うまく乗れるならサーフィン気分で好調
名サーバーは波に逆らわずに乗るだけ
けど、
へたなサーバーは波に逆らうから、あっという間に波にのまれてしまう。しかも、恐怖感でいっぱいだから周りの何かに手を伸ばしてつかもうとするのは当然。
ここで問題なのは手につかむのがワラくらいなら、まだまだ助かる可能性はある。それが軽いからだ。
しかし、そこに誰かが投げてくれたものを見境無く掴んだとしたら・・・
鉄のアレイなど投げ込まれたのを掴んだとしたらエライことになる。
それをシッカリ掴んだまま海の底に沈んで行くだろう。
「お~~~い、その手を開いて掴んだものを離せ~~~」
と呼びかけても、もう無我夢中だからどうしても離せないのだろう。
手さえ離せば自力で助かる人も多いのだろうに。
コレ書いていて、思い出した。
実はカナヅチなんで(笑い)
ある日、プールでポチャポチャと泳ぐまねしていた。
そして気がついた。
プールの底が意外と深かったのだ。
急に怖くなったのだ。あわてて泳ごうとしたがチャプチャプするだけでなかなか進まないのだ。
あ~~~おぼれる~ オレはプールで溺死してしまう~~
あわてればあわてるほど沈むものだからおもしろい、いやおもしろくない。
とっさの反応で、周りのものを掴もうとする。
すると、近くに泳いできたオッサンの海パンに手がさわったらしく、無我夢中で掴んでしまった。
オッサンのパンツを引っ張ってようやく息をついたというか、気を取り直したらしく、そこで立ち上がったらどうにか首が出る高さに気がついた。(愕然)
あっぷ~とかつぶやいてオッサンには誤魔化していたが、その相手が女性だったら・・・・・・
こりゃ、ごまかしがきかんかった・・ぞ。
「それでも私はやっていません」などとい痴漢のえん罪映画の様にはいかんかったろうな・・・・・・・(爆)
バカなやつほど自分が可愛いものでございます。
いや、ほんとうのほんとうは自分を一番愛することが一番なのだそうですから、心身ともに自分を愛してこそ人様も愛せるのだそうですが・・
当人はどうも「愛」という事になかなか天の邪鬼なので、まだまだ自我の妄想にとりつかれている状況です。
で
心も体も愛すというのは、自分自身の事です。
心の方は他人様のお話がたくさんありますから、そちらに譲って。
身体の方がなかなかこれ精神世界の方々もある程度は言われている事ですが、それでもなかなかです。
単刀直入で言えば、薬の事です。
もちろん医薬品。
これに対しては、まだまだなのです。
まだまだ、というのは、
「薬はもちろん副作用があるのは知っているが、使用限度を守れば、適量に使えば、正しい使い方をすれば・・・必要なのだから、正しい恐がり方をしなさい」というふうに受け取っておられる方が多いと思います。
ちょっと前に引用したものに、「まむしに咬まれたら血清」という常識が覆されたという医学情報がありましたが、そのように「まむしに咬まれたらどうする?」とか「蜂に刺されたらどうする?」とか一部の処方は絶対必要だとかの論もありますから、今一度にぜんぶ薬を絶対否定する事もいけないのかもと思ってしまいます。
しかし、マムシの件は血清は役に立っていなかったという証拠が出たそうですし、ボクの経験では蜂に刺された人を日赤病院に連れて行ったときに言われました「蜂に刺された場合の解毒剤は無いのです」。
なんだ、意外といままでの思いこみだったんだなあと。
この様に絶対必要とされる薬についてもいちいち大規模調査して貰うにつれて意外と効いていなかったり、もちろん、薬は毒ですから害作用がハッキリ判ったりする事の方が多いかと思います。
我々は「本当は自分の力で治っていたんだ」と気がつくのではないでしょうか。
その「自分自身の治癒能力が及ばない時」が死ではないかと思えるような気がします。
いろんな薬もそうですが、無害と言われる巷にあふれるいろんな療法でさえも、
「自己の治癒力=自然良能力」
を超えるものは無いのではないか?
いや、それを超えてはならないのではないか?
とちょっと飛んだ話を思うのです。
つまり、この「自己良能力を助けるという働きの療法」はよいのですが、それ以上は「よけいなお世話」になり得るのかと。
魔法の様にどんな人でも治してしまう治病力が存在した場合、もしもその人が魂の方で「この病気によって何かを起こすために必要不可欠なもの」だという意識が有った場合、他から施す奇跡的な治療が果たしてよいのかどうかという。
その人が「生命をかけてでも何かを達成するため」に病気という形をとっていた場合(それは少ないのかも知れませんが)、です。
むやみやたらに病気を治すという行為が行われたとしたら、それは魂にとっては「よけいなお世話」となり得るのかもという事です。
よくボクが引き出す岡田茂吉論とともに「浄霊法」という手かざし療法ですが、これは昔は相当な奇跡的な効果がたくさんあったそうです。
もちろん今でも後継団体などたくさんありますが行われているはずです。
しかし、
その当時に較べて浄霊の効果というものはどうなっているか?はある程度想像できます。
昔のように連続的に日常的に重度の病気がどんどん治っている様な浄霊効果というものは無いのではないか?
もし同程度あるならば、何も宣伝も要らないし、勧誘も要らない、黙っていてもどんどん治った人が他人にその喜びを話すでしょうから、ネズミ算式に増えているでしょう。
黙っていろと言っても自分が重病を治して貰ったらクチをつぐんでいられないというのが人情です。
どうもそんな噂が世間に広く流れていないという事は、あの当時の浄霊の効果はどこも無いのではないか?と勝手な解釈ですが思います。
自分自身の事でも、今はお守り(浄霊法の力の源と言われたもの)はかけないし、信仰もしていません(ご神体というものも焼却)、またお位牌も焼却してしまいましたし、自分は死んでもお墓に入れてもらえなくても全然構わないという思いです。
むしろ、今は世間様よりも神仏離れしている状態ですが、それでもこの手かざしは何かちょっと具合が悪いときには自然と手を当てています。
それほど奇跡的な効果はなくとも、この手当て(浄霊と呼んでよいのか?)は自分にとってはありがたい方法です。
昔やっていたかた今も活用できるのか?
それとも
これは誰にでも無条件でできるのか?
これはいまのところ判りません。
そして、この浄霊で家内の重度のリウマチ症状での麻痺状態は治りません。しかし、一切医学的治療は行いませんでしたので、これが正解だったのかどうかは本人(の魂)にしか判らないでしょう。
残念ながら自分の表面意識と奥の意識とは時には正反対の事がありますから、自我でいくら考えてもわからないわけです。
奇跡的効果がすべて必要なのかどうかという事は自我意識では判別できないのですし、さらにどんな病気でも治るということが必要なのかも不明なのです。
同じ重病でもあっさり治るひとも居れば、なかなか治らないでいるとか、若くして死んでしまうとか。
その人にとってその病気が簡単に治ってしまって良いのかどうかは魂の世界でしか判らないとすると、必要があって病気を体験している人を「強制的に治す」という事が人と時によっては「よけいなお世話」になり得ることも考えてしまうのです。
ゆえにどんどん人の病気が治る、治せるという事が一概に善いことだとは言えない、むしろ、不必要な場合もあるわけですから、治る治らないというだけで何事も判断してはならないのでは。
どんな汚染物質の無害にしてくれる最高の浄水器。
たしかにありがたい存在です。
それをどこの家庭でも取り付けられたとしたら、それだけでもう善いのかというと、
肝心な事は水の汚染源です。
水の汚染しながら、いくら最高の浄水器を使っていても、そこには水源の清浄化をするという意識は有りません。
やっぱり対症療法です。
身体の改善は心の改善と繋がっているようなのです。
身体だけを対象にして考えてもいけない、だから、単純に奇跡的治療を施してはいけない、その身体になった水源は心が源だとしたら・・・
そこにたどり着くために、もちろん病気は身体は体内毒素の排泄という基本はありますが、病気になるきっかけとか病気になる意志(魂の意志)があるのではないでしょうか?
病気なる意志というのも変ですが、身体だけ考えても病気は自然良能力のなせるもの、つまり、病気を治すのも自然良能力なのだが、病気になるのも自然良能力の力とみると、そこにはなにかのきっかけというか、意志的な働きがあるのではないでしょうか。
病気になる意識、もちろん、表面上の意識には判りませんし、そんな事を望む人は居ないわけですから、その奥の潜在意識、さらにまたその奥の魂の意識なども相絡まっているのでしょう。
これは病気ばかりではなく、事故などもいわゆる災難といわれている普通一般マイナスと思われること一切に当てはまるのでしょう。
これらを浄化作用と呼んだ岡田茂吉(師と付けたいがあえて付けません)が病気治しに使った「浄霊法」は奇跡的な治病効果をあげていたという話はたくさん残っていますが、それが現在も同等にあるのかという疑問に対しての思いがそれなのです。
これは「浄霊法」に限っているわけでなく、いま世界にいろんな癒しの方法があり、なかには魔法的かと思われるような奇跡的治療法があるのを見かけます。
また、そういう癒しの人、ヒーラーも存在しているのですが、全部の人を治し得るかと言うとそうではないでしょう。
おそらく、奇跡的な効果をあげる人とまったく変化の無い人の差が大きいのではないかと思います。
それがこの理由なのではないでしょうか?
地球の原理では神様が奇跡的な治病をなされるという方法が正解であっても
宇宙的な原理では、奇跡的な治病力は時と場合による、故に誰も彼もむやみやたらに病気を強制的に治病してはならない
これはボク自身の妄想かも知れませんが、どうもこれに似たような話のヒントを時々得るからです。
水源の汚染を解消することに浄水器の普及はかえって役に立たない、水質汚染の解決意識を失ってしまう・・・
これと似ているような。
薬を飲んでも病気は治っているというけど、薬は病気症状の軽減に働くだけのことで病気を治しているのは自分自身の治癒力なのだ。
これはわかっているんだ。薬はその治癒力の助けをしているんだという考え方がありますが、それは勘違いなのでしょう。
治ると苦痛症状軽減とは似て非なるものとは岡田茂吉論で指摘されている様に、薬の効果とはあくまでその毒作用による一種の麻痺状態をつくるようなものです。
痛いという信号を遮断すれば確かに痛みは来ない、熱をはっせいするという生体反応を停止すれば熱による苦痛はなくなる。
しかし、それでも人は病気が治っているから、薬が病気を治したのだという。
それはその人自身が病気を治しているという大黒柱を無視しているからでしょう。
少々の薬毒にさえにも打ち勝つほどの治病の力を人が持っているとすれば、少々の薬の害にも打ち勝って治ってしまう。
そうすればたまたまそこで使っていた薬の効果であったとも言えるのでしょう。
ちょうど、結核の減少と医学の効果と言われている錯覚の様なものです。
結核の特効薬ストマイが使われる前に結核は自然に減少し始めていた。しかし、使う時期が近かったためにストマイが結核を減少させたという事は医師なら知っているはず。
いや、知らない方の医師が多いのかも知れませんが、これは世界でも同じ状況だったという証拠は出されているのですから、ただ勘違いしていた、させてたいたという事です。
何だかまた話が飛んでしまったみたいですが、とにかく今医療はものすごいスピードで変革が進んでいるみたいです。
アメリカの経済破綻はもう決定的のようですし、中国もなんか体制の崩壊の兆しというような世界の情勢も日本の情勢もアレヨアレヨとばかりに大きく変わっているのをみると、医療の世界もあっという間に変化するのではないかなどと思うきょうこのごろです。
自分の立場をみればどうにか息をしているかのようなチマイ世界なので、そんな大きな世界のことをどうのこうの言っている場合ではないのですが、かえって、外側からそういう世界を眺められるという立場なのでよくわかるのかも知れません。
お気に入りの藤原直哉先生のネットラジオをいつも聴いていますが、なるほどね~と思いますね。
今年はそういう浄化の世界に突入したようですね。
もっともボクの世界では10年前に突入したんですけど。
まあ、当時はまさに天を仰いでため息をつくばかりという体たらくでしたねえ。
どんな人もいちおうその様な状況が多かれ少なかれ起こってくるでしょうから、まあできるだけ軽く受け流す訓練を今のうちにどうぞ~~
根本は「感情の揺れ」なんですけどね。
けっしてその状況なんでなく、その人のその時の想いと感情反応が決定的なんですよ。きっと。
浄化の時代ということで、
またネット引用です。
ーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーー
世の中は、日を追う毎に変化しています。
宇宙から降りそそぐ、浄化のエネルギーが日ごとに増えて来ています。
母なる地球も、新しい時代に向けての準備にピッチをあげています。
人類が夢見てきたユートピア、豊かな心に満たされた世界が実現するのです。
その光り輝く新世紀の黎明期が今です。
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TITLE:2012年・5次元への移行 魂・本質・真理
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