こんばんは、今日は遅く書いています。
正しい姓名判断と、吉名は、人を救います。 多くの先生が実感されている事です。
私も、息子の小学校でのイジメがなければ、きっと、考えもしなかった人生を
今、歩いているのじゃないかと思うことが、あります。
息子の名を、吉名にしてやろう、自分の手でそうしてやろう、と、
私は、とにかくよく勉強しました。その量では誰にも負けない自負があります。
しかし、なかなかうまくいかず、悩みぬいていた時、
(盂蘭盆会(うらぼんえ)に参加しませんかと、お誘いを受けたのです)
(私はクリスチャンでしたので、行くのをためらう気分もあったのですが、
先生に誘われるままに、いってみる事にしました)
その時、師匠である高嶋泉妙先生が、おしゃった。
「ご先祖様と神様には、願い事をしてもいいですよ。ご先祖様はたのまれたがっているのです。
仏様には、してはいけませんよ」と。
家に帰ってから必死で祈りました。「ご先祖様」と。
「息子を救ってください」と、何度も何度も祈りました。
それでふっと頭に浮かんだ名は、跡取りを示す数字の名前で、私はびっくりしたのでした。
「ご先祖様は、跡取りをほしがっていたのか」と。(わが家系で唯一の、若年の男子だったからです)
私は驚きと共に、主人と一緒に今の名前をつくる事が、出来たのです。
その息子は今も元気に、健康でいい子です。とても真面目で親孝行な男になりました。
私の祈りは報われたのです。
私自身も、多くの名を体験し、それぞれの名の、それぞれの感覚を、味わってきました。
それで言えることは、人は変われる、という事です。
よい望みは叶うという事です。
相手を知り、自分を知れば、百戦危うからず、という事でしょか。
自分の良い所と弱点を知る事は、けっして悪い事ではない、という事でしょうね。
それには、ちょっぴりではなく、徹底的に知る事でしょうか。
知って知って、もっとたくさん知って、自分を許し、人を許す事でしょうか。
私にとっての姓名学は、自分を知り、人を知り、許しに許す人生を、
私に与えたという事でしょうか。
私がほしくてたまらなかった心、「清濁あわせ飲む方法」を、知る事ができたのです。
ですから言えることなのでしょうが、人は可愛い。
本当によく努力していると思います。
自分に背負わされた人生に対し、本当に真摯(しんし)に生きていると思います。
あらゆる可能性の中から、自分がなりたいものになろうと、本当によく努力している。
テレビで社会をにぎわすような犯罪者は言葉もなく悲しい運命だという事も知っている。
先祖からの罪を、一身に背負っているとしか思えない。 哀れでけなげ、と、言えなくもないのです。
私は、あまりにひどい名は、変えればいいと思っている。
ご先祖の罪を、甘んじて受ける必要はないのです。
暴走族のお兄ちゃんたちが背中に背負う、いい加減な当て字による刺繍文字は
本当にひどいものばかり。 あれでいい子になれという方が間違っている。
人は、朱に交われば赤くなる、のです。
私はときどき思う。 こっそり良い文字を、刺繍してみたらどうか、と。
よい名は、鎧(よろい)のように、あなたを守るからです。
そのために祈る。
もっともっと勉強して、精度を増して、素敵な人々を、たくさん作りたいと。
いつまでも愛情深く、照り続ける事ができますように、と。
H21.1.29 (木) pm6:53 記 小濱白光 依美澄卑親呼
追伸 Uさんへ。 コメントをありがとう。
立派な心がけだと、心から感動しています。
共に歩み続け、共に誇(ほこ)りに思う日が来る事を、私は知っています。