岡田茂吉はインフルエンザについてどう書いていたのか研究材料として見ました。
当時はまだ今の様にウイルスの型番などは知られていない時代でした。
しかし、ウイルスなど結果論であって、真の原因を知ればどうって事無いものです。
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今流行のインフルエンザ
『救世』48号、昭和25(1950)年2月4日発行
最近、全国各地に流行性感冒が猖獗(しょうけつ)しており益々蔓延(まんえん)の兆(きざし)ありとの事で、当局も躍起となって、原因を検討しているが、今もって真の原因は判らないようである、その症状としての「特徴は悪寒、頭痛がはげしく、首、背中、腰、手足の筋肉や関節が痛み出し、また鼻血が出たり眼が充血してノドが痛む事がある、場合によっては下痢や腹痛を伴う事もある、大体五日から七日くらいの間発熱し、この症状が現れるが、気管支炎や肺炎などの合併症を伴わなければ生命に危険はない」(厚生省若林技官談)
右のごとくであるから、わが神医学からみれば単なる浄化作用で、非常に結構であるとみるべきである、放任しておいても簡単に治るので、この点医学でも容易に治るとされている、吾らからみれば、この感冒によっていかに罹病者が健康を増すかという事で、心配どころか大いに喜ぶのが本当である、ところが、それを知らない医学としては、心配するのも無理はないがその原因を徹底的に知っている吾らはこういう事がある度に、今更神に感謝し、その幸福に酔わざるを得ないのである。
そうして今回の感冒は、人体の表面の浄化作用であるからいいが、いずれは内部に固結している毒素の大浄化作用が起る事である、この時こそ簡単には済まされない、続々重症者、死亡者が出来るであろう、その時、・・・(あえて省略しました)
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ということで、後継団体はかなりの数ある様ですから、そこの信者さんはおそらく風邪=インフルエンザと認識しているでしょうから、おそらく世間様には隠れて密かに笑っているやも知れません。
かくいうボクも現在は非信者(あらゆる宗教の信者は止めましたが、その教義や教えの中の取捨選択は自由な立場という意味です)ですが、まったく同感のため、世間の大騒ぎを見ていてもおかしくて、いや、あまりにもあきれてしまって、笑いも起こらない(どこかで聞いたようなセリフ)のです。
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細菌恐るべき乎
『光』15号、昭和24(1949)年6月30日発行
今日一般人が細菌を恐れる事は驚くべき程である。この点現代人はまことに不幸である。二六時中戦々兢々として不安極まりなき生活を送っている様を、吾らからみれば実に哀れな小羊と観るより外ないのである。考えてもみるがいい、まず電車汽車に乗れば、室内の空気中に何千何万の黴菌がいるか判らない、ドアーのハンドルや吊革に触るればたった今結核患者が触ったのかも判らない、床屋へ行けば僅かな疵でもそこから猩紅熱(しょうこうねつ)の黴菌が入るかも判らない、入浴をすればゴノコッケンがいつ付着侵入するか判らない、もしか眼に入ったら恐るべき風眼となる、外食をすればチフス菌が食器に付着しているかも判らない、人と談話をすれば結核菌やインフルエンザ菌が飛込んで来るかも判らない、また外出から帰れば含嗽(うがい)をしたり手を洗ったりする事もなかなか手数である――という訳であるから、何人といえども一種の細菌恐怖症に罹っている、ところでもしかこの苦痛から全く解放されるとしたらどうであろう、その幸福感はけだし想像に余るものがあろう。とすればそんな有難い方法はこの世の中にあるかと疑わざるを得まい、しかし立派にある事をここに御知らせしたいのである。
といってマサカ陸地から遠く離れた遥かな海上か人跡未踏の奥山へ一軒屋を建てて生活をしようとするのではない。もちろんそれなら完全な方法であろうが、そんな馬鹿な事は実際上出来るはずがないから、今まで通りの生活で目的が達しられなくてはならない。しからばそんな結構な方法はどうすればよいかというと、何よりもまず細菌が付着しても絶対発病しないというような健康体になればそれでいいのである、ちょうど軍備のない国が戦争を恐れるようなもので、敵に脅かされないだけの軍備が充実しておれば、何らの心配はない訳である。
(以下あえて省略)
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まったく以上の状態をまともにやってしまったのが神戸や大阪の住民なんでしょうね。
しかし、これをまともにやって判ったでしょうね。
こんな事をまともに受けていたら社会生活が破綻してしまうということを。
だから、やってみないと判らない人たちは体験が必要なのでしょう。
頭でちょっと考えてみりゃ判るはずのものを。
人と接触しないで生活出来るような時代ではないということです。
江戸時代に戻って質素の極みを体験したいなら出来るかも知れませんが、家族の独りでも感染した場合、その家族は誰も家の外に出られない、会社の社員がひとりでも感染したらその会社は休業、国会議員のひとりが感染したら国会は休会。
かくして、誰も外に出られないという戦争中でもそんなことは無かった様な暗黒の社会が待ち迎えているわけ。
だから、医学の針小棒大的恐怖心植え付け症候群に罹患した患者さん達は戦々恐々としているわけですが、それもこれも医学がまったく病理というものを知らないがためでした。
岡田茂吉研究を抜きにしても、あの国会証言でほんの片鱗を見せた新医学理論をまともに政府や国会議員の委員、厚生省幹部、医学界の大御所さんたちが取り上げていたら、いまのこの様なバカ騒ぎを起こさなくても済んでいたのに。
世界に君臨するWHOでさえもおかしな様相を見せているもので、そこに絶対の信頼をおいていてはこの御国はえらい目にあってしまうという事を肝に銘じておいてから、国民に指導してもらいたいものです。
いや、WHOかぶれ的ないまの感染症対策チームがどうもあやしい、というか、よく教育されてしまったのでしょう。
現代西洋医学だけが正統な科学だと思いこんでしまった後は、もう、それだけしか目に入らない、耳に聞こえない、医学界にも隠れた賢人の先輩諸氏がたくさん居られるのに、ご相談やら教えを仰ぐという事をしない。
あ、こんな事かいている場合じゃないんだった。
インフルエンザは風邪だ。
は母里(モリ)先生のお言葉。
その風邪(感冒)について。人体にとってもっとも基本的浄化作用であるという論文ですね。
ウイルスに弱毒性も強毒性があるというよりも、
人間側に弱毒性と強毒性があるということです。
ウイルスの型番の違いなどどうっていう事無いんです。
この事が判るまで、これからも新型インフルエンザ騒動は限りなく続くわけです。
そしてやればやるほど間違った治療法や薬などで感染者は増えるというマイナスの糸車。
新しい薬が増えれば新しい掃除役(ウイルスや細菌)が毒素分解排除に登場するというわけで、最後にはどうにもこうにも抑えが効かなくなり、医師もお手上げ、逃げ出してしまうという笑えない話になってしまうでしょう。
実際に医師が患者を拒否したという話も出てきたようですし。
この岡田茂吉の医学論、宗教を抜きにしてじっくり読んで、現実と比較検討してみなさい、厚生省さん、医師会さん、一般大衆さん。
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寒冒
『文明の創造』昭和27(1952)年執筆
いよいよこれから病気についての解説であるが、現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做(みな)して、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐うて書いてみるが、それについてはまず、実際の病気を取上げて説明してみるのが、最も判り易いからそういう事にする。
まず、人間として、何人も経験しない者のない病としては寒〔感〕冒であろう。ところが寒冒の原因は医学では今もって不明とされており、近来僅かに発見されたのが、ウイルスによる空気伝染とか、アレルギー性によるとか言われているくらいで、吾らからみれば問題とするには足りない稚説である。この説も近き将来無意味とされる事は間違いあるまい。
そもそも、人間は先天的に種々なる毒素を保有している事は医学でも認めている。例えば天然痘、痳疹(はしか)、百日咳等は元より未知の毒素も色々あるであろう。ところでそれら毒素は自然生理作用が発生し、外部へ排泄されようとする、これを吾らの方では浄化作用と言う。そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。その場合神経を使うところ程多く集まる、人間が最も神経を使うところは、言うまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである。人間が目が醒めている間手足は休む事はあっても、頭脳を始め目、耳、鼻、口等は一瞬の休みもない。としたら毒素集溜の場合もそうであって肩、頸、淋巴腺、延髄、耳下腺付近は固より、頭脳が主となっている。このように各部に集溜した毒素は、時日を経るに従って、漸次固結する。それがある限度に達するや、排除作用が発生する。ここに自然の恩恵を見るのである。何となれば固結のため、血行が悪くなり、肩、頸が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、臭覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩、腰痛、浮腫等々により、活動力が減殺されるからで、それがため人間本来の使命が行われない事になる。それで造物主は病気という結構な、浄化作用を作られたのである。
右のごとく、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、健康上最も必要な物で、神の恩恵中最大な物というべきである。ゆえにもし人類から、病気を取除いたとしたら、人間は漸次弱って、ついには滅亡に到るかも知れないのである。ところが私は、病無き世界を造るというのであるから矛盾するように思うであろうが、これは根本的に異(ちが)っている。というのは人間が無毒になれば浄化作用の必要がなくなるから、共に病気もなくなるのは判り切った話である。この意味において私は、これから出来るだけ解り易く徹底的に説いてみよう。
話は戻るが、固結毒素の排除作用を、私は浄化作用と名付けたが、まず初め寒冒に罹るや発熱が先駆となる。自然は固結毒素の排除を容易ならしめんがため、熱で溶解させ液体化させる。この液毒は速やかに肺に侵入するが、この作用は実に神秘であって、例えば吾らが浄霊(これは療病法の名称)によって固結毒素を溶解するや、間髪を入れず肺臓内に侵入する。その場合筋肉でも骨でも透過してしまうのである。何より身体各局所にある固結毒素(以下毒結と称す)が、普通一、二箇所くらいなら軽い症状で済むが、局所を増す毎に重くなる。最初軽いと思った寒冒が漸次重くなるのは、その意味である。
右のごとく、液毒は迅速に肺臓内に侵入し、稀薄な場合は痰となって即時排泄されるが、濃度の場合は一時停滞し、咳というポンプ作用を待って、間もなく気管を通じて外部へ排泄される。咳の後には必ず痰が出るに見ても明らかであり、くしゃみの後に鼻汁が出るのも同様の理である。また頭痛、咽喉の痛み、中耳炎、淋巴腺炎、手足の関節や、鼠蹊(そけい)腺等の痛みはいずれもその部にあった毒結が溶解し、出口を求めようとして動き始める。それが神経を刺戟するからである。そうして液毒には濃い薄いが出来る。濃いのは喀痰、鼻汁、下痢等になるが、極薄いのは水様となり、盗汗(ねあせ)や尿によって排泄される。このように浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行われるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。一体造物主すなわち神は、人間を造っておきながら、病気などという人間を苦しめ、活動を阻害するようなものを与えられるはずはなく、常に健康であらねばならないにかかわらず、人間が誤った考えで毒素を作り、貯溜させるので、止むなく排除の必要が発る。それが病気であるとすれば、寒冒の場合も何らの療法もせず、自然に放任しておけば完全に浄化が行われるから順調に治り、健康は増すのである。この理によって人間は出来るだけ風邪を引くようにすべきで、そうすれば結核などという忌わしい病は跡を絶つのである。
ところがどうした事か、いつの頃からか不思議にも、右の清浄作用を逆解してしまった。そこで発病するや極力浄化を停めようとする。何しろ浄化の苦痛を悪化の苦痛と間違えたのだから堪らない。そのため熱を恐れて下げようとする。解熱すれば毒結の溶解が停止されるから咳嗽を初めあらゆる症状が軽減する。ちょうど病気が治るように見えるのである。判り易く言えば、せっかく溶け始めた毒結を元通りに固めようとする、その固め方法が医療なのである。氷冷、湿布、薬剤、注射等すべてはそれであって、全部固まると同時に症状が消失するので、これで治ったと思って喜ぶが、何ぞ知らん、実はせっかく排除をしようとするその手を抑えつけるようなもので、これは事実が証明している。よく風邪が拗(こじ)れるというが、これは人体の方は浄化しようとするとそれを止めようとするため、つまり浄化と非浄化との摩擦となるから長引くのである。一旦風邪が治っても、暫くすると必ず再発するのを見ても分るであろう。ゆえに結果から言えば、医療とは病気を治す方法ではなく、治さないで延期させる方法という事である。従って本当に治るという事は、毒素を外部へ排泄させ、体内が清浄となって、病気の原因が皆無となる事である。だから真の医術とは浄化が発った際、固結毒素をより速く溶解させ、より多く体外へ排泄させる事で、それ以外真の療法はないのである。
右の理に対し一つのたとえを書いてみよう。すなわち借金をしている場合である。段々利息も溜り、期限が来て返済を迫られるので、一時に払うのは辛いから、外から利子の金を借りて一時凌(しの)ぎをする。するとまた期限が来たのでまた借金して一時免れをするという工合で、元金の外に利子も段々増え、請求も巌しくなるが益々返金が出来なくなる。そこで貸主は承知せず、差押え、または破産の訴えをするが、返済が出来ないので破産する。つまり寒冒もこれと同様で、最初の返済期が来た時、苦しくとも払ってしまえばそれで済むものを、辛いから借金を増しても一時免れをする。それが薬を主とした医療である。従って引き延ばす毎に薬毒が殖え、ついに一時に請求される事となる、これが肺炎である。ところが貸主も相手の支払い能力を考慮し、緩慢な請求をする、これが結核と思えばいいのである。
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