その後の職場 | ダンナが初期のアルコール依存症でした。私は性虐待被害児でした。

ダンナが初期のアルコール依存症でした。私は性虐待被害児でした。

海外在住で、アルコール依存症のダンナをもつ私のブログです
2013年4月 ダンナのアル症に気づく。 14年6月 別居開始。 15年5月 同居再開。 16年10月 死別しました。18年2月 自分が性虐待被害児であることに気がつきました。

セクハラキモ男が上司に注意されてからの職場ですが、過ごしやすいです。


最初は気のせいかと思ったけど、やはりキモ男は私から釣り針🪝をはずしたように感じます。

これまで私がどんだけ拒絶しても、バウンダリー引いても、怒っても、「お前のことなど絶対に選ばねーよ!」と伝えても


それでも何とか!なんとか、とらこと仲良くしたい!!プライベートに潜り込んで、今の結婚生活からとらこにスライド依存したい、ビジネスに援助もしてくれるはず!お金欲しい。なんとか前みたいに話せるようになりたい、許されたい、やり直したい、とらこの人生に食い込みたい!!


という執着を感じて「マジこわ❗️」だったんですが。とらこの後ろには上司(男)がいると気づいてから、スーッと引いてった気がします。

ねちっこい視線や怒りがあからさまには見えなくなりました。


またもやクズ男は女の言うことなど聞かないという証明がされました。権力ある男の言葉しか脳内に届かないことがハッキリ分かって、よりキモいですね。🤮


今は完全に英語でのみ会話、仕事の話しと挨拶だけで成り立っています。


他のシェフ達とは、英語で雑談しながら楽しく働いています。


私が、男の支配欲・加害欲に晒された時に助けを求めたら周りが動いてくれたという事実が「性虐を母に無視され助けてくれなかったというトラウマ」を癒してくれる気がします。


とても大切な経験なんだろうな。42年前の裏切りが、今やっと少し癒されるって、生きるのは大変だなー。


上司だけでなく、他のシェフ達や日本人女性スタッフにも助けられました。味方がいる、信じてもらえた、助けてもらえたという経験は珍しく、ありがたい。

しっかり味わいます。


今日はシーザーズサラダを作りました。



ブロッコリーパスタも。


職場キッチンでシーザーズのドレッシングを間違えて作り過ぎてしまい、少し貰って帰りました。卵黄が入っているから賞味期限が短いので。


チキンと卵ものせて。


クルトンも作った私、えらい。

コスレタスじゃないのは残念でしたが、美味しかったです。


夜もまぁまぁ眠れるようになってきました。

運動は続けています。筋トレ、ピラティス、山歩き、水泳。酒も大麻もやらず。カウンセリングを受けて、キモ男対策もプロとやってきました。

積み上げてきたセルフケアで、潰れずにどうにか乗り越えられた気がします。(普通仕事やめてると思う。多くの女にとって耐えられないはず。)


まだキモ男は職場にいるので、引き続き飲食物に異物混入されないよう気をつけ、車に傷つけられないようバス通勤し、バッグ👜に変なもの入れられないようチャックで閉まるリュックにかえて働いています。気は抜けませんが、仕事に集中しやすくなりました。新しくビスコッティを焼いて、売ったりできています。


男の言うことしか聞かない男って、ほんとキモーい!


でも分かっていたから上司に頼んだ。境界線脆弱の女性蔑視クソ男には、権力ある男に出てもらうしかない。


来週は山にテント泊予定です。前にも一緒したフィリピン人女性と行ってきます。自然の力もかりて、回復していきます。



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