ひとつ 山を越えましたね。 | ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

おはようございます。 松伏は今日も快晴。 


新春の清清(すがすが)しい冷たい空気は、私の気持ちを引き締めます。


広々とした青空の真ん中で、真っ白に輝く太陽は、私の行く末を暗示しています。


私がいつも、明るく強くあらねばならない事を、見せ付けてくれているのです。


私は松伏の空が好き。 広々として青い。



その昔、私は言った。

「もっと人々に近づくために、私は地上に降りた太陽になる」と。

誓うようにして言ったのに、

それに対してわが神は、なんと(易経で)答えたか。


「地上に降りてはいけない。それは夕日のようで、すぐに沈んで役にたたない。

 中天で輝く太陽でいなさい」と。




この答えのずっと前から、易経は私に 「雷火豊 初九。」を、言い続けた。

「雷火豊 六五。」も。  (らいかほう しょきゅう。 らいかほう りくご。と、読みます) 




私はその答えに、気が付かなかったのだ。 


何か人の役に立ちたいと、思い続けていた。


でも、そのやり方は、「地上に降りた太陽になる」やり方では、なかったのである。

それに気が付くのに、何年もかかってしまった。


人にはみな、その人のやり方が、ある、と言う事だ。


いくら自分が望んでも、許されないやり方が、ある、という事なのだ。


そして、山をひとつ越えるという事は、そんなにたやすい事ではない、という事なのである。



自分に対する真理を理解するのに、何年もかかる事などは、私にとってはいつもの事だった。


ですから、あなたが道を進むのに、四苦八苦する事は、


私にとっては、よく理解のできる苦しみなのです。



ですから、恥ずかしがる事も、悩みすぎる事も何もないのです。


あなたが進んでいれば、私には「幸い」と、感じられるのです。


あなたはよく自分の道を捜して、苦しみに耐えています。


そのことを私は尊重します。


幸福な日々が来て良かったね。


あなたと、あなたのお母様と、あなたの親族にとって、大きな「幸い」です。


(修行を)やめず、あきらめず、最後まで、幸福を追い求めていきましょう。



そのためのお役に立てるのなら、私は、本望です。


あなたがいくつもの山を越える姿を見られるのなら、私は幸いな者と、呼ばれるでしょう。


あなたの健康と、安全を、祈念していますよ。


世間はかまびすしい(やかましい)ものですが、


それに流されない強さを、あなたが見つける日を、いつまでも待っています。




               H21.1.26 (月)  pm12:07  記   光明心殿  小濱白光



追記


  豊卦(ほうか)とは、       (岩波文庫 ワイド版 易経 下 p154 参照)

    「豊(ほう)は、亨(とお)る。 王これに仮(いた)る。 憂うるなかれ。 日中に宜(よろ)し。

     豊は、大なり。 明にしてもって動く、ゆえに豊かなり。

     王これに仮(いた)るとは、大を尊ぶなり。

     憂うるなかれ、日中に宜しとは、宜しく天下を照らすべしとなり。


     豊は豊大なり。盛大の意。卦(か)徳の明にして動き、勢いの盛大なるに取る。

     盛大なれば亨通(きょうつう)するのは道理であり、王者はまさにここに至り得るものである。

 

     もちろん物事は盛大の極に至れば傾きやすいが、いたずらにこれを憂うる必要はない。

     つねに日の中天にかかって天下に照臨(しょうりん)するごとく、

     豊大の勢いを保持する事を心がければよろしい」 という内容です。


 「雷火豊 初九。」とは 、 (らいかほう、しょきゅう)

    「その配主に遭(あ)う。 旬(ひと)しといえども、咎(とが)なし。

     往(ゆ)けば尚(たっと)ばるることあり。

     旬しといえども咎なしとは、旬しを過ぎれば災いあるなり」 という内容です。


     等しいと思ってもいいが、思い上がって過ぎては、災いもあるのだぞ、気をつけよ。と。


 「雷火豊 六五。」とは、  (らいかほう、りくご)

    「章(しょう)を来(きた)せば、慶誉(けいよ)あり。 吉なり。

     六五の吉とは、慶(よろこ)びあるなり。


     自分一人では天下の政治をとりしきるほどの才徳は持たぬが、

     美しい章(あや、もよう)にもたとうべき道徳の持ち主である下位の賢臣を招きよせて

     その協力を求めれば、慶福と名誉を得られて、吉である。

     六五が吉であるというのは、慶びを得られるからである」 という内容です。



これらは私に、中天に輝く太陽と旬(ひと)しくても良ろしいという事を、許してくれた瞬間だった。


易経はこの他にも、多くのことを示唆してくれた。


私に、自分を見くびらない事と、人を見くびらない事を、教えた。


人は未知のものには不勉強なくせに、謙虚さが足りない事も、私に教えた。