湿布から考える現代医療の行く末考察 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

なんだか題名がねえ~~~

それはさておいて、
アトピーから連想した文がトンデモナイことに(笑い

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

【湿布】
これは、皮膚による呼吸を閉止します。
または薬毒を皮膚細胞から内側に浸透させ、その部面の浄化停止を行うのです。

その結果、一時的にでも苦痛は軽減します。

しかし、その方法では薬毒の残存が種々の悪影響を及ぼすします。







【膏薬、塗布薬】
いろいろな発疹(腫れ物)とは、身体の外に毒素を出そうとする過程であります。
それを膏薬、湿布薬で押しとどめるわけです。
外に出るべき要らないものを、再び内側に引っ込めようとするのです。

その結果として、毒素は内側に向かいますから、皮膚上の発信は収まります。
しかし、時を経て再び外に出そうと人体の力(生命力)が働き、発疹(腫れ物)となるわけです。

そこで、再び抑えつける医療(本当は医療とは言えないが)が施されるのです。
だが、それを繰り返しているうちに、薬という毒性物質が加えられその排毒作用として発疹は重度になってゆくのです。

アトピー治療で収まらない発疹が増えている事は、間違った治療法をしているからです。
全部をいちどに出してしまえばよいのでしょうが、それも人によっては大量の毒素保有者もありますから、小出しにして出そうとする方が楽です。
それはすべて身体の方が計算してやってくれるのですから、お任せするしか無いのです。

ただ、その毒出しとしての発疹があまりにもひどい状態で、見ている方もつらいわけです。
それで、医療を受けるのですが、それで一時的に収まったりしますから、そこで、「やっぱり薬が効く」と思うのです。

ところがそれで収まってくれれば、たとえ一時的抑圧手段としても医療の価値はあるのですが、そうならない。
再び毒出し作用が始まるのです。
もともと人体は不要なものを外に排泄するという機能が太古から備わっているのですから、現代人も古代人も変わりないのです。

そこで、以前抑圧した反動と皮膚から浸透した薬毒も加えられて、さらにひどい症状として出てくるのです。
医療はそれをまた抑圧する。つまり外へ出るべきものを内側に抑え込む。

人体の方が出そうとする。医療の方は出さないようにする。
この繰り返しをやっているうちに、ついには難治性の症状としていつまでも苦しむことになります。

これは借金の法則でみれば納得できるでしょう。
借りたお金を返すのはしんどいのですが、それを嫌ってまた借りる。
その繰り返しで自己破産にまで行き着くひともいるのですが、人体の借金とは毒素の保有ということです。
体内にどれだけ保有しているかは、万人居れば万人異なるわけで、だれも知る事は出来ません。

ただ、身体の方が知っているのですから、いつ何時にその排泄作用(浄化)が起こるかは、自分(自我)の都合ではありません。
ただ分かるのはその時に顕れる症状で納得するしか無いのです。
その浄化の過程があまりにも苦しいひどい状況であったら、それだけの条件が体内にあったのだと覚るしか無いのです。
出てくる症状は既に結果なのですから、その結果を押し戻そうとしても無理なのです。
あえてするならば、その身体が行う浄化作用に絶対に逆らわないことと、それに沿った様な身の施し方をするしかないのです。

現代医療が病気とは浄化作用という自然の法則に逆らった「対象(対症)療法」を進歩させてきたのですが、結果を相手にして原因を無視しているのですから、ついには借金の法則でみれば自己破産が間近いということになります。

その先駆けというか、病気の第一歩のような感冒(インフルエンザも同じ)を怖れるのも、その浄化停止という方法が自然界には通用しなくなってきたからなのです。

人間の病気の基本中の基本である感冒の原理原則は自然界の掟のようなものだとすれば、その掟に逆らう対症療法はいずれ破綻の末路を迎えることでしょう。

風邪を止めていると、万病が発生する・・・桶屋が儲かればの噺ではなく、人体の機能としての行き着く先なのです。

あらゆる万病は体内を護るために起こる反応、浄化作用とすれば、究極はガン細胞によって表現されているのでしょう。
自分を愛するということは簡単のようで難しいのです。

それは身体の反応すべてを受け入れるという事でもあります。心だけでなく、身体の方も愛するとなると、なかなか難しいのです。

病気という苦痛、段々と不自由な身体になって行く過程、肉体の死を覚悟しなければならないような状態・・
生き延びたいという望みと正反対の方へ向かうとき、ひとはもがきます。
それはあたりまえなのですが、それを起こしているのは自分の肉体です。
愛するがために、身体の行う浄化作用を見間違うと、起こっている事は悪だとなります。

勘違いした愛がじつは生命力に逆らうことになるのですから、まさに悲劇なのです。
一分一秒でも長生きしたいという願望はだれでもありますし、病気から早く解放されたいという希望もあたりまえなのです。

しかし、その自分を愛するという気持ちと行為がすれ違ってしまった思考が今の医学を進歩させてきたのですから、最終的にはそれに気づかされる宿命があります。

どんな理屈を付けようとしても、人体という自然の摂理は途中で仕様変更するわけではないでしょう。

ひとはまず風邪という浄化作用の第一歩を経験したときから、医学と言うものを考え出したのでしょうが、その第一歩を勘違いしてしまったのです。

それをボタンの掛け違いだと言うのです。
一番上のボタンの位置に来るまで、気づかなかったらどうなるでしょうか?
最後のボタンに来るまで、何千年かかったのかは分かりませんが、ようやくその最後の方に近づいてきたようです。
それに早く気がついたひとが世界中に幾人かは居たのですが、ほとんどのひとがそれに気がつきませんでした。

いまもまだボタンの掛け違いが進んでいる状況です。しかも、それが進歩していると思い込んでいるわけですから一生懸命努力奮闘中というのが現状でしょう。

最初の出だしが風邪というものだとしたら、最後に戻ってくるのも風邪なのかも知れません。
究極はガンではなく、風邪こそ万病を原理を知る土台として世界中のひとが意識する時が来たのではないかと思うきょうこのごろであります。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー



あれ!
湿布の話がどうしてこんなところに?

それに前にも同じようなこと書いた記憶が甦ったりして(笑
となると・・・
「きょうこのごろです」ってのは、ずっとそのマンマじゃないか!!