心にしみるムースの肉の味 | アラスカの自然に囲まれて

アラスカの自然に囲まれて

アラスカ州のアンカレッジは自然がいっぱいで、季節の移り変わりを日々肌で感じる自然に密着したくらしです。このブログでは、ここアラスカでの釣りや山登りなどアウトドアライフを中心に、私の見た事、感じたことなどを独断と偏見で紹介します。

日本から帰ってきて2週間以上たちました。

 

その間、二人のゲストがありました。

元アラスカに住んでいた私の山登りの先生のKさんの奥さんのRさん。

そしてニューヨーク時代の友達で今ロスアンジェルスに住んでいるCHさん。

 

時差ボケのぬけない状態で一緒に観光したりおしゃべりしたりとバタバタした慌ただしい時間をすごしましたが、その中でひとつ強くココロに残る出来事があったので、今回はそのことについて。

 

Rさんは2019年までアラスカでした。急に日本にかえることになったので、いくらかの荷物を倉庫に預けて帰ったのですが、日本での生活も落ち着き今回はその荷物を仕分けして必要最小限のものだけ日本に持ち帰るということで今回アラスカに来られたのですが、その間、最初と最後はウチにとまったのでした。

 

Rさん大変親しい日本人の友人Tさんが300キロほど南のホーマーの町に住んでます。私も少しあって話をしたことがあるので、Rさんが「一緒に行こうよ」と誘ってくれました。断る理由もないので一緒に300キロドライブ、一泊してきました。

 

Tさんは東京芸大の彫刻科を出ていて、今は大工をしているということ、奥さんは陶芸家であるということはRさんカラ聞いてしていました。何でも住んでいる家もTさんが自分で建てたものらしく、すごく面白い家だと聞いていたのでその辺も楽しみでした。

 

まずアンカレッジから4時間走りホーマーへ、そして町から外れて海が見える小高い丘を登っていきます。家の数がだんだん少なくなり、しばらくいったところから未舗装路へと左折しました。未舗装路をしばらく走ると、「ここを左」とRさんがいうので、なんだか怪しげなサインのあがった、更に細いどこへ行くのかわからないようなでこぼこ道にはいりました。しばらく行くとTさんの家が姿を表しました。少し木が生えてはいますが、周りは平原。そしてこの玄関。Tさん自作の家です。

 

 

自宅は奥さんのCさんの陶芸作品の展示場も兼ねているとはいえ、明らかに普通の家ではありません。

 

後で聞いた話では、面白そうな倒木や流木をひろってきてこういう大工仕事に使うのだそうです。

 

家の周りには木や土で作ったTさんの作品が無造作に置かれていて、ウチの奥さんはまるで箱根の彫刻

の森美術館のようだといいました。

 

これが家の周りの様子です。

 

 

 

 

作品はもったいぶらず無造作に置かれていて名前や制作日をしめすラベルもありません。

それらはそこらに転がっている燃料用の薪やこれから工作や大工仕事に使う材木とともに自然や暮らしの風景の一部になっているのです。まるで、アラスカ先住民の住処みたいな。

 

このクジラの尾なんか雨風にさらされて木の表面は劣化し、それがあたかも年老いたクジラの尾の魂が原野に現れたようにそこに存在しているのです。キレイとか美しいとかではなくなんかナマナマしく。

 

そうこうしていると、Tさんが大工仕事から帰って来て、挨拶もそこそこに、腕白な子供がちょと自慢げにするように「今夜はムースとハリバットをやくからな!」と関西弁で。

 

Tさんが昨年の秋にうまそうなやつだと目をつけて仕留めたムースだそうです。

 

そのステーキをこういうふうにワイルドに焚き火で焼きます。

 

 

左上のかどに見える黒い鍋にはハリバット(おひょう)の切り身が。

 

何事もワイルド。肉が焼けるまで焚き火を囲んでビールを飲み、談笑します。

 

私は腹は減っていましたが、正直なところムースの肉にはさほど期待していませんでした。これまで食べたムースはどれも血生臭かったり、硬かったり。そうでなければシチユーなどでコク味をつけているので肉の味がしなかったり。とにかくムースなんてそんなにうまくないだろうと、、、、、

 

1時間ほど、焚き火の残り火にかけたりおろしたり。時々近づけたり離したり、裏返したり。こうして赤かった肉の表面が少し茶色味を帯びてオレンジっぽくなった頃。「そろそろえーやろ、レアーのほうがうまいからな」とTさん。

 

日も傾いて寒くなってきたので家の中で食べるということで2階のキッチンへ。

 

 

奥さんのC さんが焼いたサワードウのパンも一緒に出てきました。

Tさんがナイフで大きめの一口サイズに切り分けてくれます。

 

Rさんがまず一切れ、そして「美味しい」。

 

私も一切れ、中が赤そうなやつを。

 

「こ、これは何だ!」と私の心の声。

 

この味を一体どう表現したらいいのでしょう?

 

野暮を承知であえて言葉にすれば。

 

今まで私が食べた肉のなかで一番でしょう。

 

「どうせお前なんかそんなにうまい肉なんかくったことないだろう?」といわれそうですが、それなりにうまい肉を食ったことはあると思うのです。東京でバブルの頃サラリーマンをしていた頃には六本木のそれなりにうまいステーキ屋でフィレ肉のステーキを。神戸のフランス料理屋で神戸牛のステーキを食ったことも。ニューヨークでも有名店のピータールガーで。

 

確かに、そういう店で食ったステーキは柔らかかった。ピータールガーの肉なんかはドライエイジドだったので口のなかで融けるような。でも、そんな肉は、味も食感もなんか人間が意図的にいじって工夫して作為的に美味しくしたような。例えば、食べる側の人間が少しぐらい健康でなくても美味しく食べれるような。

 

対して、このムースの肉は、本当に真から「肉、肉、肉」。健康な人間が、丈夫な歯と消化器官で肉と格闘しながら命を味わうような、なんかこー人間の原始的な部分に訴えるような美味しさでした。肉に酔っ払うような。肉に歯を入れ噛み切り、そして飲み込むことで、健康な命の一部をありがたく頂いて、そこから強さをもらっていることを感じさせるような肉の味でした。

 

獲物選びも苦心したそうですが、撃って殺してからも美味しく食べれるように色々工夫があったことをはなしてくれました。

 

まさか肉を食らうことでこんな宗教体験みたいな経験をするとは思いませんでした。

 

なんとか、この気持ちを言葉にしてTさんに伝えようと試みましたが、果たしてうまくつたわったのか?

Tさん、うまそうに肉にかぶりつく私の姿を嬉しそうにみていたので、私の気持ちは伝わったとは思いますが。

 

その後、Tさんの作った木工や彫刻の話しになりました。彼は自分が作った作品が雨風にさらされて自然の中で姿形を変えていくのを見ているのが好きなのだそうです。今回写真にはありませんが、自分のおばーちゃんの顔を土で作り焼いた作品が木材置き場の屋根で、周りの樹木から落ちる雫に濡れていました。その作品の髪の毛の部分は緑の苔が生えてきています。Tさんはそういう現象に自分の意図と技術、そしてそこに自分では計算したり予測したりすることが叶わない自然の作用が働きかけることで起こるなにかを見て楽しむのだそうです。

 

なんかわかったようでわからない、そんな気分になりながら、世の中まだ自分の知らない面白いことが転がってるなと改めて思った今回の出会いでした。

 

素直に、また会って話しがしたいと思いました。できれば今度はシンシンと雪のふる寒い冬なんかいいですね。