易経で言うところの私の神は、新しい名を、ただちに使えと言いました。
それは、去年の初夏に私の大運(たいうん。10年運のこと)が変わり、
その前の10年運と、すっかり雰囲気が変わってしまった時から始まっていました。
私の神は、私に、「新しい光の助け手を上げる」と、言いました。
でも、それがいつ現れるのか分らない私は、いつなのだろうと思いつつ、
それが現れる事を待っていました。
私の48冊目(コクヨ100枚)のノートの16ページに (H19,9,5 午前11:07の記述)
私の質問に対する易経の答えがあり、 「随 初九」が出て、私は驚いた。
そこには、「これまでの仕事が変わる事がある。それでも、初志を貫けば、吉である。
親族、私縁の狭い枠(わく)から離れ、広く人々と交わるならば、成功する」
とありました。 (徳間書店 丸山松幸訳 易経 p 98の記述)
私は、依美澄卑親呼の仕事は変えたくありませんと言いました。
でも、情況はどんどんと変わっていきました。
私にとっての新しい助け手とは、数字以外に考えられませんでしたから、
きっと、新しい命と、宿命を持った新しい名が、出来るのだろうと思っていました。
でも、なかなか現れませんでした。
そして半年が過ぎ、去年の12月の中旬のこと、新しい名はするすると出来上がったのでした。
それは、大富豪を意味する名で、恐れ多いと思った私は、なかなか納得できず、
心は浮き立たず、どうしようと思うばかりでした。
それで、半月たった今日、もう後戻りはするな。受け入れよ。
準備は整った。さあ、行くのです。と、言われたのです。
その時、雲間から太陽が顔を出して、私と私のノートを照らしました。
私にはこんな事がよく起こります。
それはまるで、「そうだよ。分ったかね」と言うように、間髪をいれず太陽は照るのです。
雲いっぱいの空に穴を開けて太陽が照る事は、
私のノートに何十回となく記録されている事実ですが、
私はいまだにありがたい事だと思って、感動とともに思い出す事です。
ですから、私は受け入れます。そして、がんばります。
神の意思、希望、時、運命は、始まるのでしょう。
新たな大運(たいうん)と共に、新たな私の時が始まるのでしょう。
私の初志はもちろん変わりません。 貫徹したいと思っています。
私はもともと小さい時からでさえ、人の役に立ちたいと思って生きてきた者です。
途中はシスターになろうと思っていた時期もありましたが、
私は自分の子供を自分の手で育てたいと思ったので、シスターを断念した者です。
そんな気持ちがそう簡単に変わるはずもない事は、私が一番よく知っているものです。
ですから私は私の運命を生きます。
両手の手相が、両方とも”ますかけ型”の、福耳の私に、与えられた運命です。
私は決心しましたが、まだお見せするのは照れくさいので、ぼちぼち行きますね。
その時は、今までと同様に応援したくださいね。
私も心より、皆様を応援したいと思っています。