最近の心境 | ダンナが初期のアルコール依存症でした。私は性虐待被害児でした。

ダンナが初期のアルコール依存症でした。私は性虐待被害児でした。

海外在住で、アルコール依存症のダンナをもつ私のブログです
2013年4月 ダンナのアル症に気づく。 14年6月 別居開始。 15年5月 同居再開。 16年10月 死別しました。18年2月 自分が性虐待被害児であることに気がつきました。

職場ですが、相変わらず同じレストランで働き、キモ男も在籍しています。


私自身の環境調整をした事、その後の心境の変化について書きますね。


まず金です。金銭面を調整して必ずしもココで働かなくても生きてはいける状態を作りました。

前から気になっていた電話とネットのプロバイダを変え、電気会社も変えました。サブスクも一部解約しました。食費以外のliving cost、固定費を下げました。


今すぐに辞めても何とかなる、何とかするという状態にしました。無職期間がこれくらいはいけると計算しました。



そして上司に厨房以外のセクションで働ける時間を増やしたいと願い出ました。キッチンで働く時間を増やすのは脳機能と体力面でキツい。デリカテッセンとショップのレジ部門なら負担が少なそうなので、やりたいデス!と手をあげました。何よりキモ男のいないセクションに行きたい。


その上で転職情報は積極的にチェックしています。


そうしたら、今働いているのは金のためではなく自分の意思になります。ちょっとクリアになりました。まだデメリットよりメリットが多いから働く。


働いていても、キモ男が遠く遠くに感じられるようになりました。私のそばにいない、関心領域の外にいる小さい何かくらいの存在感。


業務連絡以外に口きいていないのは半年以上ですが、より遠くに距離が広まりました。どーでもいい。


他のシェフ達とは雑談も支え合いもあります。


もっと良い、安全な職場が見つかれば、転職します。しかし今のところ、そこそこ安全快適に働けているかもしれません。


よく眠れる夜が週に一度はあります。

運動量は増えています。週に2度の低山ウォーク。ピラティス。筋トレ。体力もついてきたように感じます。

色々あるけど、ジリジリ前に進んでいるのでは?


焼売を蒸したり


ジャンバラヤとケイジャンチキン



ご飯を作って食べる習慣を取り戻せています。一時期、崩れていたけど、なんとか持ち堪えてる。


今週は友人が家に日本の家庭料理を習いにきます。

彼女は最近日本に旅行してきて、ご飯が最高に美味しかった!らしいので、味噌汁とお好み焼きと卵焼きなど教えるつもりです。


もっと自由に、自分の世界を広げていきます。

停滞と挫折を繰り返しながらも、少しは変化があります。



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