患者よ好き勝手な事言うな!と言われたら? | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

ということで

 また「医療から命をまもる」よりいよいよ最終結論に入りましょ。




ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



第九章 自分の健康は自分で守る





健康を守る十力条

 ストレスの上塗りをしない
 
 病気の発生には多くの場合、ストレスが大きくかかわつています。そのストレスにもいろいろなタイプがあり、仕事によるものと家庭内に原因があるものとで、かなり性質もちがっているようです。163

 外国での研究によれば、家庭内で生じるストレスのトップテンは、
 一位 配偶者の死
 二位 離婚
 三位 別居
 四位 刑事事件に巻き込まれる
 五位 近親者の死
 六位 家族の病気、ケガ
 七位 結婚
 八位 リストラ
 九位 夫婦間のトラブルだそうです。
 
 日本でもほぼ同じではないでしょうか。
 
 
 どれも深刻なものばかりで、かつ避けて通るポイントの一つは、やはり自分や家族の健康問題です。とくに家族が病気になれば、だれでもあわててしまいます。治療に全力をつくしてほしいと願う気持ちも共通ではないでしょうか。



そんなとき、一ヵ所の病院で説明を聞いただけでは納得できず、ハシゴをしてまわる人も少なくありません。またイライラが高じて、病院の職員をなじったりしている人もよく見かけます。


 しかし、病院で行なわれている検査や治療の信頼性に、おおいなる疑問が出てきたのです。


 そうだとすれば、検査の結果や治療の選択にそれほど神経質にならなくともよいのではないでしょうか。


少なくとも、治療を行なっても行なわなくても、


結果はあまり変わりません。


検査や治療をめぐってイライラするのは、ストレスの上塗りをしているようなものです。結果的に損をするのは自分ですから、このあたりの考え方からまずあらためていきたいものです。



ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー


病気の源は血液の濁りだと言う。そして濁りの原料は毒素だと。さらに毒素になるのは薬だと。


しかし、同じように毒素をもっていても即それが病気発症につながるとは限らないようだ。


風邪がその良い例だろう。


周りにいっぱい風邪にかかっていてもその年はなんでもなかったりするし、またある年は簡単にうつったりもする。


この様に体内に毒素があるから即病気なるという単純な方程式にはなっていないようだ。


それはひとの心に鍵があるのだろうか?


病気効用説


とすれば、人は精神的内部に偏りが大きくなったときにそれを解消するために病気を引き起こす。


そのときに、体内毒素も同時に排泄されるというのかも知れない。


心の方がきっかけになったり、または逆に身体の方が心の改善になったりと、どうも病気とは単純に決まり切った公式のようでなく、ひとそれぞれによって病気の起こり方は異なるのだろう。


で、最近言われるストレス病原説とうのは、ストレスが病気の引き金にもなるというものだろう。


そして、それが体内の細胞に密接不離の関係になっていて、


「ちょうど良い時」に病気発生する。


ちょうど良いというのも変だが、じつは病気を悪と診ているからだろう。


病気を善なるもの  として、思考したときから、病気の効用がハッキリと見えてくるような気がするのだが・・・


 


上記の転載文では


患者側の思いこみが強すぎるという事を指摘しているのだ。


つまり、


医学は絶対的進歩によっていまや、完全に診断したり治療できるほどになっているハズだという思いこみ。


まあこういう思いこみを作らせたのも現代医学の宗教性にあるからだろうが、信者(患者)さんとしては、どうしてもこういう思いこみをしっかりと背負い込んでしまっているから始末が悪い。


だから、「絶対にどこかの医療機関で最高の診断、最高の治療があるはずだ」と思いこむから、右往左往してしまうのだろう。


なんのことはない、



現代医療はそんなに進歩していなかったのだ。しかし、そんな事は目に見えない、耳に聞こえない。


いや、それを示しているデータを見せられても上の空だろう。


 


それに、一般のお医者さん達も同様なのだから、一緒になってずっと古い「自己都合の良い、古いデータ」だけを鵜呑みしているから、共同謀議じゃあないけど、共同芝居に似たようなもので、そこに向かって「じつは本当のことはこうだったんだよ」というデータなど入り込む余地もないだろう。


「では、そのままやってろ」とも言えないけど、やがては実体験が重なることで嫌でもその事実を知らされるのが運命なのかも知れない。


 


また、ひとそれぞれ、わざわざ病気を造ってそれで人生の貴重な体験を得るということもあり得るので、間違った医学、勘違い医療であってもそれはそれで大きな必要性があるのかも知れない。





少なくとも、治療を行なっても行なわなくても、


結果はあまり変わりません。



というたったこの一言に おおきな重みがあるのに、


やっぱりいつまでも気がつかない、いや、あえて無視している患者さんとお医者さん



まあ、どうぞお好きなように・・・・・(苦笑する以外無し)