日本帰省Part1 | アラスカの自然に囲まれて

アラスカの自然に囲まれて

アラスカ州のアンカレッジは自然がいっぱいで、季節の移り変わりを日々肌で感じる自然に密着したくらしです。このブログでは、ここアラスカでの釣りや山登りなどアウトドアライフを中心に、私の見た事、感じたことなどを独断と偏見で紹介します。

今朝、6月11日未明、1時頃、3週間弱の日本帰省から無事アンカレッジの我が家へ帰ってきました。

 

最初は戸惑い気味で、コワゴワだった猫たちもしばらくするとなれて、寝る頃にはベッドの上で一緒に寝ました。

まだ時差ボケですが、少しずつ、日本帰省の話を書いていきたいと思います。

 

今回の帰省は長く、あちこち旅行して色々な人にあったので、3回ないし4回に分けて書きたいと思います。

 

まずは、前半、八女の実家で過ごした出来事です。

 

弟が出勤すると車がないので、実家ではほぼ1週間、歩きと自転車が移動手段でした。でもこれが結構楽しい。

 

自宅は昔の街の中心地から1キロほどにあり、近くには矢部川という結構大きな川が流れています。

朝は、川の土手まで行って土手沿いに作られた遊歩道をジョギングしたりあるいたり。ここは中学時代の駅伝のコースなので思い出の場所です。帰りには、近くのお宮に行き、そこの樹齢数百年の大楠の下で一休み。これが私の帰省中の朝の日課。

 

写真をとってこなかったのが残念ですが、矢部川沿いの田園風景はアラスカの大自然とはひと味違った、人間の営みによって出来上がった里山の自然の風景。優しい故郷の風景です。

 

午後暇があれば、八女の中心部へ自転車で遊びに行きました。

これが八女市の古い町並み。

 

 

最近は古い日本家屋を借りてそこで喫茶店などをする人がいるので、そんな店に行っておしゃべり。大体東京などの都会から移住んでくる人がおおいので、私はそんな人達がこの八女の田舎でどんなくらしをしているのか興味津々なのです。野次馬です。

 

今回もおもしろい話が聞けました。八女の古い家は東京の家よりもひどく底冷えして冬は寒くて死にそうなこと。まさか九州でこんな寒い思いをするとは思ってなかったそうです。台風の時に雨戸がないので外から窓という窓にいたをはりつけなきゃならないこと。台風が迫って店に行ったらいたが売り切れで大変だったそうです。最後に地元の大工さんの方言が全くわからないこと、そしてそれを面白がって大工さんがわざと方言で喋ることなど。(例えば、八女弁で猫テロン犬テロンとは犬やネコなどなど)でも、夫婦二人でやっている昭和の雰囲気の喫茶店、ゆるーく楽しんで店をしてらっしゃるとのことでした。はや6年、これからも頑張ってほしいです。

 

そして今回の目玉は友達が音頭を取って同窓会まがいの飲み会をしてくれたこと。同級生12人が集まってくれ、中学3年の時の社会の先生もいらっしゃいました。今82歳。私のことも憶えてらっしゃいました。嬉しかったです。

 

その時の写真、顔出しはまずいかもしれないのでちょっとボカして、雰囲気だけ。右の手前二人が女子、そしてその向こうが先生。

僕は、左の向こうから二人目。僕の左どなりはバレー部の仲間。僕は一応キャプテンでしたが、彼が影のボスでした。そういう関係ってありますよね。

 

 

あの頃は脊椎側弯症でコルセットをしていたのでちょっと大変な中学時代でした。バレーをしている間だけコルセットを外すことができたので、地区大会でかちすすんで少しでも長くバレーを続けるのが僕の目標でした。

 

それに、変なこだわりと意地で商船高専などという地元から遠く離れた男子校に行ったせいで僕の甘酸っぱいものが詰まった青春は中学時代で終わりを告げました。だからその思い出の一部である中学の友人たちは特別な人たちです。

 

お酒が回ってくると、当然誰が好きだったのかの話になります。大体の男は思いを寄せる女の子のことなど人には漏らさず中学を卒業するのがあの時代の田舎の中学生。誰が誰を好きだったとか言う暴露話になると以外な驚きが。そして、全ての男が認めるのです、バカだったことを。自分たちで作り出した田舎の男の奇妙で愚かな習慣。それは、本当は好きでも、口も聞かないしそぶりにも見せない。だってそんなことをすれば男友達から馬鹿にされるから、、、、、

 

そんな話に、女子は呆れ顔、「可愛そうな昭和の男」。今の男の子はもっと素直で女の子にも優しいそうです。いい時代になったものです。

 

暗い話も出ました。もうすでになくなった友人、中には自分で命をたった人も。

 

もう59歳になるのですから色々あります。そんな大変な日常を忘れて、昔の自分に帰るのも時には必要でしょう。

 

僕は、今となれば幾分理解不能な自分だけにしかわからないカッコ良さとこだわりで、普通に地元の高校に行くのがいやで遠くの学校に行った。そしてその延長で、今、遠く離れたアラスカに住んでいます。でも今59歳に近づき、もっと素直になって故郷の暖かさや優しさを有り難く思うようになった。そして何より、あの頃からの友達、今も友達でいてくれる故郷の仲間に面と向かって照れくさがらずに「友達でいてくれて有難う」と言えるようになった気がします。こうやって、子供のようになって話せる友達がいるというのは決して当たりまえのことではないと思うのです。

 

歳をとるというのもわるくない。生きていないと歳をとらないから。

みんな、集まってくれて本当に有難う。