医者に依存するほど自分本来の治癒力は阻害される(セスが語る人間の本質)
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音声読み上げあり
これこそ問いを発していた私に
答が返ってきた情報だった。 感謝!
アチラの世界からセスが語る
現代医療(西洋医学)と患者の意識との関係
人はなぜ病気をするか
岡田茂吉の医学論とセスの病気と精神の関係を合わせて読むと
人類の病気の意味がよく分かる。
宗教の言うような罪でもないし、医学の言うような悪でも無い。
本来の自分に回帰するために自然が与える気づきなのでは?
ところが、現代唯物科学を土台にして成り立った現代医学は、身体の調整機能を阻止してきた。それが医療の本質。
そして、それは患者の求める方向性が創造したものだから、患者の意識が変わらないと医療も変わらない。
そして、自らが創った蟻地獄にはまり込んで苦しむのだ。
それは根本から解決出来ないで次々と連鎖反応が引き起こされ、悪化して行く。
患者が変われば医療も変わる。
主体は患者=私(あなた)なのだ。
医者に依存するほど自分本来の治癒力は阻害される
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
zeraniumのブログ
医者に依存するほど自分本来の治癒力は阻害される
繰り返しますが、あなた方の想念という思考は現実そのものです。
それらはあなたの身体に直接作用を及ぼします。あなた方にとって病人を入院させて治療するというシステムは、高度に文明化されたものと見えていること
でしょう。そのようにしてあなた方の社会は、ネガティブな病気の観念でいっぱいの人々を隔離します。しかしそこで実は何が起きているかというと、そのよう
にして隔離された人々の間で観念の感染が広がるのです。患者は病気だから病院にいるのが当然とされ、病人も医者もその原理に基づいて行動します。
現在のあなた方の社会は出産する女性であっても、彼女たちは病人としての扱いを受けるようにそういった環境に置かれます。あなた方はそれをとても人道
的なことと考えているかもしれませんが、そのシステムでは、出産は健康の結果ではなく病気の結果であるかのように「あえて」システム全体が構成されている
のです。
そのシステムでは、健康に結びつくような刺激は「巧みに」遮断されています。病人は一箇所に集められ、通常の自然な環境をことごとく奪われます。 時間をかければ、それだけで健康を回復し得るはずの、自然な動機づけの機会さえも与えられません。
このような隔離システムは、どれ
だけ病人への援助が意図されていたとしても十分に不幸なものであり、そのうえきちんと理解されないままに薬剤が使われます。また身内の人々が病人を見舞う
ことができるのは一定の時間内に限られ、もっとも身近な愛する人々が病気の回復を願って自然に前向きな行為をしようとすると、効率的に阻まれるのです。
病気の治療とはいえ、病人は監禁されます。
つまり彼らは自分の容態にひたすら注目するように強いられるのです。こういったことのすべては、たとえば超満員電車のように人間性を奪うだけでなく、
人間のプライバシーを否定し、尊厳を踏みにじるのです。病人は無力感を抱かせられ、医者や看護士の為すがままです。医者や看護士たちには、ていねいに接し
たり、患者に理解できる言葉で病状を説明したりする時間もエネルギーも十分にはありません。そのために患者は自分自身の力の感覚を失い、自分自身を他人に
丸投げして依存せざるを得なくなり、より一層惨めさを深くします。これにより、本来その病気を引き起こすことになった無力感が、さらに強められることにな
ります。
しかもそれだけでなく、太陽の光や自然の空気、土といった自然界の要素からも遠ざけられることになり、その慣れ親しんだ
安
定感を取り上げられてしまうのです。しかしあなた方の一連の観念によると、深刻な病状では多かれ少なかれ病院に行かなければならないでしょう。私は医者や
看護士たちが治療に最善を尽くしていないと言っているわけではなく、きっと治るでしょう。しかしそれは、その医療システムによって治るのではなくて、その
医療システムにも「かかわらず」、治るのです。
多くの場合、患者に対する医者の観念がその患者を元気づけ、それが患者自身の観念を呼び起こします。そして医者に対する患者の信頼が医療の効果を高め、「そのゆえに」
患者は自分の回復を心から信じられるようになるのです。しかしその一方で、あなた方人類も動物たちと同じように本来備わっている、自然治癒のプロセスというものがあるのです。
病気というものは、普通あなた方が直面していない問題を表しています。
それはあなたを、さらに大きな到達や実現へと至るための学びが、病気という形をとって現れたものなのです。
本来、身体と心はともに働くことで、非常に 効果的にお互いを癒しており、ほとんどの場合うまくいっています。つまり身体組織それ自体が健康の観念を持っており、それがあなた方が無意識と呼ぶ部分な のです。
あなたは、あなたの環境の一部であり、あなたが環境を形成しています。
そしてあなたと、あなたの環境をつ
くっているエネルギーは、あなたを取り巻く物質世界と結びつくことから生き生きと湧き出しているのです。太陽の明るさがあなたにほほ笑みを呼び起こし、ほ
ほ笑みは楽しい気分と記憶を呼び覚まし、神経系を活気づけ、ホルモンの働きを促します。それが、生命の性質をあなたに思い出させるのです。
古代から伝えられる方法によって、昔の治療医は自然環境の中においてその素晴らしい癒しの力を用い、実際的でありながら自然の力を創造的に使いこなす ことができたのです。
しかし現代のあなた方の病院では、患者は自然な環境から遠ざけられ、生命の持つ心地よさというものを感じさせられることがなく、感情 的な交流もあまり見られません。
しばしば老人病棟の閉塞空間から逃げ出そうとする高齢者は、彼らを幽閉した身内や社会よりも卓越した精神的健全さを持って おり、そのゆえにそれを自身のやり方で表明しているのです。
彼らは自由の必要性を直感的に悟っており、地球という自然との親しい交
わりを奪われていることを知っているのです。寝たきりの人でなければ、みんなが自由に身体を動かせて散歩ができるように、広々とした土地にある小さな病院
の方がどんなにかよいでしょう。しかし今のあなた方の医療システムでは、よほど裕福な人でなければそのような環境を手に入れるのは難しそうです。
多くの動物たちは、病気になると休息のために群れを離れます。
そして自分の健康に必要な自然を訪ね歩き、薬草を探したり、しばしば川べりの汚泥や粘土に横たわったりします。同じ種である仲間たちに助けられること もよくありますが、それでも自由でいられるのです。
も し仲間から攻撃されて死ぬようなことがあったとしても、それは彼らにとって残酷な行為ではなく、もは や身体を動かすことができなくなったときの彼らの了解事項であり、激しい苦しみなしに身体を離れることができます。それはまったくの安楽死とも呼べるもの で、彼ら「患者」は黙って従うのです。
しかし現在のあなた方の社会では、こうした自然な死に方は一番難しく、受け入れられないもの であるはずです。
なぜならあなた方の世界を支配する権力構造にとって、その死に方はまったく奨励されないものであるからです。
しかし実際には本人が死を決 めているならば、どんな医療の専門家であっても救うことはできません。
その人のより深いレベルでの正常な生存欲求が、肉体を離れることを促すからです。
その時が来ると、本人はそれを悟り、大いなる生命力に目覚めた魂は、傷んだ身体に収容されていることをもはや望まないのです。
しかし ここで、魂と肉体が自然に分かれようとするとき、あなた方の医者たちはあらゆる技術を駆使して手を尽くし、力ずくでその人を肉体の中に押し留めようとしま す。
魂には自らの死の準備のための自然なメカニズムの動きが備わっており、身体的にもそれを容易にさせるように化学物質が分泌されて作用します。
つまりわ かりやすく言うと、魂は急な加速の衝撃を起こして、自らを速やかに身体の外へと弾き出そうとするのです。
しかしながらその時用いられる薬剤の使用は、一方 的にその動きを阻止してしまうのです。
ある種の薬物の使用は助けになることがありますが、多くの場合、病院で投与される薬剤は単に意識を麻痺させるだけで あり、むしろ身体自身が備える移行のプロセスを阻害してしまうのです。
あなた方は「無力感」が強くなればなるほど、自らを癒す自己 治癒の能力が使えなくなっていきます。
そうなるとあなた方はそれを外に求め、医者や治療者など外部の力に投影するようになります。
しかしたとえそこで、あ なたの医者に対する信頼の観念が効いて症状が治って身体が楽になったとしても、あなたの自分自身に対する無力と不信感の観念はさらに深く侵害される可能性 があります。
つまり病の原因になっている自分の問題に対処して、有効な努力をすることがなければ、症状はまた別の形で現れることに なり、こうして同じプロセスが繰り返されることになるのです。
そして相変わらず内ではなく外へ向かい、医療全般への信頼感を持ち続け、あちこちの医者を 次々と渡り歩くということになるでしょう。
身体には身体としての統合性があり、たいていの病気は単にバランスが崩れたことを知らせ る合図にすぎません。
つまりあなたが自分自身に耳を傾け、それに従って内側を調整すべきだという身体からのメッセージなのです。
しかしこうした調整が常に 外部から、たとえば薬剤投与という形でなされてしまうと、身体に本来備わっている統合性が崩れることになり、身体と心との深い結びつきが乱されることにな ります。
しかもその上、身体が本来持つ自然治癒力が鈍くなります。
そうなると、本来なら身体内部の刺激によってはじめて引き起こさ れるはずの治療への誘引が、「外的な」手段によって活性化されてしまうことになります。
そして、あなたの信頼はますます外部の何かに転移され、投影される のです。
これは一般的に、自己探求に必要な「内なる対話」ができなくなることを意味しており、本来なら自然に生じる自からの治癒の力が、外部の人々への依 存という観念によってもたらされることになります。
しかしそれも、そんなに長くは続きません。
今話しているのは、主に西洋文明の西洋医学に関してです。
しかしそうではない他のいくつかの文明では、特にあなた方にとっての過去の文明では、治療医はすべての人々の受け入れている自然という背景の中で癒し を行いました。
自分ではすぐに治療「できない」と思う患者に「代わって」治療医が自然の力を導き入れ、病む人をその人自身の本来の源へと引き戻し、人間が 本来持つ埋もれている力の感覚を呼び起こしたのです。
力と行動の感覚、これこそが身体的な生命の根源なのです。
無力だと感じる時、あなたが自分をそう見な す時、あなたの中の何かが死ぬのです。
セス・ブック
book 「個人的現実の本質」 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
ナチュラルスピリット
抜粋
投稿者 zeranium 日付 2013年3月 6日 (水)
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
深く読んで気づく文でした。
深く感謝
医者=他者としても。
自分の内なる力を強く信じることが一番長生きでき、一番健康を維持できるのかも知れませんね。あとは自然に任せることを主体とした援助的治療法は各種あるのでしょうが。
リヤカーを引くのは私だ。あとのものは助っ人だ。
こういう思考で自分にあった治療法を利用するのだと思います。
自然死を目指すと自然に生きられる?
自然死について中村仁一先生は
たね蒔きジャーナル「"穏やかな死"を邪魔する医療の内幕」