の例えのように、


多くを知るからです。



知れば嘆いてばかりはいられません。 


自分の道を歩き続けるしかない事を、知るからです。


同じ歩くなら、素敵なように、工夫すればいいと私は思うからです。



ブログのランキングは、低空飛行でも、私の目指すものは、高いですよ。


高く、美しく、すがすかしく、真心をもって語る。 それが私。



吉名を持ち、家相良く、良い縁を導く道を歩き、良い子孫を得る道。


それを選ぶ事は、出来ると、私は思っている。



お手元の招待状は、有効です。 お待ちしています。


真剣なら、お顔を見せてください。 


私に顔を見せる覚悟ができた人は、もう成功者といっても、いいです。


なぜなら、真剣に真面目に生きる人の、私は見方ですから。



まず、自分を知って、戦う道具を、選びましょうね。




               H21.4.5 (日) am11:58 記    依美澄卑親呼  小濱白光



















こんにちは。 お久しぶりです。 皆様はお元気でしたか。


ここのところ、ずっと、(何年も)私は私でないものになろうとして、苦しんでいた。


私はもともと、太陽の子であるのに、慈雨になろうとして、

自分を見失い、それによって、心は落ち込み、声も重くなった。


それが、今日解決して、私はほっとして、自分を取り戻した。


自分の役目と、使命と、本能の声は、

ずっと私を呼んでいた。


一生懸命ブログを書く事は、やぶさかではなかったが、

このパソコンの世界は、目くらましが多くて、私は翻弄されたてしまったのでしょう。


だから、私の神は、パソコンの世界は 「泥海である」 といって、私に忠告していたのに。

「お前の期待するような世界ではない」 といって、忠告していたのに。


でも、わたしが、「なら、手をつけないでおこう」 と、いえば、

「いけない。 あなたを待っている人がいる。 勇気を持って行きなさい」 と、忠告した。


私は泣きながらも、この「泥海」に、どう対応しようかと、苦しんだ。



でも、多くの読んでくださる人にも、逢う事ができた。

私を読んでくださる人は、私の仲間でもあろう。


私は仲間を大切にする。 ただそれだけでよかった。


今日、「風火家人 六四。」が出て、 自分の立場をわきまえる事の正しさを知った。

「家を富ます。大吉なり。」 「家正しくして、天下定まる」 「順にして位に在ればなり」 と。


私の位(くらい)は、みなには言いません。

しかし、でも、私には分っている。

なぜならば、何度となく繰り返し私に伝えられている事柄だから。


それが今でもブレてない事のほうが、私には驚きでした。

人には宿命と、使命が、おのずと備わっているもののようで、

大きな天運と、授与された使命からは、

そう簡単には逃れられないのは、私もみなさんも、同じでした。


私はこれからも、もっと、明るい希望と、使命の内に、十分に自分の知性を磨き、

立っている場所の充実を図りたいと、思います。


今日の易卦(えきか)は私にこう言った。

「仲間の一人ひとりに隠されている宝をみつけなさい」 と。


私は 「はい。 そうします」 と、答えました。

私の立場で、私らしく、心をこめてそうしたいと、思いました。




               H21.3.31 (火)  pm1:51 記   光明心殿  小濱白光




       











その人の中の宿命の強さは、そう簡単には変えられないもの。


でも、あなたにできる事がある。 それがあなた。


太い細いも同じ事。 


太る人には、幸福の食神星が、二つ以上付いている。


(タレントの細山君は三つ付いている) 太らない人が幸福とは、言えないのだから、


それを、不幸の星に変えて、やせさせる事が良いとは、私には到底思えない。


太る人には宿命的に、太る要素が組み込まれている。


生まれ時間からして、太る時間に生まれている。




ミスユニバースのような容姿端麗な人は、


「背が高く細身で、容姿端麗」という時間に、生まれている。


私の好きなタイプの、「背が高く、ゴツゴツしたタイプの人」は、


実際にそういう時間に生まれていた。


「陰気な顔つき」という時間に生まれる人だっている。


それをどうせよというのだ。


陰気くさい顔を、笑顔に変えるのは、


笑顔が美しい人よりも、つらいものである。


でも、私はそうしてほしい。 めげずにそうしてほしいと思っている。




今のメタボ検診のようなものには、標準が一番幸福だといわんばかりの思想がある。


それが残念でたまらない。


みな良いところがいっぱいあるのに、標準化するとは、愚かな事である。


いつの世に、みんな標準体型の、絵に描いたような集団がいただろうか。




勉強ができる事も、宿命である。 代々高等教育を受けられる人もいるものだ。


勉強ができる、東大にすらすら入るような人には、共通の数字が付いているものである。


またたいていが、9系、0系を持つので、身内の不幸をきっかけに


医者になる人も、多いものである。


母親、父親、妹、弟を亡くし、医療の大切さを、痛感する人が多い。


またそうでなければ、強い信念で医者になろうなどと、考えないのかもしれない。




複雑に入り組んだ宿命は、傾向は似ているとしても、誰とも一致しないのである。


標準が良いのは、この点においてのみである。


ただし、標準は標準であって、その人のものではない。


苦しみすぎない事である。


顔を整形しても、一瞬にして幸福になるように思えても、


簡単にはそうならないのは、この宿命があるためである。




めげやすい人もいれば、簡単に立ち直る人もいる。


あなたが誰かと言う事が一番の重大事なのである。


あなたがわかれば、やり方もあものである。


誰とも比較せずにいる事が、大切なのだ。




今、これを読んで下さっている人を、心から愛す。


あなたが道を見つけられるように、私は努力し続けています。


その点においては、「宿命に勝つ」ということが、私の目標であり、


大木になった皆さんを見ることが、私の喜びです。



宿命に翻弄されることなく、一歩一歩、着実に歩んでいきましょう。




                   H21.3.27 (金)  pm12:42 記     コハマハクコウ













おはようございます。 今日は快晴。 気持ちの良い青空です。 私は青空が好きです。



私は昨今にぎわっている、紀香さん陣内さんの問題には、一切触れないで置こうと

思っていました。


でも、人気風水師のユミリーさんが登場し、何かと言っていることには、

大いなる疑問と、少なからぬとまどいと、ちょっぴりとした怒りも感じます。


なぜなら、数字を見る人なら、彼らがこうなる事は初めから分かっていた事ではないか。

そのための忠告を、初めからしておくべきだったのです。


何度も何度も忠告しておいた上でも、こうなった、とも思われますが、

今更、いろいろいうのは、理解に苦しみます。


この世には、風水だけでは解決しない事が、あるのです。


なぜなら、本人達が生まれ持った、感受性や、理解力、洞察力、判断力には、

おのずと限界や、判断ミスは、つき物だからです。


でも、本人にとっては、本人の感覚が最大に大事であって、

どこまでも他人に言う通りなどにはできないのが、

宿命に色濃く書き込まれている、その人の苦しみの原因ともなる他人とのズレなのです。


その上でこそ、出会った二人が、考え考え生きていくのが、夫婦というものでしょう。


紀香さんの失敗は、何度も離婚を経験している人に相談した事が、原因ではないかとさえ

思っています。

なぜなら、そういう人には、離婚癖、とも言うべき因果が、付いている事もあるからです。


離婚したくなかったのなら、そういう(離婚していない)人に相談すればよかったのです。

力有る人なら、何とか工夫して、お二人の離婚を、避けることができたかもしれない。


人は、有名というだけでは、解決出来ない事もあるのです。

アインシュタインが、原爆の事を、一生悔いたようにです。

それが彼の宿命です。

先ざきの不幸を考えるよりも、今、実験し、作ってみたかった。それが彼だったのです。

誰かの意見をきいたとしても、やはり彼はそうしたかった。未来を信じたとも言える。


宿命とは、やりきれなく切なく、偉大かつ、苦しく、無尽蔵であり自由、であると言う事です。


その中から良いものだけをピックアップする能力は、

実はとても素晴らしい能力であって、誰にでもできることでは無いというのが、真実なのです。


だから人は、間違いやすいとも言えるのです。


「正しい」と、「正しくない」と、思っている二人にとっては、ケンカは必定でしょう。



でも、“五感の正しさ”から言うとするならば、「正しい」か、「正しくない」か、では無くて、

それをした時に、他人がどうなるか、です。人を健康に保てないのは、もはや失敗なのです。


新婚で、愛しているのに、浮気をするなどは、本当には妻を愛していない証拠です。

「妻がいるから」と、断る事もできたのです。それをしない男は、男じゃない。


結婚の名に恥じる行為であって、 問答無用です。 

慰謝料を払い、土下座をしてもゆるしてもれえない、それほどの行為だと、私は思います。


でも、陣内さんには、

彼の見栄っ張りな性格と、裏切りの線が3本と、女難の相、家庭内不和が付いていた。


藤原紀香さんは水の三角。 (水の三角とは、私の鑑定の中では、不幸なラインだといえる)

陣内紀香さんは、新婚当初からもめる線と、家庭内にケンカが絶えない相と、

家庭的内面にはずっとうまく行かない線と、女性は貧困になる相と、

社会的には財運を得る数字とが付いていた。


これら関係性がちりばめられた名で、うまく行く事はまれである。

というよりも、決してうまく行かない。そう言うべきでした。



人の宿命はいろいろで、紀香さんはユミリーさんに相談したので、

次の結婚を、軽やかに宣言したが、

ユミリーさんのように何度も結婚離婚を繰り返す運命を、辿ってもいいと、思っているのかしら。

同じように辿って、最後にいい男を見つけるのが、自分の生きる道だと思っているのならば、

好きにすればいいのです。


これは他人が口を挟む余地はなく、選んだ道を行くのが、宿命でしょう。


そこには、悔いの涙が一粒も無いと言う事はないにしても、少なくとも自分に正直だったとも

いえるのでしょう。


皆様が幸多からん事を。 

一人でも多く、親族の光とならん事を、祈念するものです。




               H21.3.26 (木)  pm12:42 記   依美澄卑親呼  小濱白光
















おはようございます。 お久しぶりです。 皆様お元気でしたか。


今日は曇り、このあと雨が降る予報でした。 それに、寒いですね。



私は、ランキングが下がると、とても空しく感じて、一気にやる気が下がります。


でも、きっと、そんな事ではいけないのです。


私のやりたい事は、多くの幸せな人をつくりたい事ですから、めげていてはいけなかったのです。


あまり考え込んでしまうと、なにも書けなくなってしまうのですが、


気分を楽にして、また書きます。 だって、私は皆さんを大切に思うから。


もっと多くの人に読んでもらえるように努力する事が先なのでしょう。




昨日のWBC 決勝、見ました。 原監督の前向きな姿勢が、本当にすばらしかったです。


あんなに百戦錬磨した方でも、世界一となると、どんなに緊張した事でしょう。


負ける戦さは出来ない人たちです。 どんなに気持ちを込めたことでしょう。


丁寧に丁寧に、一戦一戦勝ちあがっていったのです。



その姿は、私にとっても、素晴らしい教訓となりました。


私こそ負けてはいけなかったのですから。


私の仕事も、負けて済む事では、無かったのですから。




心の吐露はこれくらいにして、私は書かない間に、素晴らしいことを発見しましたよ。


それは、「笑顔はお金になりますよ」と、言う事です。


「笑顔」と、書いて28画。 お金に縁がある人によくある 8 が、付いていました。



でも、この28は、ちなみに、くせものですよ。


「自分が病気にならなければ、身内が病気か不良化する」


という、険(けわ)しさも、併せ持っているからです。


すべてをお金で解決しそうないきおいで、おおざっぱで、自分がまず第一と考える傾向が


強いからです。 


男女共に不倫する人が多いですが、まったくしない人もたまにいます。


大体がケンカ争論が好きで、仏頂面(ぶっちょうづら)を人に見せる事も恐れない人です。


ただ、お金を持っているので、それが力だと、思っているのです。



その上で、お金をもうけるためだけに「笑顔」(28)をつかえば、


ストレスは身内に向かい、大雑把(おおざっぱ)、仏頂面は、身内を苦しめるのです。


身内の苦しみに気が付かない人だっているのです。 


それでは、28のままに、悪徳になるじゃありませんか。


せっかく金運があるのに、それではもったいなく、いけませんね。


「笑顔は真心から」が大切ですね。





「笑顔は真心から」と書いて、52画。 無から有を生じる大吉と変化してきますよ。


その一徹さは他に類を見ず、すくすくと育つ巨木のようです。


同じ笑顔を使うなら、真心からする事が、正しい金運の得方だと、私は思うのです。



しかし、ここに、一つ疑問が出てきます。 真心とは、どこにあるか、と言う事です。


体の中で胸に有ると思うから、息がはあーはあーと上がってきて、苦しくなるのです。


胸は “熱い思い” とか “恋心” の住処(すみか)です。 (または“信仰心”の)


ですから、そこを使うべきではないのです。



そうではなくて、ウェストの位置にあるのです。


ベルト、天使の世界からいえば、「悟りと行動の車輪」のある、ウェストのところにあると思えば


ずっとずっと楽に、真心を感じることができますよ。


(そうそう、デパート嬢や受付のお嬢さんがお辞儀をする時に、ベルトの所に手を置くようにです)



それよりも下のヘソの下、丹田(たんでん)に真心があるように思うと、落ち着きすぎて、


冷静になりすぎて、笑顔は出にくくなりますよ。


真心の在り処(ありか)としては、下すぎるのです。


自分の体に手を当てて確かめてみると、おもしろいですよ。


あなたもきっと、安心した真心を、感じる事が、できますよ。  やってみてね。





cordially (コーディアリー:心から) と、書いて、「顔」と同じ18画が出ます。

  18


cord (コード:心)から派生した cordial  (コーディアル:心からの) などの言葉にも

 7                     13


思い当たる数字が、ちりばめられています。


ベルトは 7 ですし、13 は 叡智の13 でしたね。 (わがALECAも 13 ですが)


このように私達は、いろいろなものに囲まれて存在しているのです。


良いものと巡り会う事は、あなたを救う第一歩になることでしょう。


それは、言葉でも数字でも同じ事です。 強い心で、良いものを求めましょうね。




ちなみに、「a cordial welcome」 (心からの歓迎) と書いて32画。 小濱白光と同画でした。

             32


これからも、どうぞよろしくお願いします。




               H21.3.25 (水)   pm1:09 記     光明心殿  小濱白光




おはようございます。 あたたかくなりました。 我が家の梅の木ではヒヨドリがじゃれあっています。

いながらにしてバードウォッチングが出来る南西の窓は、楽しみの一つです。



今朝、新宿の駆け込み寺を、放映していましたが、あそこに集う人々と、皆さんは、

一緒だと、思いますか。


私が冷徹で言っているのではありません。 ばかにするのでも、ありません。


しかし、人には分というものがあって、それをいうならば宿命であり、吉運の在り処(ありか)です。


誰でもが被害者になるのでもないし、

誰でもが、あわよくば人に危害を加えたいと思って生きているのでもないのです。

すばらしい人生と、幸運を、手に入れる人も多いものです。


また、どんなに愛する娘でも、犯罪に遭って死ぬ事があるのは、(残念な事ですが)

死ぬような名前が、存在しているからです。


それらの名前は、間違いなく、痛ましい名を、しているものです。

顔の美醜とは、関係ないのです。

泣く母は、その名に刻まれたとおりの、厳しい自己の人生を、生きているのです。

誰のためでしょう。

きっと、多くの人のためかも、しれません。

悪をやめさせるための、犠牲者かも、しれません。痛ましい事です。




余談ですが、

どうしてその通りになってしまうのかが、最大の疑問であり、問題点なのです。


人生はまるで、綾織(あやおり)の布のごとく、複雑にからまりあっています。

そのスキマを透して、その人物に最適、かつ、幸福な設計図を描きたいと思っているのが、

善良な、正しい、占い師の生き方です。


ですから、占い師は、あらゆる面に精通している事が必要だし、

まず第一に善良であり、誠実さ、真の心、慈愛、正確さ、時を判断する賢さ、辛抱強さが

要求されるのです。


それらのどれひとつが欠落していても、真に人を幸福にする事はできません。

一時的な幸運はつくれても、長い安泰を約束する真の叡智が無いからです。


真の叡智を得たいと思ったら、多少の苦難は、耐えなければなりません。

なぜなら、それが真理だからです。


生命の出来た時からそうであったように、精子は卵子の硬い表面を突き破ってこそ

実りある結論に到達するからです。


学ぶも苦難、ですが到達したら、試験を受けて突破(合格)しなければならないように、

必ずや、最終審査のような、厳しい聴聞が、自己の中で起こるものです。


自己が自己に向かって、こうします、と言えないような者に、厳しい審査が通る訳がないのです。

殻をつきやぶってみれば、明るい世界と、自由な道が、どこまでも続いているものです。

強くなる事が、求められています。




危害を加えたいと思って生きている人の家は、家相が悪いものです。

家相が悪いと、イラついたりするものです。

どうして俺は、などと、その不運に愕然とする事だってあるのです。

なぜでしょう。

それは、人間が、何かしらの微妙な電波のような、信号を、感じ取る能力があるからです。

そしてそれは、赤ちゃんでも、同じです。

ぐずっていつまでも泣いているような時、散歩に出るとすっきりとするように、

自分にとって良い物を感じる知恵は、すでに持っているのです。


母親に良くて、赤ちゃんに悪い時は、悲劇だって起きます。

母は自分の判断を強要しがちで、未熟な赤ちゃんは何も分らないと、判断しがちだからです。

ひどく折檻(せっかん)して、死なす事だってあるのです。

それも、愛しているがため、と言うのは、いたたまれません。


そうならないためにも、そんな時はちょっと場所を変えて、冷静になる必要があるのです。

赤ちゃんの言い分も、聞いてあげるといいのです。


そして、みんなが幸福になる道を、冷静に捜す努力を、してみるといいのです。

孟母三遷の教えのようにです。(孟子の母は、子供のために三度家を移ったという)



綾香ちゃんを殺した母(鈴香)の家が信用が欠落していたように、

決して住んではいけないような家が、あるものです。


ですから、家を変える自由を、奪ってはいけないのです。

元ヤンキー夫婦が、会社の都合で家を買わされ、その家が信仰心に富む家相で、

今はクリスチャンとして真面目に生きているようにです。


良い家は健康で、明るく、未来を守ってくれるものです。


日光東照宮が、北極星を背中に背負って建っているようにです。

この建物は「陽光宮」といって、高貴な方位であり、的確な判断、大きなチャンスをつかむ、

大胆な行動、先見の明がある方位を、示しているのです。


そこには徳川家康の大きな決意と子孫繁栄を願っての祈願が込められていたのです。


徳川家康でさえそう決断したものを、弱い一般の人が何もしないというのは、

いかにも力が無いことではないでしょうか。


もちろん、分というものがありますから、何でも出来るというものではありませんが、

やってみない手は、ないですよね。


少なくとも、他人の身を預かるところは、良い家相が、必要でしょう。

学校も、病院も、ホテルもそうです。 熟考が、求められていますね。




                H21.3.18 (水)   pm12:02 記    光明心殿  小濱白光






こんにちは。 

侍ジャパンは、キューバに 6 対 0 で、勝ちましたね。 おめでとうございます。


昨日、テレビで「唐招提寺」を、放映していました。

鑑真展が、奈良国立博物館において、4月4日~5月24日まで開催されるそうです。


見に行きたいです。

また、11月には、唐招提寺の落慶法要が執り行われるとのこと。 行きたいです。


その建物の中に、巨大な仏像が三体あり、その中のひとつが千手観音だという。

千本手がある千手観音はめずらしいとの事でした。


千本の手でも、お道具を持っていない手もあるようです。

「38」種のお道具を使い人々を救うという事でした。


その「38」種のお道具とは、とても興味深いことだと思いました。

前回書いたブログの中に、両手のbalanceを足すと、「38」という数字が出たのを思い出します。



余談ですが、

「38」というのは、おもしろい数字で、たいていスポーツをしますし、

男はやさしく、女は男に好かれます。


私の結婚前の名前が38で、男の子はたいてい、私を大切にしてくれました。

中学のとき、同級生に生徒会長がおりましたが、その男の子はなぜか教室の入り口が好きで、

休み時間などはいつもドアのところに立っていました。

その子は学年で一番くらいに背が高かい男の子で、

私がチビだったためか、私が通る時いつも、ドアを、高いところに手を置いて開けてくれました。

まるで、自動ドアのようでした。

私が「ありがとう」というと、いつもうなずいていました。  ちゃんちゃん。


男性にしてはやさしすぎるところもあるようで、威望が乏しく思われがちという点では

名前に使用しない方がよいかも、しれませんが。



今の日本でも「38」種類の職業をあげなさいといったら、思いつかない仕事も多いでしょう。


昨日の「唐招提寺」でも「漆採り(うるしとり)」の職業は、大変かつ熟練を要するといっていました。

一樽12万円もするそうです。漆器が高額なわけです。

でも、無くてはならない職業ですよね。

漆(うるし)の事を、世界では「ジャパン」というのですから。


今の若い人々が、日本古来の職業を大切にしてくださると本当にうれしいのですが、

どうしても今はやりの、すぐに儲かる職業選択にのみ向かうのは、

残念かつもったいない事です。



カリル・ギブラン は、「仕事は目に見える愛である」と、言いました。


職業選択による服装も、その人を表す威力になると、思いました。

衣服の衣は、威力の威と同音だからです。


神父さまが、僧侶が、お医者さまが、看護士が、潜水夫が、

それなりの衣服でなければ仕事ができないように、


警察官、自衛官、警備員、宇宙飛行士、みな、職業にふさわしい衣服であるのです。


我こそはと思う者は、それらしい格好が必要だ、と言う事を示していると思いました。


仏像がTシャツならおかしいし、神父さまが普段着だったら今日はお休みかと思うし、

新幹線の車掌が普段着だったら、切符を切る事はだれもがおかしいと思うでしょう。


威望を示したいがために、人は高い時計をつけるのでしょう。

ホテルマンが、その人の靴をみて、その人を判断する一助にするように、


人は、自分を示す威服(い・ふく)を、持たなければいけないのかも、しれません。


それで、農家の人は、自信を持てないのかもしれません。(農協の帽子をかぶる?)

農家がカッコ良く見える服装を考案したらどうでしょうか。


介護の職員も、大変な職業なのに、普段着のような物が多いので、

看護士さんのような、高級を取れる職業なのだと言う事を示すような、

すてきな威服(い・ふく)を、考えてみたらどうでしょうか。


新しい日本の、新しい職業による、新しい環境と威服を、考えてみたらいかがでしょうか。


麻生太郎総理大臣が、立派な背広やコートを着て、世界の首脳を翻弄(?)するように。

夜の蝶が、昼間に出てきてしまったような、アゲハさんは、いただけませんが。


いずれにしても、「38」種類のお道具が、薬ビンだったり、ピンセットのようだったり、

とても具体的、かつ、分りやすいことは、素晴らしいことだと思います。


きっと、威力というものには、具体性が必要なのでしょうね。



その最たるものが、名前かもしれません。 名は体を現すからです。

商店が吉名をつけるように、大企業がコーポレートカラーを選びに選ぶように、

(corporate color=企業イメージを浸透させるために、その象徴として用いる色。カタカナ語辞典)

私達は私達を、よりよく選択しなければならないものなのではないでしょうか。


もし、私達に愛があるなら、その姿は、具体的である事が必要なのですね。


「仕事は 目に見える 愛である」 ようにです。




                   H21.3.16 (月)  pm2:14 記   光明心殿  小濱白光


























おはようございます。  今日は快晴。 風が強いですね。


皆様はお元気ですか。 私は、三日ばしかの影響か、指先などの皮がむけてきましたよ。



長いトンネルを抜け出す時というのは、

苦しみの中(期間)にその芽(発見)があるといえるかもしれない。


今元気な人は、もうすでに苦しみの期間を通り越した人であるとも言える。

今苦しみの真っ最中の人は、次にトンネルを抜け出る人かもしれない。


今バカをやって、人にひどい事をする人は、

苦しみのトンネルの存在意義、その先の光りの世界を、どちらも否定する

良い自分になれるかもしれない事を否定する

短気な人かもしれないのです。


どんな事でも、短期間での生成発展はない、と言う事を知らない人なのです。


たとえ、事業に着手後、すぐに上向き増収を得たいと思っていても

すべての条件が整わなければ、そんなにうまくいくはずはない事も、想像しないのです。


想像しないという事は、良い事のみに気を取られて、

危険な事でも、まあしょうがないかと言って、受け入れてしまいがちになる人です。


危険はつねに転がっているのに、舗装道路ばかりが続くものだと、信じている。

(サブプライムローンのように)


本当に人間的によくなれる可能性のある人は、先に苦しい事が多いものです。 

(悟りの山には舗装道路はないです)


(実質の暴行行為ではないのですが) たたかれ、けられ、つぶされ、のけ者にされ、

それでも生き残る人を、神は(天使として)お使いになりたいのです。


訓練の行き届いた、明るく美しい人を、神はお使いになりたいのです。



今はやりの、めざましい若手女性男性歌手たちに多く見られるような

人を悪く言ったり、良く言ったり、

その場その場でウケる事のみを考えて、ファンの賞賛を引っ張りだすようなやり方は、

(たとえ死ぬほど良い匂いでも) 真実にはほど遠いのです。

真実は喧騒(けんそう)の中には無いからです。

一瞬にでも静かな時にやってくるものなのです。 (悟りの山頂が静かなように)



大事典の中に、後漢書(ごかんじょ)にこういう言葉があるという。

「衡行則中絶」(こうこうそくちゅうぜつ)

衡行とは思いのままに行くこと。それはすなわち、中程で途絶えやすいものだ。と。


それは、よく考えて生きなければ、わがままではいけない(中絶する)ということか、と思いました。


衡(こう)とは、牛の角木(つのぎ)。牛の角に渡す横木で、牛が自由に行ってしまわないように

縄をかける木の事。


牛にも人間にも、平衡感覚が必要であるという事なのでしょうか。



平衡感覚というのは、何を示しているかというと、

人はいくら祈っても、食べていかなければ、死ぬと言う事です。


人はいくら大僧正になっても、弟子に粥のいっぱいも口に入れてやれないのは、

赤ん坊を死なす母親のように、切なく、不十分だと言う事です。


どんなに良い人でも、食べなければ、明日のノーベル賞学者は、生まれないからです。

ご先祖様が食べて生きてくれたがゆえに、今私達はここにこうして生きているのです。


だとすれば、経済活動を忌み嫌うのは、神の本意ではないということです。


国も一国、人ひとりも一国一城の主というように、一国とすれば、

「一国の経済活動の基礎となる産業」を、「基幹産業」というのだそうですが、(集国p376)


「基 幹  産 業」と書いて、48画。 財運の 8 がついてくる。11+13=24最大財運数。

 11 13  11 13             

いずれもお金が必要だと、いっているのです。

あなたの基幹産業は何か、という事も、問われているのですね。



(左手の)  (右手の)

balance + balance  = 38  ここにも財運の 8 がついてくる。

  19      19


まるで、ウェイターさんが、銀盆を取り落とせば、大切な飲み物がこぼれ

お金にならないように。

いつもお盆を落とすウェイターさんは、クビになるように。

この世にはやらなければならない大切な事がある、と、いうようにですね。



人は長らく、生きるがためにどうすればいいかを考えたがゆえに、

政教分離をして、バランスを重んじてきたともいえるのです。


on balance   (オン バランス : すべてを考慮して )は、 叡智でした。 

4   19   = 23 非凡なる叡智の 23 が、ついてくるのでした。



叡智の中には、「食べていける」 も、入っていたという事です。

人間は、生きるために、多くの言葉を、残したとも、いえるのですね。


いつまでも、一宗教にとらわれて、爆破テロを繰り返すという事は、

わがまま以外の何物も、含まれていない、という事ですね。


熟考、熟考。  


まず、あなたの足元を、しっかりと固める事ですね。


足元が、精神でもいい。 希望でもいい。 


でも、盗んではいけない。 


ですから、お坊さん達は托鉢(たくはつ)をするのです。

命を生きながらえるためです。

生きながらえて、悟りに到達するためです。


食べなければ、餓死寸前になって、スジャータにミルクを恵んでもらった仏陀のようになる。

仏陀はその空しさを悟り、ミルクを美味しくいただいたのでした。


人間には、誰でも、出来ない事と、できる事が、あるのです。

幽霊が見えるといっても、この世は幽霊でさわがしくない。

生き馬の目を抜く人間の方が、よほど恐ろしいといえる。


熟考して、あなたを活かせる道を、さぐりましょう。




                 H21.3.12 (木)  pm1:31 記    小濱白光  依美澄卑親呼




 追伸   コメントをありがとうございました。


       すべての人というのは、今年は東傾向の人、西傾向の人すべてが、

       反対の方向に出ていて、全員が凶事を経験するかも知れないからです。


       これは、全体を含んだ回転する運勢なので、すべての国なのです。

       

       「もし、そうだとすれば、誰一人として、報われないですよね」と、言う事でしたが、

       そうです。とも、言えるし、

       そうではない。 それは、白か黒かと問うように、短絡的すぎる、と、答える事もできる。

       

       これからもそうですが、あなたは短絡的であってはならない。

       人は千差万別で、一辺倒ではない。

       そして、考え続けるのも人間ですから、結果はおのずと違ってくるのです。


       まして、「その中にある微かな光を私は見たい」というが、

       あなた自身はもう、光を見ている。

       誰のための心配をしているのか。


       「無理な願いなのでしょうか」というが、無理な願いなど本来はない。

       どんな事も願っていいのです。(悪は駄目ですが)


       胸がやきつくように、どんな事も願っていいが、人によっては叶わない事もある。

       また、今すぐ叶えられるとは限らない。

       しかし、あなたにとって必要な願いなら、きっと聞き届けられる。 

       あなたこそ、希望を忘れてはけない。

       3年後、5年後、10年後、20年後叶ったときに、「ああうれしい」と、いうためにです。


       「光が見たい」というが、あなたの見たい光はなんなのでしょうか。

       具体性がないから、見えていても、見えないのではないか。

       他人のようになりたいという光か。

       人は他人にはなれないように出来ている。

       ひとつひとつ検証する勇気を、持たなければいけない。


       検証すれば、あなたは確実に進んでいると、思うのですが。

       漠然に光というから、遠くにあるように見えるのです。

       光は無いかのように、見えるのです。


       「光が見たい、光が見たい」 と書いて、24+24=48 「基幹産業」と同画。

       まずは、足固めをしなさい、と、あなたの口がいっているように、

       私には思えるのですが。

 

       そして、絵に描いたような100%を願ってはいけない。傲慢(ごうまん)である。

       それよりも、

       謙遜を胸に、力強さと、誠実、乗り越える勇気さえあれば、

       凶運は凶運で無くなる。

  

       これが分れば、あなたこそがもう光です。

       人に見られて困るような振る舞いは、しない事です。

      

       

       あなたが見たい光は、大丈夫。

       多くの天使のような人々が、あなたの目の前に、今年を展開してくれますよ。

       人を信じ、自分を信じることです。