現代医学解体論 「医学は毒出しを嫌い、毒入れを好む」 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

奇妙な題名にしたが・・・

現代医学は毒を出さないようにする医学である。

それは病気観を誤ったからである。
いや、病気観を誤った思考が現代の医学になったというべきか。

病気の症状をみて悪いものと観た。
当然のことだが、苦痛をともない体力も消耗する状態をみて
悪いものだと思うのは人間として当然だろう。

しかし、根本は違っていた。
病気とは浄化作用だというのが根本だった。

何の浄化作用か?
それは体内毒素のことである。

毒素を排泄する作用の経過が病気の症状として現れるのだった。
したがって、毒素の多い場合はそれだけ排泄の過程がきつくなるから
症状が重くなる。

それを見て、この苦痛を止めれば病気は治るものだと錯覚した。
その錯覚が進歩したのが現代の医学である。

いちにも二にも、症状は悪いのだから止めることに専念する。
だが、それは体内毒素の掃除(浄化作用)であるものを
掃除させないようにするのである。


結果として、いったん収まった症状でも根本は治っていない。
毒素の排泄がなされていない以上、体内のどこかに溜まっているからである。

それは個人一代で消滅しない。
子どもに譲り渡されるのだ。

子どもは産まれながらにして無垢であり、無毒体質であるとは言えない。
親によってはかなりの毒素を持ったまま子どもを作るからである。

その親の毒素を貰ってくる子どもは、少し体力がついてくると
こんどは子ども自身が自分の力で毒素を掃除する時期がくる。

排毒は病気症状として現れる。
それが百日咳や麻疹などである。

それを嫌って医学は予防しようとする。
それがワクチンである。

そのワクチン効果があれば幼少時の病気は予防される。
だが、その予防は排毒されない予防であって、毒素という
浄化の種は潜んだままである。

いずれは浄化排毒されなければならない。
排毒されなければ劣弱な体のまま一生を過ごすことになる。

それはまた次世代に受け継がれ、子孫が浄化することになる。


病気は毒素の浄化作用だと分かれば、いつか誰かがそれを引き受けなければならない。
だれも病気の苦痛は嫌だが、かならず自然は排毒作用をもって浄化を起こさせる。

この浄化装置が働かなくなれば人類は終焉を迎えるだろう。
毒素多量保有者は繁殖能力まで失い、体力劣弱のための短命時代を迎え、
やがては滅んで行く種族なるだろうから。

病気を本当に予防するということは
体内毒素を減らして行く道以外に無いだろう。

麻疹、三日ばしか(風疹)など子どもの頃にかかった方が軽くて済むのは、
それが自然だからだろう。

こどもの内に親からの遺伝毒素を掃除しておけば、その先には健康体として
生きられるからだ。
もっとも、現代ではありとあらゆる毒物が入ってくる時代だから、せいぜい風邪を
できるだけ引いて排毒することも必要だろう。

病気を治すには病気を嫌ってはいけない。
あまりにも大量に毒素を溜めると、体力が持たない。
しかし、親の責任は子どもが引き受けることもある。

それは子どもが短命になって親の身代わりになる場合だろう。

予防接種は効かない。
こういう論もある。

効くという論もある。
しかし、本当の予防とは毒素の排泄が行われて
体内毒素が少なくなることしかない。

昔から言われるように、血がキレイになるしかないのだ。
血は生命力の表れのようなものだから、血液を汚すような
ワクチンがよいわけがない。
効くとか効かないの前に

病気は浄化作用だという原理を知ればよい。
浄化作用をとめて予防するなどとは考えもしなくなるだろう。


参考
岡田茂吉の医学論
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー


―― 岡田自観師の論文集 ――


感冒・結核は治る

自観叢書第1篇『結核と神霊療法』P.11、昭和24(1949)年6月25日発行

 これを説くに当って、本会〔ママ〕からいえば霊体両面にわたって徹底すべきであるが、霊の方面は信仰者以外、全面的に理解し難い憾(うら)みがありその点を考慮して第三者にも理解し得るよう書く事にしたため、幾分不徹底の嫌いなきにも非ず、しかしこれはやむを得ないのである。

 結核といえば、まず第一は肺患であり、次いで喉頭、腸等がおもなるものであるが、何といっても肺結核が断然問題の焦点である。
しからば肺結核なるものはいかなる原因によって発病するものであるかを深くメスを入れて説いてみるが、それについてあらかじめ断わっておきたい事は、これまでの医学の説とは余りに違うから、読者はそのつもりで全然白紙になって熟読されん事である。

 そもそも、人間の病患の中何人といえども必ず罹病するものは彼の感冒である。
いかなる健康者といえども、生涯の中に一度や二度感冒に罹らないものはないであろう。
しかるに進歩したという現代医学がいまだ感冒の原因すら不明であるという事はなぜであろうか、実に意外という外はない。
ところが結核の真因は感冒にあるのであるから、何よりも感冒の原因が判らない以上結核の真因が判るはずはない、故にまず、私は最もこの難問題である感冒の原因から書いてみよう。

 そもそも、いかなる人間といえども、毒素のないものは恐らく一人もあるまい、オギアと生れた時すでに天然痘、麻疹(はしか)、百日咳等の先天性病毒は多少なりとも必ず保有している。
特に最も著るしいのは天然痘の毒素である(これを略して然毒とかく)。
この然毒は彼の種痘によって天然痘発生を防止するが、単なる防止しただけであって決して然毒を消滅したのではない。
依然として然毒はそのままである、いささかも滅ってはいない。
種痘によってただ発生の力を弱らしたまでで、この事が最も肝心な点である。
しからばこの保有然毒はいかになりゆくかというと、年月を経て人体の各局所に集溜し固結するのである。
それはいかなる訳かというと、人間が神経を集注する個所へあらゆる毒素が集注するのは原則である。
したがって人間が神経を最も使うところの上半身特に首から上を診(み)ればよく判る、脳を使い、眼を耳を鼻口等は最も使うところで、その結果然毒を主にあらゆる毒素は上昇し、頭部淋巴腺付近に集溜し、漸次固結するのである。
この理によって淋巴腺に固結のないものはほとんどないといってもいい。
見よ、児童が学校へ入学する頃から淋巴腺腫脹が始まり、扁桃腺、アデノイド、中耳炎、脳膜炎、脳炎等が起りやすく、腺病質となったりするのも、早期入学によって頭脳を酷使し始めたからである(早期入学の害は別の機会に詳論する)。

 右のごとく、集溜毒素は時日によって固結するが、この固結はある程度に達するや、ここに自然浄化作用が発生する。
この浄化作用こそ人間の健康を保持すべき摂理作用であって、実に神の恩恵ともいうべき貴重なものである。

 ここで浄化作用なるものの詳細を説明してみるが、固結毒素(以下毒結という)の排除作用が発生するのである。
その場合まず毒結排除をやすからしむるため溶解作用が起こる。
そのための発熱である。
発熱によって毒結が溶解し液体化しそれがまず肺臓内に浸潤しある時間帯溜する。
ところが固結が液体化してもまだ濃度であるため、今一層液体化の第二次発熱が起こる。
それで初めて理想的液体となり、それを排除するため咳嗽というポンプ作用が起こる。
咳嗽の後に必ず吐痰をするのはそれである。
自然は実によく出来ている。
その際医診によればラッセルが聞え、レントゲン写真には滞溜喀痰が写るから、肺浸潤、肺門淋巴腺、肺尖カタル等の、診断を下すが、これ程の誤りはない、何となれば肺臓内にある喀痰は、第二次溶解作用によって外部へ排泄さるるまでの暫定的のものであるからこの際肺臓は健全であって、なんら異常はないのである。
故になんら手当もせず放任しておけば喀痰は自然に出るだけ出て治癒してしまう。
しかもそれだけ病毒が減った以上、寒冒以前よりも健康体になるのは当然である。

 寒冒の場合の頭痛は、頭脳内にある毒結が強力浄化である第一次発熱によって、一旦肺臓内に滞溜するのは前同様である。
その際液体が肺臓内へ移行する作用が、神経を刺戟する、それの痛みである。
その他後頭部、延髄付近の毒結溶解は、クシャミというポンプ作用によって鼻汁となり、また浅部の毒素は発汗となり、上半身のそれは盗汗(ねあせ)となり、下半身のそれは多く尿となるのである。
この理が判れば感冒なるものは、いかに有難いかが、知らるるであろう。


ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー