昨日のコメントに対してお答えします。 | ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

ALECA 小濱白光の素敵な陽だまり

依美澄卑親呼は宝物の名。小濱白光は進化した名。しかし、どちらにも許しと道があった。

それぞれの道と意味を、私はいま味わっています。

(前向きにというコメント、読みました。 良かったねと思っています。非公開にしないでとも思いました)


私は、あなたの喜びを感じていると書きましたよ。



あなたがとても良くなったと思っていることは、私の経験からもよく分る事です。


また、返事がないのを不安がって、

いつでも、何度でも、あなたは素敵ですよと言ってもらいたいのも、

自分の経験からも、よく分る態度です。


私にもそういう時期があって、いつでも、何度でも、わが神にほめられたかった事を

思い出します。

でも、それは、弱い態度で、その弱さを、何度も手厳しく注意された事をも、

思い出すことが出来ます。

      

           

あなたはコメントに、私の返事がないのは、思い込みするなと言う事でしょうか、と書きましたが、

私がそんな風には考えない人間だと言う事は、思わなかったのですか。



返事がほしいのに、返事を書かなかった私が悪いです。

あなたは頭が良くカンが鋭いので、一概に思い込みだとは言いたくありません。


でも、時として、そのカンの鋭さが、自分を傷つけるのではないでしょうか。

しかもそのカンの鋭さは、本来持っているものですから、消す事もかなわない。

自分が自分を傷つけてしまう。

      

あなたの幸福と、不安感を感じていますよ。

でも、あなたの態度は、私に対するそれこそ思い込みで、人を勘ぐる態度です。


「もっと強くなれ」 

私は人を勘ぐるなとも書きました。

なぜなら人は、100パーセント理解する事など、出来ないからです。


だから「愛せよ」なのです。


80パーセント良かったら、100パーセントと思って丁度良い。

それぐらいの精度で丁度良いのです。

人間は、半分目をつぶる、ちょっと鈍(なまく)らなぐらいの刀(かたな)で、丁度良いのです。


(あなたがもし切れ味鋭い刀だったら、きっと人も殺すが、自分も傷つくでしょう。

 切れ味鋭い名刀は、鞘(さや)におさまって博物館の中にあるものです。

 名刀を抜き身でぶらさげて市中を歩いたら、危険です。銃刀法違反ですよね)


もし仏さまが、半分目を伏せておらず、あなたをじっと見据(す)えたら、

怖(こわ)く感じる時もあるでしょう。 なぜなら、それは、許しの態度ではないからです。


仏さまに詰問(きつもん)されて、耐えられる人がいるのでしょうか。

ですから半目(はんめ)にしているのです。

ずっと昔から、仏師たちは、知っていたのです。人間が弱いことを。


キリスト像を彫った人たちでさえ、詰問するような目線にはせず、

視線を落としているのです。


私達にはきっと、キリストへの責任を詰問されても、耐えられる人はいないからです。

ただ共に涙し、愛を誓うことしか、出来ないのです。


この世にはすでに叡智(えいち)がちりばめられている。

それを、よく学ぶのです。 


小さな自分にしないで、より広く、より大きく見極められる

澄んだ瞳を、持とうではありませんか。


澄んだ瞳と半目は、対立しません。

心に深く分っているからこそ、半目でいることだってあり得るのです。



ですから、自分の(小さな)思い込みに振り回されない態度は、立派な態度です。

恨(うら)むことも、憎(にく)むことも、立派な人のする態度ではありません。


ただただ現実を(澄んだ瞳で)直視し、なにが問題なのかを、しっかりと認識する事が出来れば

あなたのすぐ近くに、幸福は存在しているのです。


私はあなた (皆さんすべて)を大切な知人、親友だと思っています。

同じ時代を生きる、同志だと、思っています。


一翼をになうのです。 なんの? それはあなたが決める事です。

自分を構築するのです。 あなたの、好きと思うように。



                H21.1.24 (土)  am10:54 記   光明心殿  小濱白光



追伸   もし私が手厳しいと言うなら、それは当然ですよね。

      あなたを信じているからです。


      あなたの中にすでに存在している、尊いものを、揺り動かしたいのですから。


      あなたにはきっと使命がある。


      それを見つけるまでは、手を緩(ゆる)めませんから。


      その時ともに涙し、笑いあうためです。