ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり -19ページ目

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

どこかの(いえ、日本のある銀行だが)アホな銀行が、アメリカのサブプライムローンに(?)

関連して、1000億円の穴を開けたとか。


それで再び、国民に支払うべき金利を圧迫して、国民の血税で尻拭(しりぬぐ)いをしようと

抜け抜けと考えているとしたら?


なんて悲しい国民でしょう。


国内を豊かにするための貯蓄が、儲かるという名目で全部外国に投資され、

すっかり穴を開けられても、外国に文句の一つも言えないお人よし(?)


これを世間では「バカ」と言うのです。 賢(かしこ)いはずの「バカ」。


経済の読み違え(?)  いえ、違うでしょう。

協力という名目の詐欺にあっているのでは、と、感じるのですがね。



国内の生産を豊かにしましょうよ。 国内にお金を投資しましょうよ。

国民にツケばかり回さないで。そう、思うのですがね。


役人の給料だって、44兆円。 馬鹿な。 有り得ない不平等でしょう。

半額にしろとは言いませんが、せめて今の支給額の三分の二、四分の三にすれば

10兆円~20兆円は軽く浮くのに。

どうしてそこから始めないの?


どうして、税金を上げるばかりの会議や相談になるの?

頭が悪いの?

それとも、国民は、血を吸うための道具だとでも?


黒塗りの高級外車が、5年で買い替え? 1000円で下げ渡す。有り得ないでしょう。

いったい誰のものになるの?

誰がそんなものを受け取り、誰がどうやって売り飛ばす?

そこんとこハッキリしてよ。と、言いたいですね。


日本の良いものに、もっともっと、日の目を見せてあげましょうよ。


「水清ければ、魚住まず」と、馬鹿な大人が新聞に書いたようですが、今の日本、

「水汚すぎて、どんな犯罪も起こり得る」 それを黙認していいのでしょうか。


日本人一人一人の思慮ある、英知ある視線を無駄にしないでほしいと、思う今日この頃です。





余談ですが、

国民の身体を犠牲にするような、中国食品の台頭は、あってはならない事でしょう。


今回のことでまたまた発覚した中国の危うさ。不潔さ、金儲け主義の野蛮さは、

立派であろうとする国家としては、はなはだ不十分な過程を、露呈してしまったと思う。


こんな事を何度も繰り返し、他国に脅威を負わせるような国家は、「恥(はじ)」だとして、

頑張らないといけないでしょう。

他国のせいにばかりしていては、長い歴史はどこへ行ったの?


私は中国の思想が好きでした。英知と思慮に満ちた思想が好きでした。

でも、今の中国は恐い。

何をしても人のせいにするから。

国策として、日本を敵視排除すればどうにかまとまる時代は、もう終わったと思うのですがね。


中国残留孤児に、あたたかい寝床とご飯を下さった国民は、もう居ないと、言うのでしょうか。

日本に漢字を教え、仏教を伝授して下さった国民は、もう居ないと、言うのでしょうか。

どんな汚い事をしても、恥とも思わない国民になってしまったのでしょうか。


私は、そうは思いたくないです。

中国人の英知を見せてください。おおらかな誠実さを、見せて下さい。

私の大好きな中国で居て下さい。 お願いします。 心からお願いします。







世界に冠たる誇り高き日本人の、最低賃金が低すぎます。


時給 800円 × 一日4時間 × 週4日勤務 = 12800円

それを4週間働いて、一ヶ月のお給料が      = 51200円


これで、どんな人に、どんな誇りを持て、と、言うのでしょうか。

しかもその低賃金から、さらに税金を上げようという。 その議論、おかしくないか。


トップに立つ政治家は恥ずかしくないのか。


ODA、そのお金は、庶民の血税じゃないのか。


世界からバカにされるような使い方をしたら、どこに顔を向けて眠るのか。

それでもよくやった、と言って、多額の給料や退職金を恥ずかしげも無く受け取るとは、

いったいどういう神経をしているのか。


慣れすぎた政治の世界に生きている? 日々自分の事で精一杯?


自助努力? 弱者? 強いものが全部取る? まるで獣道(けものみち)だ。

狩猟民族の考え方だ。

狩猟民族のやり方、それに、慣らされ過ぎてはいないか。


彼らは有るところから取るやり方なのだ。耕したり、育てたりしない。

たとえ育てたように見えても、養分を吸い取ったら、他の獲物に乗り換えるだけだ。


後に残ったものは、お人好しの日本人の屍(しかばね)、というのは、いただけない。


政治家がそれに加担してはいけないのです。

自国民の血を差し出して、バカにされてはいけないのです。

足蹴(あしげ)にされて、笑っていてはいけないのです。

狩猟民族のツケを、日本人全体に払わしてはいけないのです。


世界にいい顔をするために(?)最低賃金を圧迫して、能力主義(?)をやって見せている(?)

馬鹿な!!!!!!!


たとえ、時給 2500円でも、

時給2500円 × 8時間労働 = 1日20000円

一ヶ月23日勤務としても      月額46万円

税金を引き、年金を引き、控除をなくし、物価高を生きるとすれば、

可処分所得は、いくらになるのか、たぶん20万円ぐらいだろう。

これでどうやって誇りを持ち続けろと言うのか。


それでも日本人はおおらかな(?)な性分だから、革命など起こさない。

じっくり長い目で時の変化に応じて、工夫、開拓、努力をしてきた。


技術は世界に冠たる工業国でありながら、その中小企業の高度の技術をないがしろにして、

国民の歴史の上の伝承技術をないがしろにして、

金儲け主義の、なにも作りださない、株屋や銀行家や政治家だけが肥え太る仕組みを

もうそろそろやめませんか。


日本人一人一人を疲弊させる搾取的やり方は、もうそろそろやめませんか。

大企業も銀行も多額の利益を上げているのに、どうして賃金は下がり続けるのか。


最低賃金を圧迫して国民を疲弊させ、犯罪は増え、おかしな教師が子供のパンツを脱がせ

犯罪まがいのサイトを放置し、放送は事件や犯罪ばかりを報道し、大学教授は履歴を査証し

医者は苦しい産科医や小児科はやらず、救急車は到着しても搬送先がない。


道路は国の血管なのに、道路も無い地方が存在し、(車は赤血球だと、いつも思っている)

心臓のような東京には過剰な血液が供給され続け、もう満杯?


多量の血液は体を生かすために隅々にまで供給されるのが体の仕組みなのに、

ふくろはぎや足は、血液を心臓にもどす大切な構造になっているのに、

今の日本は、足(地方)はいらないと言うのだろうか。

頭と心臓だけあれば、体も生きるはずだと?

どこかの「脳みそ」だけのアニメ、マンガみたい。ああなりたいのかしら。


人が考え付く事は実現するものです。


変な映画の、変な影響を受けて、変な時代を作りたいのでしょうか。

犯罪のドラマばかり放送して、刃物による犯罪を助長したいのかしら。


国を見守るというのは、政治家の勤めであり、醍醐味でしょう。

死にそうな県政を生き返らすのも、やりがいの有る仕事でしょう。


それと同じように国民の一人一人を大事にするのも、それを使う者の醍醐味のはず。

今の大人も、子供も、バカではありませんよ。

一人一人の英知の量としたら、日本は世界に誇れる量を持っているはずです。

それに見合った賃金は当然のはずですよね。


会社や仕事場に拘束している時間分は、支払うのが当然です。

賃金カットなどありえない。働いた分は支払いなさい。

企業は低賃金の分だけ、国民や社員に借りをつくっているのでよ。

人に借りを作っておきなだら、偉そうに査定する? ありえない厚顔さです。


世界も、ODAと言う日本国民の血をいただきながら、日本国民をあなどるとは

なんと厚顔無恥なのでしょう。日本人は、もう、いい加減怒りましょう。

いい加減な使い道のODAは、使い道を追求しましょう。

核開発をさせて、日本人を攻撃させるために、ODAを進呈する事はやめましょう。


体の隅々にまで、清冽な、生き生きした血液を送りたいものです。

せめて、血液(血税)を捧げている者に、勇気ある生き方が出来るようにしてもらいたい。

日本はそれが出来るはずです。

アジアの冠たる日本であり続けて欲しい。

そして、世界に不平等や搾取や民族紛争をなくすのも、

日本人の英知ではないかと、私は、思っているのですがね。


人が考え付く事は、実現するのです。

私の考えが実現する時が来る。

それは、庶民の声が力を持ち、大きく反映される時代が来たからです。


そして、我々日本人は、世界に冠たる勇気と、行動力と、研究熱心さと、工夫力と、

学問の高さと、それをうまく使う能力とを持った、秀でた人種だからです。

愚か者を放置せず、その人の生きる道も考えたい、心優しい民族だからです。

歯抜けではない、牙も持っているのに、人に優しく接する事の出来る民俗だからです。

人集差別をしないおおらかさと、どんな英知も工夫し、自分達が使いやすいように

工夫変化させ、良い物や、おいしいものを作ってしまう国民だからです。

柔軟なのです。

他国のそういう良い人々とも、心を通わせ、一致協力できる民族だからです。


それらの国民の一人一人が、見合った賃金をいただくのは、当然の事でしょう。

政治家や、トップに立つ人は、それらも考慮した最低賃金を算出して、

繁栄有る日本としてもらいたい。


そんな事は、実は簡単に実行できるはずの日本だと、思うのですがね。













人が出世する時、第二、第三の名を持つように、私にも新しい位階が与えられました。


「光明心殿」という言葉は、大字典№567の「光」の中に書かれていた言葉ですが、

「密教にして、本来より具(そな)われる”心の覚徳”をほめて言う言葉」と、ありました。


また、覚徳の「覚」と言う言葉は、大字典№10856に示されている文字で、

本字では 部首 見 の13画と言う事で、20画になる文字です。

この20画というのは、もう皆さんもご存知のように、「人を愛する」という意味を持つ数ですね。


そして「覚」の意味はというと、

  サトル、サトス、悟了ス、シル、シラス、オボユ、オシユ、告ぐ、会得ス、サトリ、悟了、賢者、

  聖人、仏陀の称、神霊の称、発ス、明ナリ、大ナリ、直シ、星ノ名、夢醒ス。

  悟了すること。見て真理を見得する義より見るを書くなり。

  本字「学」の省画を音符とす。転じて、悟了し得たる人、聖賢または仏陀、神霊等の義とす。



と、ありました。私が漢字が好きなのはここです。文字には意味があるからです。

そして、この「覚」という文字を考えた人は、このことの意味を知っていたのです。

このことの意味を知っている事の方がすごいと思いませんか。

また、もっとすごいのは、印刷して売っている人がいるという事です。

誰が読むかも分らないのにですよ。



余談ですが、学校で教えている「覚」の画数は12となり、この12というのは、

犯罪の加害者、被害者の最大凶数であり、何を考えているのか分らないポーカーフェース、

正体不明の12であり、政治家に多い数字です。


(学校で教える数字がこんなにいい加減だから(?)いい子が育つわけがない(?))

(真理は目くらましにあっている(?))

「覚」は、人を愛する覚です。                  (犯罪者の12の訳がない)

大ナリ、直シ、悟了(悟り終えた)せし賢者の覚です。    (未熟者の訳がない)


また、未熟者がこの「覚」を持つ事はありませんが、

持ったとしたら、自分で意味が分らずに、かえって病気にもなるような事が起こり得るのです。

それほど文字とは、大きな意味と、宿命と、許しがないと、存在しないものなのです。

ですから、今の風潮として(親の愛情なのですが)、とても偉大な名を持たされすぎて、

死んでしまう子が多いのも本当です。悲しい現実です。



ですから、私はこれからも言い続けます。

よい子を持ちたかったら、あなた自身が、今日から一切の悪をやめてください。

自分のためです。子孫のためです。



去年の春に、「新しい光りの助け手を上げる」と、言われた事は、

今日ここに、「光明心殿 小濱白光の誕生」をもって成就されたのです。

私の名が完成する時は、いつも今日のように、良い天気です。

いつも、いつもです。

ずっと雨でも、何か新しい事が分ると、さ-っと太陽が照ったりします。

ですから、私にとっては、今日の好天は、分っているようなものです。

何の違和感もありません。


(光り、光り、と言っても、照りすぎて植物を枯らしては、何の意味もありません。

 その事を考えて苦しんでいた昨日、神は「慈雨」と言う文字を、見せてくれたのです。

 「雨」とは、8画であり、光りと同じ8でした。そうです。光りとは、枯らさないものだったのです。

 適度を知っているのが、神の配慮でした。

 このことを知ったとたんに、この「光明心殿 小濱白光」と言う名が、姿を現したのです。

 この画数は麗しくおおしく、温かく、幸福な数字でした。

 私の愁眉(しゅうび)は、いっぺんに晴れてしまったのです)


これらの事を考えてみても、私のご先祖は、隠れながらにも、良い事をしてくれたのでしょう。

涙をしのんで、悪を憎み、良い事をし続けてくれたのでしょう。

私一人の力ではありません。

多くの人々の力をいただいたのでしょう。


みなさんも、たとえ、自分の代で成就しなくても、良い子孫を持つと言う事は

あなたの誉れとなるのです。

だから、心置きなく良い人になりましょう。

誰に遠慮もいりません。

良い人生を選択するのは、あなた自身なのですから。



まるで、東国原英夫さんの言う、新しい政策集団のようですね。 「選択 (洗濯)」

私も彼らが旗揚げしたら一票を投じて、新しい良い日本にする応援をしたいです。

ぜひ、頑張って欲しいものです。


                                     光明心殿  小濱白光




道を捜している人へ。


捜す(さがす=見えなくなったものをさがす)、探す(さがす=欲しいものをさがす)と、

このパソコンの中の解説は書いています。


文字の素晴らしさはここですが、これら内容の違いに、どれ程の人が気にするでしょう。


私の場合、さがすは、捜すであって、なくした心、いえ、見えなくなった心を見つける事が

大切だと思うから、この字でいいのです。


人はよく、欲しいものは外にあって、お金を出して買えば願いが叶うと思いがちですが、

そんな事ばかりしていると、本当に大事なものは何だったのかさえ、

分らなくなってしまいまうのではないでしょうか。


あなたの道は、とんでもなく人と違うとお思いですか?

私はそうは思いません。


もし、皆さんが「私は違う」と考えているとしたら、それは希望であって、

あなたの心の行き着く、落ち着くべき場所とは違うものの事をいっているのです。


希望は大切です。目標も大切です。命がけで取りくむ事業も大切です。

仕事も大切です。金銭も大切です。学問も、技術も、営業も。

たっぷり稼げる道を、是非そういうものを見つけてください。

この世にはお金が無いばかりに、子供に苦労をかけることがいっぱいあるからです。


しかし、そこに「安心」がなければ、最後の関門は通過できませんよ。


人生で、最高、最大、最後の関門は、本当は簡単な事で、

ただただ感謝し、楽しんで、喜んで、自分の命を生き切る事です。

が、自分の使命も分らないものにとっては、それが最大の難問なのですよね。


道を捜すのも人生なら、自分がやってみたい事はこれだと決めて、

一歩一歩進んでいってしまうのも、やり方の一つです。

なにもしないで考えてばかりいるよりも、ずっといいのです。

やりながら捜し、進んでいきましょう。


また、進みながら捜していかないと、結局は生活の忙しさに気を取られて

ぶーたれて、不満だらけなのに、お金はあるから気をまぎらわして

適当に生きていく人間になってしまいます。


そうなったら道も人生もあったものではない。

適当に遊んで、適当に生きて、適当に死んでいく?

まあ、なんと、もったいない。

あなたの人生は光り輝く事ができるのに。


だから、是非、あなたはなんなのかを、捜し求めてください。

あなたの帰結すべき心の宮は、今もあなたの来訪を待っているのですから。




こんな事を捜したい人は、すでに「頭脳星、精神脳」を持っている事を、

あたたの知らぬ間に私に知らせているのと同じ事です。


また、こんな探求はどうでもいい、と思う人は、すでに「合理脳、経済脳」を持っている事を

あなたの知らぬ間に私に知らせてくださっているのです。


この 「頭脳星、精神脳」  対  「合理脳、経済脳」 の人とでは

意見は決して交わりませんから、血を見るようなケンカにも、発展しがちなのです。

ケンカしない事です。どうせ交わらないのですから。

相手を愛し、大切にするとは、ここから言っているのです。


これが親子の場合、どんなふうに現れるのかというと、

「合理脳、経済脳」の親は、「頭脳星、精神脳」の息子や娘を、無能扱いします。


こどもが一生懸命考えている事を、いたたまれなくトロイような気がして、

「おまえは駄目なヤツだ」と、心の中で決め付けているのですから、救われません。


親の言葉の端はしにそれが分ってしまう「頭脳星、精神脳」のこどもは、

物事をしゃべらなくなるのです。

「どうせ言っても分ってもらえないから」と、口をつぐんでしまいます。

そうなったら、母元病、父元病のはじまりです。


例えばそこに「合理脳、経済脳」のこどもがいたりすれば、「それ見た事か」となるのです。

しかし、その子がトロイのではありません。

ドンマイ、ドンマイが出来ない子なのです。

この「ドンマイ、ドンマイ」が出来ない子は、無理にスポーツ選手にしない事です。

学者にすればいいのです。

そして、「ドンマイ、ドンマイ」の親は、学者にはなれないというだけです。


この「頭脳星、精神脳」 「合理脳、経済脳」は、人を見分ける簡単な方法のひとつです。

何せ、人は、この2パターンしかないのですから。簡単な事でしょ。

生まれ年から簡単に出せますよ。


もし、常日頃、自分と意見の合わない人がいたら、反対の人だと思えばいいのです。

お互いむかつきますが、分ってしまえば、「どうして、どうして、アイツはむかつくんだ」

と、思わないで済みます。

だって、相手からすれば、「気に入らないのはお互いさま」なのですから。



この反対の家族もありますよ。両親が「頭脳星、精神脳」で、3人兄弟の内

たった一人が「合理脳、経済脳」だった時、この親はなんと言うか。

「お前はしょうがないヤツだな。物事を考えないのだから」と、こうなるのです。


だから、ほんとは、相手を責めないのがいいのです。

どうせ、交わらないのですから。こどもが頑張ったら、ほめてやればいいのです。


叱られて伸びる子がいる。ほんとにそうかしら。

今度命名した赤ちゃんも、生まれながらに愛されたい気持ちが強い星を持っていました。

ですから、その子を良く観て、その子の身になって、愛すればいいのです。


愛、神の愛の中には、相手の身になって考えてやる心が充満しているのだと

私は考えるのですが。

どうせ相手の事が分らないのなら、愛し、許し、見守る人生はどうでしょうか。

そうした時、あなたの優しさが、あなたの人生にいつか、富をもたらしてくれると

私は思うのですが。


また、優しいとは、歯を全部抜いて総入れ歯にすることではありませんよ。

牙を持っていながら、人に優しく接するのですよ。


皆さんはどうですか。



長い間ご無沙汰してしまいました。皆様はお元気ですか。

ようやくブログの表題を変更できましたのでお知らせ致します。


「ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり」 となりました。いままで同様に、どうぞよろしく。


依美澄卑親呼は本当に長い間ご愛顧いただきました。感謝申し上げます。

私も大好きな名でした。そして、学者のようなその名は、私に多くの事を教えてくれました。


それにつけても、名が変わるというのは、周囲が一変する事を感じました。

もちろん、大運(たいうん)の変化も大きいのですが、

日々目にする名は視覚を通して飛び込んできますので、自分がまだ驚いてしまうほどです。


それでも後戻りできない事を、何度も示されていますので、怖気(おじけ)づく訳にはいきません。

勇気と威厳をもって取り組まなくては、やりおおせるものではない事を、よく自覚しています。


今後とも努力いたします。今まで同様にご愛顧いただければ幸いです。

また、多くの有意義な事を、皆さんとともに共有して、英知、糧(かて)、としていただければ

皆さんが幸福になる事が、私には分っています。


人は、良い事には、素直がいいです。

悪い事には、警戒心を持つ事がいいです。


今の人はとかく警戒心が無さ過ぎるか、悪い事に鈍感(どんかん)です。

鈍感は、神の英知ではありません。


敏感(びんかん)は神の英知ですが、敏感過ぎるのは、優しさが足らない行為です。

人は完璧ではないからです。


良い人も悪い人も居る世界で、どうして生き抜いていくかが、大きな命題ですが、

見抜く方法はあります。


それは運命であり、宿命であり、数字であり、日々の心がけであり、

ありとあらゆる学問であり、スポーツや鍛錬法ですが、

何をさておいても、一番大事なことは、自らを良い人間にしようとする強い心を持つ事です。

それ無くば、どんな事もやり遂げられないからです。


弱い心のあなたも、今日からなろうと決めましょう。すべてはそこから始まるのです。

「遠い頂上もまず一歩から」です。一歩がなければ頂上もないのです。


私も易経で示された事があります。「初めなければ終わりなし」と。

1が無ければ100万は有り得ないと言う事です。(まるで貯金のようですね)


そして皆さんには、まず第一の「1」はあったのです。命です。

その命を、どこへ持っていくのかが、皆さんに問われた命題だと言う事です。


生きるなら、より良く生きたいものです。

たとえ死んでも、活(い)きる道を、生きたいですね。


もしあなたに、ひどい名が付いていたら?  

さあ、どうしましょうかね。

50本のつけまつ毛をつけるよりも、良い名を持つ方が、幸福だと、私は思うのですがね。

まあ50本の美しいまつ毛は、魅力的ですがね。人は美しいものが好きですから。


また、人生を面白(おもしろ)いと思って生きるのと、面白くないと思って生きるのとでは

大きな開きが出来てくるのは当然ですが、数字もそれを物語っています。


「面 白 い」と書いて、16格。最高無比の最大吉。凶を吉に転じる力を持つ16なり。

 9 5 2 =16


「面 白 く な い」と書いて、22格。別離運の最大凶。厄難、短命、不如意の22なり。

 9 5  1 5 2 =22


ですから「面白くない」とばかり言っていては、人生は、ちっとも良くならないという事です。

「面白い、面白い」と言ってがんばれば、16+16=32で、「濡れ手に粟」の最大吉が

出てくるのでした。

文字って本当に不思議。

誰がそれを考え、使用し、伝えてきたのでしょうかね。 深い真理です。


少し長くなりました。では、また。                         小濱白光

この名に私は随分抵抗があったのですが、調べれば調べるほど整合性が出てくるのでした。

いままでノートで言われてきた事柄が、ほとんど成就しようとしているのです。


今までも、私に告げられた事柄は、ほとんど成就してきました。

しかし、これからの大きな使命は、経験のない事です。

しかも、ノートを調べてみれば、すべてはここに集約されていたなどと、

誰が想像するでしょうか。


ですから、私は私の運命に、わが身をゆだねなければならない時がきたのでしょう。

もちろん今までもそうして来ましたが、これからはもっと謙虚に、

もっと、人の中に眠る英知を信じて、

その人々に光を当てる生き方をしなければならないのでしょう。


もちろん私はそうするでしょうし、我が神は、私がそうすることを知っています。


まるで出世魚の名の変遷のように、我が名は時々に変わってきました。

それも、「お前は8段の光りを生きよ」と、言われた通りに、

旧姓+戸籍名+高嶋泉妙先生にいただいた最初の易学士名+講師名(えびすひみこの音)

+第一の仕事名+第二の仕事名(これが依美澄卑弥呼です)+今度の名前

を、すべて足すと、光りと同じ 8 になるのでした。(8段)

(「第8のチャクラ」という本があります。サンマーク出版。

 この中の文章とは一切関係ありませんが、8段とは、私が見つけた悟りの位階です。

 この悟りを見つけた直後に、この本の存在を知ったのは事実です。

 息子が教えてくれて、買ってきてくれました。

 しかし、まだ中身を読んでいませんので、中に何が書いてあるのか知りません。

 でも、同じような事かなと思っています。読んでなくてごめんなさい)

 

私に逆らう事が出来るでしょうか。

抵抗があっても、「受け入れよ」と言うものを、受け入れない事ができるでしょうか。

しかも、今ではその整合性は、私にはっきりと、その道を行く事が正しいと

示していると言うのに、私が行かない事ができるでしょうか。


誰でも、私のノートを見たい人には、見せて構わないと思っている私ですが、

相当難しい語彙(ごい)もたくさん出てきますので、辛抱が必要かもしれません。


しかも、私の研究のノートも含めるとすると、いったい何冊になるか。

まあ、自慢にはあたりません。どなたも、研究している人はみなそうでしょうから。


とにかく、とにかくです。新しい名で始動しなくてはなりません。

白光(はくこう)とは、大字典で調べれば、「白く見ゆる光」とありました。


「白 く 見 ゆ る 光 」と書いて、「天水光神」と同じ24が出てきました。

 5 1 7  3 2  6 = 24

私にどこまでも付いてくる、最大吉 最大財運数の24です。

これで私が逆らえると思いますか。(優しさと力に満ちた数字です)

愛されている事が分っているのに、抵抗し続ける事が、本当に出来ると思いますか。

使命はもうすっかり分っているのに、やらない事ができるでしょうか。


どうです。

皆さんの使命はなんでしょうか。 私と一緒に調べてみますか。

さあ、どうでしょう。

まあ、焦らないで。

私も私の本当の使命が分るのに、何十年とかかっているのですから。

とにかく、とにかくです。好きな事からまず始めてみましょう。


あなたの人生を大切にするのは、まずあなたでなければなりません。

決して決して他人ではありません。

他人は他人の人生を生きるのです。あなたではありません。

お節介も程ほどにしないと、他人の道を曲げることもあるのです。

あなたが注意深く生きたいように、他人もそうなのですから。

そして、あなたが宝物のように、他の人も宝物なのですから。


「他人を傷つけた時の罪は重いと知れ」です。

「盗む罪は、親族に及ぼす罪であり、その罪は深いと知れ」です。

「子を殺す者は、二度と生きる事は無い」

「国民を裏切る国家は滅びる」


まあ、なんと言う怖いことでしょう。 でも、本当です。

今年からやって来る市民の年は、長く続いて、いろいろの事柄が変わってくるでしょう。

ですから、それに見合った英知が、私達の側にも必要になることでしょうね。



これから、小濱白光を、どうぞよろしくお願いいたします。

長く愛していただいた依美澄卑親呼は、使命を果たした喜び感じながら、

今も心の中に、一つとなって生きている事でしょう。

何せ、この間に知った真理は膨大だったからです。

その道を通らずば、ここには到達しなかったでしょうから。


ブログの名は、新しくなるまでご勘弁くださいね。皆様のご理解とご協力を感謝しつつ。

                                                  小濱白光

       

人の運命を推測するのに、四柱推命という方法があることを、皆さんはご存知でしょうか。


それは生年、月、日、生時から出すもので、その中に、大運も含まれているもので、

私達が勝手に操作している訳ではありません。


一つ注意しなければならないことは、生まれ月から推測する方法と、

生まれ日から推測するのとでは、結果は大きく違い、大運も違ってくると言う事です。

その正解率は大きく違ってきます。


私は私の方法の方が正解率が高いと思っていますが、世の中には違う考えの人もいます。

その人たちは、どう責任をとるのか、聞いてみたいほどです。


姓名判断でもです。 学校で教える新字(漢和辞典による画数)をよしとする人は、

どう判断するのか、聞いてみたいと思う事がよくあります。

数字の中身を変えてしまうのかもしれませんが、整合性をどうなりたたすのでしょうか。

私には理解できません。

私の行う本字の計算による判断は、隠す事無くその人を表し、

「名は体を現す」を、証明してくれるものです。


悲しい運命も、うれしい運命もあります。

しかし、どうしてそう行動してしまうのかの方が、私には感心があります。

誰が見ていてそうするのか。誰がそうせよと言い含めているのか。

悲しい名には悲しい運命がついている。


良い運勢の人に悲しい名は付かず、悪い運勢の人に良い名は付いていないからです。

いったい誰がそれをきめるのでしょうか。

いったい誰がそれを実行させるのでしょうか。

不思議で、哀しく、また、うれしい現実が横たわっているのみです。


それを推命するのに、自分の星から見て5個の星がまったく同じに星になるのに

240年かかることが考えられるのです。

還暦(かんれき)は60年ですが、それは年と月だけが等しくなるのです。

生まれ日までを考えればそれの4倍もの可能性が出て来るのです。

そこに24時間をかければ、いったいどれだけの可能性の年数になるのでしょうか。


人の顔も、性格も変わるのに、4分かかるとする方法を取るとすると、

24時間 ÷ 4分 = 360

240年 × 360 = 86400年?  そんな膨大な!!!


人の生年月日時が再来するのに、この膨大な数字が出て来てしまう可能性があるのです。

この計算が正しいのかさえ私には分りませんが、可能性としてはこうなる?


まったく神々はなんという事をなさるのか。 誰か計算してください!!!!!

もちろん遺伝子の考え方からみれば、当然の事かもしれませんね。

今、薬を投薬するのに、個人を考えて効き目を考慮する方法が研究されているようですが、

これらともまったくもって乖離(かいり)しないほどの膨大さではありませんか。

人間の体に6兆個もの細胞があるのに匹敵するのかな。


でも、そこに、可能性の約分は、出来るのかもしれませんよね。 ああ、ほっとした。


ですから、皆さんは貴重品なのです。 自分を大切にしなければなりませんよね。

人は前世の話をよくしますが、それでもきっと、同じ人では無いのでしょうと思います。

あなたはあなた。あなたこそ貴重品。

そのあなたの小さな努力が、後々の子孫を幸せにするのだと、わたしは考えます。


「とんびが鷹を産んだのではない」と、言い切った、立派な父親と、

「鷹になろうとしている息子」と、言い切った父親を見ている賢い息子。

こういう人生をもたらすものは、これからのあなたにかかっていると思う私です。



         依美澄卑親呼の名による時代を終え、もうその名を使うなと言われた

         新しい光の名をいただいた     小濱白光より申し上げました。 

易経で言うところの私の神は、新しい名を、ただちに使えと言いました。


それは、去年の初夏に私の大運(たいうん。10年運のこと)が変わり、

その前の10年運と、すっかり雰囲気が変わってしまった時から始まっていました。


私の神は、私に、「新しい光の助け手を上げる」と、言いました。

でも、それがいつ現れるのか分らない私は、いつなのだろうと思いつつ、

それが現れる事を待っていました。


私の48冊目(コクヨ100枚)のノートの16ページに (H19,9,5 午前11:07の記述)

私の質問に対する易経の答えがあり、 「随 初九」が出て、私は驚いた。


そこには、「これまでの仕事が変わる事がある。それでも、初志を貫けば、吉である。

       親族、私縁の狭い枠(わく)から離れ、広く人々と交わるならば、成功する」

とありました。 (徳間書店 丸山松幸訳 易経 p 98の記述)


私は、依美澄卑親呼の仕事は変えたくありませんと言いました。

でも、情況はどんどんと変わっていきました。


私にとっての新しい助け手とは、数字以外に考えられませんでしたから、

きっと、新しい命と、宿命を持った新しい名が、出来るのだろうと思っていました。

でも、なかなか現れませんでした。


そして半年が過ぎ、去年の12月の中旬のこと、新しい名はするすると出来上がったのでした。

それは、大富豪を意味する名で、恐れ多いと思った私は、なかなか納得できず、

心は浮き立たず、どうしようと思うばかりでした。


それで、半月たった今日、もう後戻りはするな。受け入れよ。

準備は整った。さあ、行くのです。と、言われたのです。

その時、雲間から太陽が顔を出して、私と私のノートを照らしました。

私にはこんな事がよく起こります。

それはまるで、「そうだよ。分ったかね」と言うように、間髪をいれず太陽は照るのです。


雲いっぱいの空に穴を開けて太陽が照る事は、

私のノートに何十回となく記録されている事実ですが、

私はいまだにありがたい事だと思って、感動とともに思い出す事です。



ですから、私は受け入れます。そして、がんばります。

神の意思、希望、時、運命は、始まるのでしょう。

新たな大運(たいうん)と共に、新たな私の時が始まるのでしょう。


私の初志はもちろん変わりません。 貫徹したいと思っています。

私はもともと小さい時からでさえ、人の役に立ちたいと思って生きてきた者です。

途中はシスターになろうと思っていた時期もありましたが、

私は自分の子供を自分の手で育てたいと思ったので、シスターを断念した者です。

そんな気持ちがそう簡単に変わるはずもない事は、私が一番よく知っているものです。


ですから私は私の運命を生きます。

両手の手相が、両方とも”ますかけ型”の、福耳の私に、与えられた運命です。


私は決心しましたが、まだお見せするのは照れくさいので、ぼちぼち行きますね。

その時は、今までと同様に応援したくださいね。


私も心より、皆様を応援したいと思っています。


新年 明けまして おめでとうございます。

よいお正月をお過ごしでしたでしょうか。

皆様にごあいさつをする前に、すでに仕事をしてしまいました私ですが、

私は経験上から、一つ言えることがあります。

それは、気分が変わると、仕事も変わると言う事です。


それは、良くも、悪くも作用しますが、出来れば良い様に変わりたいものですね。


それで、一つ提案があります。

それは、自分の優秀な家来を作る事です。

それはなにも人間に限った事ではありませんよ。 むしろ、人間でない方が良いようです。


では、どんな家来かと言うと、言葉です。

自分が自分の中に欲しいと思う、立派な態度の言葉です。


たとえば、謙遜の謙とか、愛情の愛とか、信じるの信とかです。

その家来を、少なくとも、3人以上、5人~6人ほど、作ってみてはいかがでしょう。


彼らはあなたが決めた時から働きだしますよ。

そしてあなたを支え、意義ある人生に導く事でしょう。


人がよく言う座右の銘のようなものですが、それは単に自分の周りにおいておくものではなく、

いつも見て、いつも考えて、いつもそうなろうとするところから、

偉大な力をもってくるものです。

念じる、や、祈るように、常に観るのです。

良い言葉にはそれなりの力があるからです。


あなたがもし、今年を考えるとしたら、不安よりも安定を。無口よりも雄弁を、です。

(雄弁とは、ちゃんと正しい日本語や心ある言葉を、使うと言うことです)



また、命というものは、必ず長い寿命があるわけではありません。

こどもは、必ず長生きするものでもありません。

長い血脈の末の短命なら、そこになにかあると考えねばなりません。


ですから、いつも謙遜でなくてはなりません。

人は、どんなに良かれと思っても、勘違いする事があるからです。

ただただ、現実のみが、現象なのです。 無関係な事は起こりません。


あなたは、自分の人生に良い現象をもたらすために、今日から努力するのです。

誰に遠慮がいるでしょうか。

だれに吹聴(ふいちょう)する事が必要でしょうか。


誰にも何も言わなくてもいいのです。

今日から始めた事は、そんなに長くかからない内に、必ず結果をみるでしょう。

神はそんなに冷酷ではないからです。


あなたは、あなたの生きている内に、結果を見るのです。

ですから、悪い事をしたときは恐れなさい。

良い事をしたときは、希望を持ちましょう。


いずれも、あなたが間違った判断をしない事が条件ですが、必ず答えを見ます。

良い答えを得られるように、がんばりましょう。


さあ、2008年が始動します。 意義ある年にしていきましょうね。


                    ハニカミ王子さんのいる松伏の空から    依美澄卑弥呼

ブログを始めて半年、皆様のご愛顧のおかげを持ちまして、私の窓は広がりつつあります。


美しい言葉に含まれている真実と、厳しさ、涙と微笑を、私は書き表す事が出来たでしょうか。


人の名に含まれる真実を、悲しさを、お知らせする事が、出来たでしょうか。


それは、無明を開くため、行いを整えるため、愛を深めるために、役立ちましたでしょうか。


それはとりもなおさず、本当の幸福に身をおいて、

すべては、他人を非難しない事から始まる事を、知ってもらうためです。


人は、どんな良い人でも、事故や災難に遭って死ぬことがあります。

それは名や宿命に刻まれています。 

ですから、思い上がってはいけません。

ほんとに運の良い人は、事故にすらあいませんから。

まるで天使が守っているかの如くにすり抜けて、談笑してるかも知れません。

そんな、運の良い人間をつくるために、何年必要なのかが問題なのでしたよね。


ざっと100年。その間、罪を犯さないでいられる事が、どれほど幸福な事か、

皆さんは知らないのです。


人はどんな悪党でも、母を慕い、父を欲するものです。

それらの与えられなかった子供は可哀想。

自分の性欲や未熟さ、犯罪とも考えない愚かな罪の数々が、

その人を汚している事を、考える時、

人は、罪の始まるもっと前から、出来る事があるのではないでしょうか。

不注意の上に、物事をしっかりと見る目が無いから、いろんな罪が発生してしまうのです。


注意深い目と、慈愛に満ちた考え方が、その人を幸福にしている事を

もっと考えなければいけないのです。

そして、それらの姿勢が、結局は自分を幸福にしてる事を、もっと感謝をもって

考え続けなければならない事を、知るべきです。


神の愛がどれほど大きく、人をちゃんと見ているかを、

もっと考えなければいけないのです。

それが出来た時、はじめて人は、光を発する存在になれるのです。


私が言っている光は、本物の光のことです。

その光は清清しさをもたらし、慈愛と幸福、本当の吉運を、招く力を持っているものです。


人が作った、商売上のアイドルや物品ではありません。


この世の中には無い? いいえ、あります。現に生きている人々がいますから。

そして、無いと言い切るあなたこそ、何を見て修行をしてきたのかな。

または見てこなかったか。

または、そんな事は知る必要の無いほど、あなたは荒れているのか。


とにもかくにも、来年は始まろうとしています。

来年こそ、良い年にするべく、考えて生きる人生の始めにしたいものです。



皆様に幸福と幸運を。

本年は大変お世話になり、ありがとうございました。

来年もどうぞよろしく。

皆様のご多幸をお祈り申しあげます。

                                                依美澄卑弥呼