ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり -22ページ目

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

ほんとにまあ今年は、年の初めから今日まで、いろいろな有名人が暴かれた事です。


私は数日前に、今年はまだ時間が残っているから、これで終わりじゃないかもしれないと

家族の者に言ったばかりでした。

今年は人気者や、お金持ち、有名人が暴れる年だと言っていましたね。

数えたらきりが無いほどに、次から次へと、私に見せてくれました。


まだ時間が少し残っています。あと、何が出てくるかな。

今年は、仕事も、信用も、財産も傷つけられる年だと、思っていましたが、その通りでした。


そして、船場吉兆の社長も、裏切りのラインを2本持っていました。


彼は販売員のせいだと言っていましたが、そんな事はありませんよ。

会社の罪が暴かれるのは、トップの責任だという事を、彼は知らないのです。

その時点で、彼は未熟者だと言う事を、自らの言動で社会に表明した事を、

気づいていないのです。


彼は何歳か知りませんが、彼の吉運は、40才で終わろうとしています。

終わりに近づいて、悲惨な落ち目を見たに過ぎない事を、知らないのです。

今までがあまりに順調だったので、驚いた事でしょう。


運命とは、なんと辛く、厳しいものでしょうか。

そして、この世にはルールがあります。  神のルールです。


神のルールは、悪名を、罰するように出来ている。

悪名がいつまでも野放しにされる事は、ほとんどありません。

手ひどい扱いと、苦しみの涙の内に、時間が費やされるのです。


どうしてそういう名に生まれ付いてしまうのかさえ、人には分からない事でしょう。

そして、吉名に変えられる人は、ちゃんと救われる運命と、時期を、もっていらっしゃいます。

誰でもが出来るという事も、無いようです。



昨夜見た映画の、「涙そうそう」も、一徹な者が泣き別れるという、22格の別離の最大凶が、

題名に付いていました。 私は、可哀想で、泣きすぎて、目が痛い程でした。


そして、もっと重大な事は、涙は本字では 12格となりますが、

学校で教える漢和辞典では 11格となっております。

この 11格で数えるとすると、大吉のラッキー数になってしまうのです。

それでは映画の内容と違い過ぎるでしょう。


見ていてください。  涙  そ  う  そ  う

             12  3  2  3  2 =  22 最大凶の別離運 (肉親との生死別)

             

             11  3  2  3  2 =  21 一歩一歩着実に成功する頭領運 

                                                (男の大吉)

これほどの違いを、数字の違いは、現実にもたらしてしまうのです。


よくあるのは、今までひた隠しにしていた病院の医療ミスが、院長が変わった瞬間に

暴かれる事がよくありますが、それと同じです。 トップの責任であり、題名のせいなのです。


詐欺者は詐欺の数を持っている。それに引っかかる人は、哀しい。人のせいではないのです。


ですから、いつでも、どこでも、誠実に生きる事を、ただ今から心に決めましょう。

たとえあなたの代で無くとも、きっと救われる時を、あなたの目が見る事でしょう。

改めてお詫びを申しあげます。


私は数字を読み解くものとして、いつもよく注意をして見るようにしていますが、

ときどき失敗します。


それは私の不注意だったり、テレビ画面に表示される文字がころころ変わったりする事も

あります。そんな時は 「よく確認してから表示しろ」と、思うのですが、

名をいい加減に扱う事には、いつもがっかりします。


生年月日もそうです。

いかに良かれと思って吉日に生まれた事にして届けを出したとしても、

ほんとうに生まれた日の運勢を生きてしまう事を、私は何例も見ています。


ですから、どうしてそう生きてしまうのかが、不思議です。

誰が見ているのか。誰がそれを仕組んだのか。誰が決定をし、誰が実行するのか。

不思議でたまりません。


また、苦しみや悲しみも、あるべくしてある事を、なんと考えればいいのでしょうか。

病気も、治る人が治り、治らない人は治らないのは、どうしてそうなるのでしょうか。

医者や科学者は自分の努力の賜物だと思うかもしれませんが、

私の数理から言えば、できる事が起こったと言えるのです。


どんな事にも訂正を加え、考えを改める時や、修正を加える時もあるでしょう。

ただ、どんな時も、誠実でありたい。

神が見せてくれる社会を、つぶさに見、よく考え、よく理解をし、改めて良い方向に

もって行く事に通暁したい。

そして、多くの人の苦しみを緩和したい。


私の神は私にそれをせよと言う。

たっぷりと時間を与え、私の生活を守ってくださりながら、それをせよと言う。

私は感謝をしながら、それをする。ただそれだけ。私の仕事だから。

神が私の手を引いて野を歩いて下さるとおっしゃるから、ただ心を込めてするだけ。


社会が良くなる為には、本当に良い普通の人々が、たくさん必要なのです。

英雄も一時は目覚しいが、後の時代を作っていくのはいつも普通の善良な人々なのです。

人々に善良さが無くたった社会は、滅びの運命を生きているのです。


疑いや悪意、不忠実や不注意、不正など、人に迷惑をかけても意にも介さない社会からは

奇跡は起こらない。 恥が噴出すだけだ。


しかし、多くの善良な市民から、奇跡は起こる。

世界遺産で見たプランタンの活版印刷も、メキシコのテキーラも。

神は、多くの善良な市民を待ち望んでる。  新たな良い社会が来るために。


ですから、人々よ。生き直す事を恥だと思ってはなりません。

いけないと思いつつ、だらだらと生きる事を恐れなさい。

あなたの神は、あなたがその美しい園に姿を表すことを、待っておられます。

台風一過。大雨とともに亀田家のもやもやが吹き飛んだような、亀田興毅くんの会見は

りっぱなものだったと思います。若干二十一歳の青年の、とつとつとしたしゃべりには

私でなくても胸を打たれたのではありませんか。


彼らがどうしてああなったかと、議論がかまびすしいですが、

私の言わせれば、「世界王者養成場」なる凶相の名を付けたからだと言えるのです。 (※)


「世界王者養成場」と書いて、5+9+4+9+15+7+12=61 高慢の故に衝突するという

謙虚さを欠いた態度、自ら災厄を招き、不和、険悪、高慢運の凶相となっています。

彼らがいずれ問題を起こす事は、初めから分かっていた、とも言える事だったのです。


酒鬼薔薇聖斗と同じ事が起こったのです。

悪名は、悪を呼び寄せると言えるのでしょうか。


その悪名の養成場(※)をたたんで、協栄ジムに入る事を勧めます。

なぜなら、「協栄ジム」と書いて、”男の中の男”と言う 29格が出てくるからです。

29は、イチロー選手にも付いている頼もしい数字だからです。


出来得れば、金平会長も、変わった方がよいでしょう。

なぜなら、彼の名の中に、社会への裏切りのラインが2本あり、それゆえ

社会から痛手を被るという、哀しく、痛いラインが付いているからです。

このラインがある限り、家庭内の苦労と、ガンを誘発する事だってあるのです。

そしてこれらの人の成功は、みな、一時的なものなのです。


数字をも司る神は、悪をいつまでも野放しにしておくほど、甘くないからです。


また、私は、本字で数えますが、学校で教わる漢和辞典から数えた場合には

58と言う、大吉数が出てきてしまうのです。  (※ これも世界王者養生場と書いての事)

この58と言う数字は、頼もしい数字で、ハンカチ王子の斉藤くんが持っています。


ですから、数字の数え方を間違った場合には、このように現実との食い違いが出てくる事は

枚挙に暇が無いと言えるのです。


ほんとに皆は、数字の怖さ、恐ろしさを知らないで、簡単な事だと思いすぎる。

でも、まあ、苦しいが試練だと思えば、今度の事は、亀田家にとって悪い事だったと

言えるでしょうか。


雨降って地固まる、と、言えるのではないでしょうか。

これからが本当の亀田家の出発だと考えれば、かえって良かったのかもしれませんもの。


新しい王者の誕生を、待ちたい気分になってきました。

これからが我ら大人の責任だと、思いませんか。


   (※) 昨日読んでくださった皆様には、心からお詫びをして、訂正させていただきます。

       「世界王者養生場」の、生の字は、私の見間違いだったと思われます。

       よって、「=59 自滅運」は違っていたことになります。

       新たに書いた文字「世界王者養成場」が正しければ、61格となります。

       改めてお詫びをして、ここに訂正をさせていただきます。

                          (H19.10.29 am8.48    依美澄卑親呼 )



人は、いつでも、自分のしている事は、「当然だ」と、思っている。

そこに、謙虚さが無いから、失敗するのに。


今日は、「当然だ」と叫ぶ心を、考えてみたい。


人は、自分の人生しか知らないので、人も同じように考えるのが 「当然だ」と、考えやすい。

しかし、人は千差万別だから、すべての可能性が考えられるのです。


私はいつも、漢字かな混じり文を、表看板といい、カタカナを、裏看板と言っていますが、

「当然だ」と書いて、31格という大吉数が出てきます。


智、仁、勇を持ち、万難を排して目的を達成するこの大吉数は、美男子、美女の理想的な

吉数として、私の頭に定着していますが、それは、社会面に現れる事象です。


では、その心は、と言うと、「トウゼンダ」と書いて、16格という最大吉数が出てきます。

この、16格が、くせものなのです。


もちろん最大吉数という事ですから、悪いばかりではないのですが、

(社長さんは、ほとんどが持っている数で) プライドのかたまりでも、あるのです。


どんな事をも可能にする、最高無比という16格ですが、へたをすると、

あまりに高位のため、人を甘く見て、不遜な心を持ちやすく、他人への助言も

厳しすぎる面があるのです。

そうすると、人に嫌われます。うっとうしく思われている事に、気が付かない事もあるのです。

(だから、社員のパーティなどに、ちょっと顔を出して、すぐ帰るのがいいのでしょうか)


そして、もっと大切な事は、社会面の31格に対しての、

内面から社会へのアプローチ(態度)である、内面16格からの社会面への心の作用です。


その作用はどういう関係性を表しているかというと、

「富裕の運を持つが、吝嗇(りんしょく。けちんぼの事)。 社会に役立つ人にはならず、

 名家に生まれるが、反社会的事件を起こして、家名を汚すとされる。

 妻子に苦労をかけ、経済的にも貧窮する事あり」 というのが、この関係です。


ですから、「当然だ、当然だ」と、叫ぶ事の危険を、私は感じずにはいられません。

実際、当然の事など、無いのかもしれません。


他人を思いやれない不遜なこころでは、何事も成就しない、という事ですね。

そして、算数は教えています。


内面の16 に、心からの深い正しい信仰心である 9 を足せばどうなるか、

16 は 25 となり、(25から31は) 社会に有用な人となる事ができる、という事です。


ですから、これからも分かるように、言葉ではなく、心の持ちようが大切だと言う事です。

「当然だ」などという事は、この世には何も無いないのかもしれず、

ただ、ただ、感謝しても、いい事なのでしょう。

なぜなら、矛盾だらけの私達にとっては、どんな事だって起こり得るのですから。


心を磨く事が大切だと言うのは、このためです。





イジメと書いて、9格。 9 は水を表します。 また私は、社会は 9 (水)だと思ってる。

だから、(イジメは)この世に元々あったものだと、思っています。


その最たるものが、キリストの殺害でしょう。

人は、どんなにいい人と言われても、自分と違うものを受け入れにくいのです。


だから、「その人を知りたくば友を見よ」、と言うのです。

自分でもどうにもならないほどの正確さで、人は人を選別しながら生きているのです。


それが分かっていないから、「あいつはいい奴だ」とか、「あいつは気に食わない」

などと言う事を、軽々しく言うのです。


そんな事を軽々しく言う人が、立派な人間のはずがない。

なぜなら、物事の道理が分かっていないのですから。


人はちょっとした事で人を選別し、色眼鏡で見やすいものなのです。

だから、それをしない為に修行をするのです。

なぜなら、人は千差万別であり、自分の理解を超えた人もいるからです。


コマーシャルで、画用紙に、鯨の黒い体を、延々と黒く塗り続ける少年のようにね。

彼はへたをすると、大人の理解が得られずに、精神病院へ送られる事だって考えられると、

コマーシャルの中では自分達を戒めていますね。


しかし、学校の先生こそ、忙しさのあまり、日々これをしやすい立場にいるのに、

警戒心が薄過ぎるというか、自信のあるあまりに気にもしないのか、恐ろしいという事を

忘れてしまっているのです。

子供は大人を見ています。 その純粋な目や心に耐えられるような修行が必要なのです。


なのに今の大人は、自分が未熟者のくせに、純粋な小児を教えようとして、言う事を聞かない

からと言って、ひっぱたくか、言葉の暴力で苦しめるのです。 恥の上塗りを知らないのです。


教師も大人も、イジメを無い事にしようとするために、物事を見間違うのです。

イジメは、いつでも、どこでも、起こりうるものだと考えれば、不注意な見方は

しなくなるでしょうに。


私は自分の子供がイジメられた経験から、教師自身の理解の無さが、

ある数人の子供のイジメを誘発し、また、止められもしなかったのだと理解しています。

小学校の演奏会で、田園ホールエローラで、私が直接目撃してしまった我が子の

舞台上での(ひな壇からの追い落とし事件。とうとう最後には一番はしに落とされた)場面も

先生は見てみぬ振りををしていた。 座席に戻った時も、四人にこずきまわされていたのを、

私は目の前で見てしまった。 もう少しで飛び出していって、殴ってやろうかと思った程でした。


(それは彼の無能さから出た事ではなく、いじめっ子ははしゃぎ、息子は抵抗しませんでした)

(また、算数でいつも高得点を取っても、3しか付いていなくて、教師に聞いてみましたら、

 「出来る子が出来ても駄目なのだ」と、その先生は言いました。

 「えっ? それじゃあ、50点の子が90点をとったら、5を付けるのか」と、聞いたら

 「そうだ」と、その先生は言いました。)  

小学校って、こんな事ありな所でしたっけ?

(まあ、その先生のお陰で、息子は良い学校と先生に巡り会い、良い友を得ましたがね) 


数年前、昔の息子と同格数の名を持った20歳くらいの女性が、イジメを苦に自殺した。

(我が子は中学に行く前に私が吉名に変えて、私立の中高一貫校へ行ったので、それからは

 ずっと今も幸福に健康に暮らしています。その学校が戸籍でない名を受け入れてくれた事を

 いまもずっと感謝しています)

が、私はその現実を彼に、そっと耳打ちしました。

彼は、じっと考えていた後、「僕は死なずに済んでよかった」と、ぼそりと言いました。


彼は無口で、誠実で、真面目に物事を考えるタイプの子で、

自ら罪を犯すような子ではありませんでしたが、それでも、イジメられました。

親子して、1年半泣きました。 私達を見守り助けてくれた担任でない先生もいました。


異質なものをイジメるのが人間だとしたら、イジメは無くならない、という事です。

異質を認め合う社会であってこそ、豊かな社会という事ではないでしょうか。


人は、自分を偉い者だと、思わない事です。 特別だと、思わない事です。

そして、いつでも、イジメっ子になってしまう可能性があると理解する事です。

そして、出来うる限り、人を愛し、自分を大切にする事を教えましょう。


そうでなければ、教師も、生徒も、これからの日本も、惨めなものになってしまうでしょう。

そして、いつでも、心の悩みを相談できる社会を、みなで築き上げたいと思います。

見て見ない振りをしない社会を。


自由という名のもとに、権利の名のもとに、好き勝手を許してきた日本の、

つけを払う時が来たのです。





禅に興味を持っておられる方は多いと思います。


禅と言っても、「ただ座ればいいのです」的な指導者が、多すぎると思います。

一般人をバカにしているのか。 それとも、その人が、それ以上教える事を知らない人か。


禅には必ず十牛図というものが、かかわって来ると思いますが、口では教えられても

本当の体験としてそれを理解し、本当の理解の上に人を導ける指導者は、

滅多にいないだろうと思っています。


しかも、十段階にまで行けば、普通の人と見分けが付かないくらいに普通の人となって

市井に出てくるので、その神の如き存在は、見える人以外には見えないという事にもなる。


それに、禅は精神修養だから、宗教とは違う、と言ったり、

宗教はうさんくさいが、禅は違うと言ったり、

ただ座れば、自然に分かるものだといったり、

本当にウソつきが多い。 吐きそうになるような事を、平気で言う人が多すぎる。


こんな事を言う人は、禅を教えるにふさわしくない。

禅とは、高い精神性と、たゆまず探求する真理を追及する心がなくては出来るものではない。


そして、宗教にもそれは必要であって、その心無く、ただ有難がっているような宗教人は

未熟者というものなのです。


人は誰でも最高の環境を手に入れられる人ばかりではないので、それも仕方のない事

なのかも知れませんが、未熟者が教えようとするので、その下の者が道を迷うのです。



本当の悟りというものは、どんなものでも、同じ順序をたどるものなのです。

ただの一段も、抜かしては、到達できぬ高みなのです。

その間にため直され、鍛え抜かれるので、どんなものにも動じない強く優しい心が

出来上がるのです。

そして、出来上がってからは、市井に出ることを求められるので、

それが、恐ろしく、つらい事なのです。 正しく優しい世界に留まっていたいと思っても、

それを許す神はいないのです。

出来上がった者には、市井に出て、人に尽くせと言われるので、つらいのです。

(このつらさを克服するのが、九段階の卒業試験です)



そのつらさも乗り越えた者だけが味わえる世界が、この世にはあるのです。

だから、本当の悟りというものも、ただのたわ事では、ないのです。


そしてその到達点は、たゆまず努力する無欲の人と同じ心なのですが、

その顔はおだやかで、一片の曇りもない、清清しいものになるのです。


そして、人は、その穏やかな人に、逆らえるものではないし、逆らう事もしません。

なぜなら、普通の人は、バカではないからです。


だから、「自分の言う事を聞いてくれない」 などと言う指導者は、未熟者なのですよ。

あのね、みなさんが占い師に求める事は、自分の開運でしょう?

私もそれがしたいの。


でも、多くの人が求めるものは、何も努力しないで、とっても運のいい人になる事です。

そんな事が、ほんとに出来るとお思いですか?


船の操縦も知らずに、海に行けると思っているのです。

海のルールも知らないで、100万t のタンカーを操りたいと言うのと等しいのです。


甘っちょろい自分が、本物になりたいと思った時、

パソコンで検索をかけるように、自分の中に何があり、何が無いかを、一度はざっとでも

探って(さぐって)みる事が必要なのです。


あなたにもともと運がないなら、凶名は吉名にする作業が必要になってくるでしょう。

が、時の運も加味されますので、これをまず判断しなければ始まりませんよね。


そして、もっと大事な事は、運の悪い人はいい先生には会えないという事実です。

吉名は、まず、良い先生に会える環境を作ってくれます。


占い師が、「私のお客は、駄目な奴ばっかりだ。不倫問題専門だ」などと言う時、

その先生は、自分が駄目なものばかり引き寄せている駄目な奴だという事を

知らないのです。そんな、自分も救えない人に、頼ってはなりません。


ですから、運を開くと言う開運の前に、自分は(自分の船は)どっちを向いているのかを

知る必要があるのです。


その点で、まず、正しい方向へ船の舳先(へさき)を回すという意味で、

回運から始めるべきでしょうね。  灯台を見つけた船が安心するようにね。


あなたに何が出来るかな?  あなたは何がしたいかな?

たとえ、あなたの希望が通らないように見えても、天の英知は、

あなたを一番良く使いたいと、いつも思っているのですよ。

あなたの、思いもよらない人生を、準備しているものです。


ですから、いつも気をつけて、罪を犯さず、精一杯明るく、

真面目に生きてみましょう。


天使はあなたを待っているかもしれません。

あなたの準備が整う日を。


おはようございます。みなさんは、おげんきですか。

”なに? 元気ならここを見ない?”   そんな事を言わないで。  元気を出しましょう。 


私達はいつも、自由に行動しているようで、実は、そんなに自由でもないのです。

なぜなら、ある有名な大富豪の女性ですが、姓名からのすべてのラインが、奉仕性を持って

いて、奉仕する事が宿命づけられているのです。

しかし、そのお陰で、彼女は仕事を得て、お金も得ているのです。


どうですか? 私達が失敗しやすいのは、人に奉仕性を持たないからではないでしょうか。

得る方ばかりを最優先にするから、かえって得られないのではないでしょうか。


得るためにはまず与える。 そうであるならば、見返りは、そんなに早くやってこなくても

驚くにはあたらないでしょう。 焦り、急ぐから、いつまでも来ないような気がするのです。

でも、そんな事はありませんよ。

天網恢恢祖にしてもらさずの通りに、天の神は無慈悲ではありませんよ。

あなたの望む時にではないにしても、天の望む時に、ちゃんと与えてくれます。


だから、どんな罪も許されないのです。 自分が得るときに、減らされないためです。

思う存分に与えて、思う存分に受けましょう。


そのためには、まず、何事も思い煩わない練習が、必要なのです。

一歳の子供に10kgの米が持てないように、訓練され、体力と気力が充実した者でなければ

栄誉は受けられないのですから。


あなたが存分に栄誉を受けるために、十分に訓練されなければなりません。

そして、訓練とは、この世の真実を知り、どんな不利な条件にも、不正をしないと

誓う事です。 それが出来て、はじめて開始されるのですから。

誓う決心も付かない者には、何事も始まらないのですから。


棚から牡丹餅は、ありませんよ。 そんなにこの世は、甘くありません。

でも、正しい愛の心を決心した時から、すべてが、栄光へと向かい始めるのです。


だから、思い煩わないで、さあ、今日から始めましょう。 そう、たった今から。

10年後に喜びの握手をするために。

彼らの常識を信じます。いたずらっ子が、急にたたかれて無口になった。

ほんとのアホなら、無口になんかなれない。


彼らのした事は、反則で、危険で、汚くて、恥ずかしい事で、

日本人が今まで大切にしてきた尊厳を、日本人自身が踏みにじった行為で、

許されるべくもない行為ですが、それを楽しんで、多くの人が見たのです。


彼らがテレビに出た時の不遜な態度は、パホーマンスだとしても、気持ちの良い物では

なかったはず。世界の対戦者に対しても恥ずかしかったはず。

なのに許してきた。


日本自身のタガガゆるんだとしか思えない。

その影で、ちゃんとしている人々に対しては、評価が低すぎる。

日本自身がバカになったとしか思えない。


政治家の横暴と、役人のウソと、金銭に対する不正行為は、彼らをしのぐじゃないか。


でも、日本人よ、もう一度立ち上がれ。

正義や、、マナーや、希望に対する高い見識は、日本人の十八番(おはこ)だったじゃないか。

人の振り見て我が振りなおせである。


毅然とした見識と、意欲によって、亀田親子だって再起できるはずである。

日本人ならそうしてほしい。


彼らの人間性と努力を信じます。負けないで、再起して。

そして、ほんとのいい男として、もう一度顔を見せて。

いくら泣いてもいいから、自分を見捨てないで。  待っていますよ。


その昔、私は、ALECAの基本カラーをブルーにしたくて、いろいろ考えた。

色彩占いのような本を買ってきて、一番好きな一色を、「私の色をこれに決めたいが、いかに」と、

易経に問うた。 すると易経は、「もっと受容的になれ」と答えた。

私は、受容的とは何か考えた。

そして、本を読み返してみれば、人の目は、1000万色を見分けると言う。

ブルーといっても、千差万別あったのだった。


でも、その中の一色は、確かに私の大好きなものであった。でも、受容的になれという。


そして今年、念願のホームページができたが、プロの人が作ってくれた色彩は、私の想像を絶する

美しい青となった。


その時プロはすごいと思った。人の話を聞いて、人の希望を聞いて、こんなにも美しいものを

この世に誕生させるのだと。我を張る事の無意味さを感じた一瞬でした。


色彩と書いて、17格。

マンガ家や、芸術家、美術愛好家がみな持っている芸術の7系です。

鋭い感性と、きわめて鋭い視線から成り立っている7であろうと思う。


また、一徹の7系は、何事もおろそかにする事ができず、自分を極めたいと望みます。

千差万別にある色彩を、そのキャンバスに残したいという、飽くなき希望を持つのでしょう。


さあ、あなたは色彩に興味がある?  それとも無い?

あなたは、自分に合っているものにしか、興味を持ちませんよ。

そして、相性の悪いものを、「好きだ」とは、言わないのです。