ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり -23ページ目

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

私はラベンダーの香りが好きで、線香の形をしたものを北海道から取り寄せています。

もう10年も使用していて、仕事中には是非ほしい香りになっています。

私のお客様の中でも、香りの苦手な人がいらっしゃいますが、皆様はいかがでしょうか。


ラベンダーと書いて 13格。   aleca も13格。  同じ英知の13と、言えなくも無い。

このように人は、知らず知らずのうちに何かを選んで生きているのです。

ですから、人は、自分が何者か知りたかったら、自分の好きなものを書き出してみるといいのです。




キスと書いて、5格。 陰陽五行で、 男と女を表すう最小単位が、5 というのもになります。

5 とは、大地をも表しています。


いえ、もっと最小単位がありました。

1 と 2 を足す 3 という数字がありました。 それは、セックスを表す3でもあるのでした。

また 3 とは、上記のように英知を表す3系でもあるのです。


こうして見ると、数字とは、なんと意味深長なのでしょうか。

男 と書いて 7格(金)。  女 と書いて 3格(火)。

この火剋金の性格上から言えば、男は決して女に勝てない事を示しています。

女が本気になって怒った場合、男は決した勝てません。 なぜなら、

ケンカは、バチバチとした火花を発して、いつ果てるともない地獄を見るのですから。


でも、賢い女は、決してそんな事はしません。 なぜなら、無益だからです。

やさしい女は、程よく焼いて、男の鉄板を熱くするのです。

そうすれば男は、パンケーキでも、たまご焼きでも、なんでも食べさせてくれるでしょう。

決して焦げ付かせる事のないように、男をやさしく温めてあげましょう。

「男女の幸福」 と書いて、33格の、偉大な帝王数が出てくるのと同じようにね。


MAN  と  WOMAN  も同じ事。  土剋水で女の勝ち。 うふふ。 ね。

10(水)    15(土)  



今年の夏は暑く、それで、一人暮らしの義理の母が倒れました。

近所の方の付き添いで救急車で運ばれ、入院加療。私は愛知県豊橋市に飛んでいきました。

国立豊橋医療センターは、平成17年に定礎された新しい病院で、広々とした美しい所でした。

日々の付き添い、見守りで、一番うれしかった事は、病院のレストランの食事がおいしかった事。


私は考えました。

義母の症状はまあ軽い方だった事。看病を喜んでくれた事。

日に日に回復し、改善を見る事ができた事。四人部屋の皆様が良い人々だった事。

いろいろな事が、私一人の力ではなく、皆様の様々な努力の上に、整然と成り立っていた事。


義母は、一人暮らしの危険に思い至り、「もう、家に帰らなくてもいいから、どこか良い所を見つけて」

と言うので、市役所へ行ったり、介護施設を見つけたりと、大忙しの日々でした。

病院の医療相談室のwさんのお心ずかいのお陰で、すぐに施設が決まり、入所する事ができました。

義母はそこで、毎日血圧、体温を測られ、食事をいただき、人様の手の介護と、温かい見守りと、

配慮をいただきながら、安全に暮らし始めたのです。


どうしても一人暮らしをすると言ってきかなかった義母でしたので、

今度の事では、親族一同ほっとする思いでした。

遠くに住む一人暮らしの老人を持つ親族の、ひやひやする思いを、やっと理解してくれたのかと

思いました。


それにつけても、この世はなんと広く、いろいろな人々の力で成り立っている事でしょう。

埼玉から愛知に車で飛んで帰る、350kmにも及ぶ道程の間に、様々な仕事がつまっていました。

感謝、感謝の日々でございます。


これからも、努力いたしますので、永くご愛顧くださいますように、お願い申しあげます。




                                              依美澄卑親呼


家庭の用事があってしばらくブログを書く事が出来ません。

いつも読んでいただいている方には申し訳ありませんが、用事が済んだら更新していきますので、少々お待ちください。

福岡市、海ノ中道大橋事故。幼い命が死んだ。

痛ましく悲しい事件だ。かわいい三人の御霊が安らかでありますように。

泣き声がやんで、天国で安らかに遊んでいますように。


彼らは大きな犠牲となった。 なんのために? 飲酒運転撲滅のために。

心ある人は、飲酒運転をしなくなるだろう。


心無く、まだ飲酒運転をする者は、その不注意さによって、天の帳面に汚点を残すだろう。

神が定めた教訓を、理解しなかった罪として。

また、人々の目にも彼がどんな人間かを証明した事は、拭い去れない事実となるだろう。


この世は愚か者が多いが、あなたもそうなりたいのか。 ならないでほしい。

自分の人生を、栄光あるものとしてほしい。 (だから罪を犯さないで)



ただ、もっと哀しいのは、親の恨みが強い事だ。 しかし、この世は、無い事は起こらないのだ。

あまりに気の毒であって、また紙面では、詳しい事は書くことが出来ませんが、

一つだけ書くとすれば、三人は、名前が、全くの同格数であったという事。

だから、誰か一人だけ助かる事は無かったという事。


本人が話が聞きたいというなら、いつでもちゃんと説明してあげる。

自分を知って、人を知って、恨みから開放されてほしい。

本当の事を知れば、あなたは二度と、泣かなくなるだろう。

犯人を殺すなどと言わないで。かえって、幼子の冥福のために、祈ってほしい。

犯人を恨むために時間を使わないで。


どんな子供にも宿命がある。

それは、私達ではどうする事も出来ない部分も多く含んでいる。

しかし、私達にも出来る事はある。 それは悪名をやめること。

そして、どんな些細な罪でも、罪は自分にはふさわしくないと思う事。

自分のために。未来のために。



みなさんは、自分はいかほどの仕事もしていないと、お思いですか。


月、10万円のバイト代ならば、10万円の価値しか無いと、お思いですか。


確かに世の中には、ずっと高額の金銭を受け取る人もいて、いわゆる、その、セレブと言う人達も居て

そのきらびやかな生活に人々は目を奪われ、脅威にすら感じてしまう始末です。


確かに彼らは、この世で楽しむ運命を持っているかもしれません。しかし、

その多額の金銭を使うにふさわしい人物かどうかというと、そんな事もないのです。

(日本の場合?)特に、大抵が大したことがなく、遊ぶ事しか考えていない人々が多いのです。


遊ぶなら遊ぶらしく、遊んだところをきれいにして来るぐらいの事を、してもらいたいものだが、

今の世は、セレブにすら、人間らしい立派な態度や、精神を養ったりはしないものらしい。


ましてや、各地域のチンピラとも言える少年少女、無法者達は、善良な市民に迷惑をかけても

逆切れするのが関の山で、有り得ない無能(?)ぶりである。 (不幸は自分で紡いではいけない)


お金さえ持っていれば何をやってもいいと思いがちであるが、そんな事はありませんよ。

結局は、名も無い善良な市民が、この世を継いで、この世の秩序、安定に寄与しているのです。


その善良な市民に、薄給とは。 (今の理不尽なほどの低給料は、市民に対する泥棒行為である)


でも、考えて欲しい。薄給にも耐え、自分の子を良い人間に育てる事は、偉大な事である。

その善良さを受け継がせ(家訓のように言い聞かせ)ていけば、その社会貢献度は、2兆円にもなる

のです。あなたは、2兆円の総資産を継承した事になるのです。


しかも、(誠実とは)誰にも取られない、堂々と受け継がせる事ができる遺産相続なのです。

そんな世代が何代も継承された時、その血筋には、偉大な人物が生まれてくる。

その偉大な人物とは、今生きているあなたなのです。

誰にはばかる事もありません。その栄誉をうけなさい。


だから、近視眼的になって、罪を犯したりしないで。

自分には力が無いのだと、卑下しないで。


多額の金銭を持っていながら、使う一方で、社会に何の貢献もしない、今セレブなど

ほっておきなさい。

いずれ逆転の時が来たとき、静かに見送ればいいだけですから。

そして、自分こそ、汚濁の道に進まないように、気を付ける義務と責任、権利を有する者なのです。


ですから、政治が何をするかを見届けるのも、私達の責任でもあるのです。

子孫のためですから。私達のためですから。

あなたは、自分が今、2兆円の資産を持つかも知れないのに、それを投げ打つのですか?

ルーツの起源になるかもしれないのに、自分の栄光を、投げ打つのですか?


キリストも、仏陀も、物品は何も持っていなかった。でも、2千年の栄光を手にしたのです。

正しい思想は、屋久杉をも超えるのです。

正しい事こそ、時間が必要なのです。ゆっくり正しく成長すれば、それでいいのです。

映画 「 HERO 」 この格数は、3+4+3+1=11

11格は、ナショナルの創業者 松下幸之助さんも持っている、温順、慎重、着実の大吉運であり、

例え失敗しても再起する、ちょっぴり地味だが着実に築き上げる、ラッキーな大吉運なのです。


この映画が人気だというのは、人々がまだ正純で、良い感覚を持っているという事ですね。

私はうれしいです。


主人公の久利生公平も、大変好きな名前です。

久しく利を生む、公平な人。 なんてステキな名でしょう。 彼はその通りにしています。



このように名とは、この名を冠した時から、主人公は勝手に行動し、その成果をみるのです。

作者が書いているようで、実は書かされているのです。実際にそうであって、例え作中の人物でさえ

その性格は、数字の論理から逸脱したものでは、決して存在し得ないのです。


この事は、私がたくさん記録してある映画やドラマの表題、登場人物、地名との関係性などなどから

見ても、驚くほどに一致している事実です。そして、これは現実にも当てはまる事なのです。


ですから、間違っても悪名は付けてはいけない。

酒鬼薔薇聖斗と書いた時から、彼は鬼になったのです。

(姓10+10+18+18=56 もの事がみな裏目に出る大凶数。強い精神力が欠落する数名。

 名13+4=17 一徹型の吉でもあるが、金属(17は金)をもって社会を裏切る関係性を持つ。

 外格(社会面)10+10+18+4=42 器用貧乏の最大凶。過保護の元で成長し、嫌なこと

 からは徹底的に逃げ、悲鳴をあげて生きていくという大凶数です)

まるで、彼の罪を見ているようで、とても悲しいです。

それが証拠に彼は、裁判所でこの名を取り上げられてから、つき物が落ちたように落ち着いたのです。


背中に悪漢字の刺繍をしたツナギなどは、大抵がひどい当て字で、彼らが更生しないのも当然か?

「朱に交われば赤くなる」の通りにね。


どうせ交わるなら、成功者の名に。

どうせ交わるなら、善良な名に。

どうせ交わるなら、健康な名に。 それが証拠に、

春や秋の叙勲を受けるような方々は、ほとんどが総画(晩年運、総体運)が吉数でありました。


それもこれも宿命と言えなくもないが、出来得れば、悪名は吉名に。

同じ人生を生きるのです。同じ時間を生きるのです。であるならば、吉の時間を生きたいものです。






今日は、言葉、文字に付いている数字に付いて、特に大切だと思う事を、書いてみましょう。


「真理は数」 「数は真理」と書いて、(10+12+4+15=41)(15+4+10+12=41)。

41格というのは、大器晩成の最大吉数です。

この41は、実力者の代表数であり、頭脳明晰で、強靭な性根を持ち、健康にも徳望にも恵まれた

吉運数であり、必ず世に出て、大きな仕事をする人に付いています。


私はいつも思っていますし、考えています。 数字は神の道具であり、拝む対象ではないと。 

しかし、その、凶数と、吉数の差を見れば、その難易さには歴然とした違いがあり、

簡単には超えられない大きな壁のように、人を左右してしまうのです。


それが証拠に、人は、吉数の人、事、物が、大好きです。

「冬のソナタ」が、なぜあんなに人気があったか、そこには、13格という人気運数が付いていました。


東京都知事の石原慎太郎さん、元総理の小泉純一郎さん、元参議院議長の扇千景さん、

みな大吉の名を持っておられます。(その関係性は目を見張るものがありました)

(昔の都知事選で、7名立候補された時、大吉名だったのは石原さんだけでした)


それに引き換え、安倍晋太郎さんは、優しすぎる名前となっています。

外格と主格と総格が、それぞれ水の数字を持っているとき、(これは私が名付けた言い方ですが)

「水の三角 」と言って、不運を表し、人当たりの柔らかい、優しさとも取れる弱さを象徴するのです。

この優しさを克服するのは、至難の業と言えるのです。(ですから今は大変な努力をされています)



また、映画の題名を見てみれば、題名が吉数の時、その結末は必ず良いという事。

題名が凶数の時、だいたいがその内容は暗く、結末が悪いです。


例えば、「武士の一分」という映画の場合、(8+3+1+1+4=17となります)

17格は吉数であり、一徹を表す数字なので、最後は良く、武士は一分を通したのです。


また、昔見た外国映画で、「顔のない天使」というのがありました。

これには、38格が付いていて、優しさを表しています。

THE MAN WITHOUT A FACE 

これが英題ですが、これを数えると47格となり、天恵を得た大吉数となるのでした。

これは、行っても引いてもいいと言う吉数であって、主人公は実際にそうしています。

主人公マクラウド先生と、犬のミッキーは大吉関係であり、

生徒になるチャック・ノースタッド君も、先生とも犬とも吉関係でした。

でも中程でCHUCKとMCLAUDは、接見禁止となり、CHUCKの方から離れて行くのですが

離れて行く方も、数の関係性から決まっているのです。先生から離れていく事はないのです。

その通りに、先生はずっと、遠くでチャックの成長を見守り続けたました。


このように調べていて、私は、映画を見ずとも、題名を見るだけで、話を想像するようになりました。

(主人公と登場人物の関係性、その吉凶と、去っていく者、好きになる者などの関係性等々です)


そして、「数は真理」というように、このようにして現世はできているようです。

今までいくら調べても、この「数は真理」、「木火土金水の陰陽五行」に、逆らう現実は

見た事がありません。例え、それが宗教家の名前でも、外国人の名前でも、地名でもです。


「数字は 真理なので 真実を 隠すことがない」と、書いて、45格の最大吉が出てくるようにです。

順風満帆の最大吉で、出世街道を突き進むが如くの、富貴繁栄の大吉数なのでした。


皆様は、どうお感じになられましたか。

数が隠すことがないように、私も真理を隠すことはありません。 それは意味がなからです。


あたたがたは、まだ、数字を見る方法は知りませんが、もっと知れば、人生はずっと

生き易いものとなるでしょう。


自分の嫌いな人を憎む事もなくなり、自分の不満な情況を、恨む事も無くなるからです。

人生はすべからく、なるようにしかならならない事を、知る事になるからです。

ただ、勇気を持って、人を愛し、やれる事を一生懸命やるしかないのが人生だと知るからです。







おはようございます。暑い8月も、はや終わり、道路沿いの草草はもう秋の顔をしています。

皆様は、お元気でお過ごしでしょうか。


それにつけても、道端の木々は、なんて種類が多いのでしょうか。

高い木、低い木、太った木、細い木、生き生きしている木、枯れそうな木、

まるで人間のように、雑多な種類が一堂に会しています。


雑木林の様相を呈して、みな仲良く(?)植わっている。

その中の一本の木を見ても、所々葉が枯れていたりして、全くの健康な木は無いかのごとくです。

それが、一般庶民の私達(?)


ひるがえって、新宿御苑などの、管理された木は、とても美しく、みなが愛でる憧れの木。

まるで、セレブや、芸能人のように、美しい(?)


あなたは、どちらが生きやすいか?

管理された木か、 自然の木か。

それらも実は宿命があって、本人が決めたように見えて、実はそうで無い事が多い。


雑草は、どこにでも生えてくるのに、種を取って植えようとすると、場所を嫌ったり、

時期を嫌ったりして、あまりうまく育たないのだそうです。

まるで、育てにくい少年少女のように。


今の教師は、それが分からない。

みな一律の立派な教育を受け、ほんの若い年齢で教師になるのです。

雑多な者の気持ちが分からなくとも仕方が無い。

また、それを監督する上級の官吏は、お金持ちや、優秀な家系に生まれ(?)

高学歴で、高給取り。 分かるはずが無いとも言える。

今の教育制度の不備は、ここから来るのです。


昔の寺子屋の先生は、高級な家には住まず、庶民と一緒に生活をしたのです。


今の役人が庶民感覚がないのも、高級官舎に住み、庶民と隔絶した生活をするからです。

季節ごとにデパートに行って、高級な洋服、お届け物を調達して、あちらこちらに配り歩く生活を

するために、高給取りでないといけないので、庶民の納めた税金を、湯水のように必要とするのです。


まあ、どちらも宿命と言えなくもないが、せめてリーダーは、すべてを見渡せる高い場所に立って、

一層から十層までを、十分に養える目を持ってほしい。


あなたは、一本の木。 あなたの周りを幸福にしてほしい。

そうすれば、地域が、日本が、世界が、良くなっていく日は近い。


宗教と宗教の対立など、有り得ない愚かさなり。

人の国に毒物を売りつけるなど、有り得ない愚行なり。

報道の自由といって、愚かな見世物を宣伝するなど、この国を衰退させたいのか。


あなたは、一本の木。 あなたの周りを見回してほしい。

泣いている人はいないか。痛がっている人はいないか。

食べ物を求めいる人はいないか。

義に飢え乾いている若者はいないか。誰が教育をしれやれるのか。迷子はいないか。


あなたが今できる、良い事をしようではないか。一つでも、三つでも。

たとえあなたが雑草でも、役に立つ事はある。

地を覆い、大地を守り、太陽と会話をするからである。


あなたは一本の木。 さあ、何になろう。 さあ、何ができるか。

希望を胸に生きれば、千年生きる事も可能であるよ。

立派な思想を持てば、それが正しければ、二千年の栄光も、夢ではないのです。

私が、ニュースなどから取り上げた地名や人名の内、こんな事はおかしいいんじゃないかと思った事は

実は一つもないと言えるほどに、物事は理路整然として、理屈が通っていた。


悲しき哉、不幸な人には不幸な名が付いていた。本人の努力とは関係が無いかの如くに。

無残な死に方をする人は、無残な名が付いていた。

成功する人には成功する名が、付いていた。


そして私は、これら悪人生を改善する方法があるはずだと思って、七転八倒してきた。(それも人生)

その間、皆は、まるで、飲めや歌えや、気楽に行こうぜ、頭はどんどん軽くなり、判断力の低下は

目も当てられない程に軽くなった。

まるで、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が、あまりの世の変化に、あきれてポカーンとするように

あきれ返ってしまうほどに世界は乱れた。


もっとも、私は遊びに行った訳ではないので、竜宮城とは違うかもしれない。

いうならば、神の山に修行に行ったのだから、金太郎の方かもしれません。 (体型も似てる?)

成長して戻ってみれば、自分の知っていたしっかり者の日本とは違っていた。


それを、易経に尋ねてみれば、「小粒の者が幅を利かす世界」と、答えた。

インターネットの世界を尋ねてみれば、「泥海」と、答えた。

「あまり信用してはいけないのか」と問えば、「してはいけない」と。


まあ、なんて事でしょう。信用してはいけない世界がこんなに蔓延(まんえん)して。

「では、私は、こっそり手を引いて、このインターネットが蔓延する世界から逃げていようか」と問えば、

「世界をよく見なさい」 「信用してもいい人達も居る」と、答えた。

そして、私が逃げる事を許さなかった。 だから今がある。


名づけの世界も同じ。もう悲しい名を見るのはたくさんだ。この世はなんて苦しみに満ちているのか。

そう思って、名づけ、姓名判断の世界から逃げたいと思っても、許さない御者がいた。


私はこれからも、悲しい名をいっぱい見るだろう。成功する名も。

それを判断して、人の役に立てるだろう。人生の改善を、提唱するだろう。それが私の仕事だから。


人はよく、「名前なんて」と言います。

けれども、そういう人に限って、「今日の占いは~~」と言う。「スピリチュアルがねー」とか、

「このお守りを持っていればねー、こんな事がいいのよ」などなど。

そんな程度で成功するなら、この世はこんなに乱れていない。 

そんなちっぽけなお守りで救われるなら、人はこんなに泣いたりしない。


それら小粒な人々の、甘い言葉に簡単に乗って、なんてこの世は住みにくいなどと、言うなかれ。

住み良い世界を作っていくのは、私達に課せられた宿題なのだから。


また、どんなに小さなお守りでも、その人が心を込めれば、祈りは叶う、というものです。

だから、どんな時も、自分を卑下しないで、希望を胸に、立派に生きる事を考えてほしい。

人と違っていていい。みな、唯一の存在なのだから。


そして、どんな時も、改善、改良される事を、恐れてはいけない。

良い人生を選ぶ事は、あなたにとっても、ご先祖にとっても、子孫にとっても、良い事なのだから。

自分の人生が悪いなら、その悪名を変えて生きるのも、一考の余地があるというものなのです。



「絶対に許さない」と書いて、(私は本字でかぞえますので、対は14画となります) 

50画(格)の凶数となります。50格は、晩年不安定、一身大難の晩年となる凶暗示があります。


「絶対に、絶対に、許しません」と書いて、

「12+14+3+、12+14+3+、11+1+4+3+2」=79画(格)。

79格は物事のけじめに甘い所がある、人に信用されない、晩年不遇の逆難運の凶暗示がある。


こう叫ぶ事が、人間として正しいように思えますが、決して、決してそうではありません。

天の数理は、そんな事を許してはいないのです。そして、本人の晩年の不幸を呼ぶと言っている。


それが証拠に、人を愛する数字の2を足せば、50の凶は52の大吉となり、

79+2は、81の、これ以上にない最大吉数となるのでした。

(数字は、1~81格まであり、その中でも52格と81格は、まれな大吉数となるのでした)


では、可哀想にも犯罪に遭ってしまった若い女性の苦しみはどうするのか。

肉親のいたたまれない苦痛はどうするのか。

身内や、友人知人の苦痛、悲しみはどうするのか。 


そう叫びたい気持ちも分かりますが、では、彼女の名に「思いもよらぬ不幸、災難に遭う」暗示の名を

潜ませ(ひそませ)、付けたのは、親ではないのか。誰がその名を付けたのか。

親の名にも、「最も危険な災難運」の暗示があるのは、どう考えたらいいのか。

(これ以上詳しい事は、私はここでは書かない)


この世は、無い事は起こらないのである。

ただ、その苦しみを乗り越えて、良い人生を築く事しか残されていないのです。

犯罪に遭った苦しみは、後の人の役に立つ、犠牲でしかなく、

あだ(仇)を打つためでもなく、

憎しみを生きながらえさせてもよいものでもありません。

ただ、愚か者だけが、罪を繰り返し、地獄の世を、何世も何世も繰り返し生きるのです。

克服されない悲しみです。



だからと言って、私は、犯罪を許している訳ではありません。

犯罪者は、一身をとして罪を償うべきだと思っています。 その点で、今の刑法は緩いかもしれない。

犯罪を今やめなければ、来世も人殺しとして罪ある人生を生きるのかもしれない。

こういう人には子供が生まれないかもしれず、種(しゅ)の断絶という罰を受ける(?)。

もし、子供がいれば、その子が親の罪を背負う事になる。

その子の犠牲によって、その種が許しを受けるかもしれない。いずれにしても罪な事である。


私は、どうしたら、その事を親御さんに伝える事ができるのだろうか。

もし、私の目の前に来たら、私は、一身をかけて、説得するのに。

会う縁、救われる縁は、無いと言うのか。

もし彼女の縁者がいたら、伝えてあげて。

泣き過ぎないようにと。憎しみ過ぎないようにと。

それはすべての人にとって役に立たないからと。

役に立つ事は、ただ一つ。 親御さんが、憎しみから解き放たれる事だけです。

その時、あなたの血筋は、解放される。あなたの苦しみが、役立った事になる。

人類の英知となり、この世を救う力となる。栄光の種(たね)となる。

そして、多くの苦しみの人を、救う種(たね)となる。