なりたい自分、憧れの自分がある。
それも、きれいごとや、そうなった方がいい、じゃなくて、
そうなった方が心地よい、憧れる、という「心」が望む、
なりたくて仕方ない、なったら堪らない、という自分。
もし、そんな自分があるとき、
その自分になったところをイメージしたときの目線、
それがとても大切です。
なりたい人、その人になった目線で、
そのときの情景をイメージしているか。
それとは違って、なりたい人を、見ている目線で、
そのときの状況をイメージしているか。
例を挙げると、
映画俳優になった自分をイメージするシーン。
前者は、俳優その人になっていますので、
映画のセットや、カメラ、監督が眼に映っています。
「カット!」というシーンなどをイメージしますが、
自分自身の顔は見えていません。
自分の手足や、相手俳優・女優の顔は見えています。
後者は、俳優を見ている人になっているので、
例えば、映画のスクリーンに映っている自分が映っています。
カメラや、監督の目から見た自分なので、
自分の顔が見えています。
前者の自分目線でイメージした場合は、
自分の感情に訴えるリアリティがより強くあります。
後者の、他者目線でイメージした場合は、
前者より、それほど感情が高まらず、
リアリティも弱いものとなります。
最大の違いとしては、
前者はその人になりきっていますが、
後者は、その人を憧れの人として、眺めています。
前者は、もし俳優になったら・・・
という入り口から、イメージ上は俳優として振舞っています。
後者は、同じもし俳優になったら・・・
という入り口ですが、俳優になったのを羨ましいと眺めています。
わずかな違いのようですが、
イメージ上、
俳優になっている人と、
俳優を羨む人と、
分かれています。
潜在意識は、
強い感情を伴ってイメージしてしまったものは、
そのイメージと現実のギャップがあったとき、
そのギャップを埋めたくなります。
前者だと、
イメージ上、想像の世界では俳優になっているのに、
現実は俳優じゃない。
ギャップがあるので、俳優になりたくて仕方なくなります。
後者だと、
イメージ上は、想像の世界では俳優を羨む人になっていて、
現実も俳優じゃなくて、俳優を羨む人。
ギャップがないので、そのまま俳優を羨む人のままです。
わずかな違いに見えることが、
結果として潜在意識に伝えるメッセージは、真逆です。
自身がイメージしている目線がどちらかで、
これだけの差が生じます。