大規模調査、特に海外系は公正的だけど日本は意図的にどうやら医療利益側に有利なデータを作りだしている事がわかってきた。
どうみても無駄で無効で有害な検査、治療と判っていても、それが依然として続けられるのだろうか?
それは医療業界の利益のためであるーーーと言ってしまえばそれで結論は出てしまう。
だが、「全国の医師」たちが「その事を知っている」のにかかわらず、相変わらず一般の人にそういう有害無効な医療を続けているとしたら、それはもう「確信犯」となるだろう。
では、そういう事情も知らないでいる医師達だとしたらどうなるだろう?
医療界のトップの立場にある人達===厚生省幹部、製薬企業の幹部、医学界、大学のトップにある教授たち・・そういう偏った情報だけを選りすぐって流すようなメディア、新聞やテレビ等の企業の幹部たち・・・
つまり権力や金力、地位の高い者たちが情報の選別を行って、かつ下に流す情報を操作しているのだろうか?
従って普通の多くの医師達は「医療の真の情報」を「何も知らない」状況におかれているのでは?
という当然の疑問がわくのだが、それに対して「吾々は医師という玄人だ、医療に無知という事はあり得ない」と反論があるとすれば、当然「知っているのにそれをやっている確信犯」とされてしまう。
やはり、多くの医師たちも一般大衆のひとたちも同じような立場、つまりこういう事になるだろう。
医療のついては知らない事が多すぎるから、要らぬ検診や治療が行われている。
ゆえに医療過誤とか医療ミスと呼ばれている訴訟が起こるのは当然の結果である。ということだ。
本書の筆者は医学界の中での立場上もあり、やんわりとその原因を書いておられますが、これを厳しい目で見れば、とんでもない医療が日常行われており、それを改善するとか改革するとかいう動きがまったく見られないーーということになる。
そうなると、もう吾々イッパンタイシュウ人の身を守ってくれるのはお国でも厚生省でも医療機関でもマスメディアでもなく、そいういう所はむしろ、本当の事を隠してそれによって利益を得られる側の味方をしているということになるが、これを考えすぎだと言えるだろうか?
もしこの事があまりにも誇大妄想的であると思う人はそれはそれでよいだろう。自らの命と健康をそういうものに今までどおりお任せして行けばよい。
ただ、科学的根拠となる調査結果を信用するならば、自分の身を守るのは自分だと理解できるだろう。
医療から命をまもる」より
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
ここまでの考察から、大規模調査に反発する医師の主張は、どれも正当性のある
ものでないことがわかります。
やはり大規模調査の結果は謙虚に受けとめるべきでしょう。
そしてこれからの医療では、数字で正確に評価すべき部分と、人間の感情や尊厳を重んじる部分との調和を大切にしていくべきではないでしょうか。
井の中の蛙
医療が変わらない理由は、ほかにもいろいろありそうです。
現代社会では、とにかく情報が氾濫しています。医療も例外ではありません。絶え間なく大規模調査が行なわれ、日々その結果が報じられているため、どの専門家も、自分が関係するごく狭い分野の情報を仕入れるので精一杯です。
ほかの分野で何がおこっているのか、おたがいに知りようがありません。
たとえば、がんの治療を考えてみます。
ひとくちにがんといっても、肺がん、胃がん、大腸がん、…………と数えていくと、その種類は無数にあります。肺がんに限ってみても複数のタイプがあり、性質もそれぞれ異なっています。
さらに治療法になると、抗がん剤、免疫療法、放射線治療、温熱療法、開腹手術、内視鏡手術、……とさまざまで、それぞれにまた無数の選択肢があります。
当然のごとく、どの分野でもいちじるしい細分化が進み、だれもが限られた情報しか知りえない状況に陥っているのです。
このような状況で大規模調査の結果を見せられても、
「この検査はあまり意味がないようだ」
「あの薬は副作用が強いらしい」
「この手術法に問題があることはわかった」
というところまでは理解できても、
「でも検査や治療は、ほかにもたくさんあるから……」
という軽い印象で終わってしまい、重大な問題とは感じません。
つまり専門家たちには、医療のあらゆる分野で
同じ問題がおこっているという
衝撃的な事実がみえていないのです。158
世代の差
理由はまだあります。
医療も、ある意味で職人技の世界です。
意外かもしれませんが、職人の世界では、若い世代ほど保守的です。
改革に対する抵抗勢力なのです。
なぜかといえば、最新の技術を身につけ、ばりばりと活躍している最中だからです。
身につけたばかりの技をほかから否定されてうれしいわけがありませんし、ゆっくり比べてみよう、という余裕もないはずです
一方、現役を引退した医師が、ふとこんな感想をもらすことがあります。
「自分が行なってきた治療は意味がなかったかもしれない」
長いあいだ、人間を診つづけてきた医師だけが感じる、何かがあるようです。
この感想は、まさに大規模調査の結果が示していることと同じです。
しかし、あくまで現役を引退した人の個人的な感想であって、それが世の中を変える力になることはけっしてありません。
完全神話の呪縛
一方、医療を受ける側にも変革を拒む何かがありそうです。
「がん検診は有害」と言われて、明日から受診をやめる人は、ほとんどいないでしょう。
がんを放置しておいてよいわけがありませんし、からだのなかに悪いものがあれば早く取り除いてほしいと思う気持ちは、だれでも同じです。
「早期発見、早期治療が大切」というキャッチフレーズもすっかり定着していて、
いまさらまちがいだったと言われても、にわかに信じることはできません。
そこにメディアの煽るような報道が、いっそう人びとを神経質にしているように思われます。
たとえば、がんを見落として病院が訴えられたというニュースが多くなっています。
がんの検査をしておきながら、医師がデ-タをチェックするのを忘れ、そのあいだに手遅れになってしまったという詰もありました。
このような報道は、人びとをますます懐疑的にするに十分な効果があります。
お金を払って検査を受け、その見返りが還元されなかったのですから、明らかに裏切り行為です。そこには、いかなる言い訳も許されません。
しかし、
損か得かという結果論だけで考えれば、かならずしも損とは限らないのではないでしょうか。
放置しておかれたことで、有害な検査や治療を受けずにすんだかもしれないからです
(もちろん、だからといって自分が被害者の立場になったとき、簡単に割りきれる問題でないことはたしかですが)。
気になるのは、医療訴訟が多くなり、金銭面での損得が優先してしまうという風潮が生まれつつあることです。
「いかなる病気も見落としてはならない」
「見つかった病気はかならず治療する」
「いかなるミスも許せない」
「ミスは金銭でつぐなってもらいたい」
といった感覚が人びとのあいだに広がっています。
人びとが、みずからつくった幻想に呪縛されてしまったのではないでしょうか。
これでは医療も変わりようがありません。
比べないことの意味
NHKのテレビ番組「クローズアップ現代」で、公立高校における国旗掲揚、「君が代」斉唱の問題が取りあげられたことがあります
(中略)
このできごとで感じるのは、やはり比べることのむずかしさです。
とくに、対立する意見が火花をちらしているようなテーマでは、
背景をよく理解しておかないと
意図的な宣伝にだまされてしまいます。
まちがった知識に振り回されることなく、医療は賢く利用したいものです。
最終章では、そのためにどうすればよいのか、生活の智恵として具体的にまとめておきたいと思います。
ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー
最後の方で一番大切なことを指摘されています。
イッパンタイシュウ人の方がガンコ過ぎることと
現代医学を盲信しているということです。
医療にかかれば安全ですべて治してくれる という思いこみから
治療しないと怒り、薬をくれないと批判する。
さらに治療すればしたで、こんどは当然副作用(安全な薬は存在しない)で訴訟を起こす。
もちろん、患者側だけの問題ではなく、そういう風に偏った情報だけを流し続けて来た医療側にも責任がありますが、けっきょくは今の医療崩壊を招いたのは患者と医療側との共同作業としか思えません。
ちょうど、先の戦争で日本人は隣に戦争反対などと唱える者がいたら、非国民扱いしたり村八分にしたのと同様、上の立場にある者だけに戦争責任を押しつけて、「自分たちは騙されていたから」とか言っても無理なところがあると思えます。
我ら一般大衆は純粋無垢な善人だと言っても、知り得る情報は昔とはちがいます。
みんなが怖いのです。
みんなと同じことをしていないと不安なんです。
おなじ事をしないと生きてゆけないくらいに思っているのかも知れません。
そして、最後に大きな落とし穴に「みんな一緒に落ちる」まで、誰も変わろうとしない、変わるときはみんなが変わった時だ、自分はそれを見てからにしよう・・・で、結局は我が身に災難が降りかかって強制的に変わらざるを得ないところまで行かないとならないのでしょう。