医学試稿7 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

現代医学に対して厳しい批判論。

しかし、医者に対しての非難ではないと岡田茂吉はハッキリ書いているのです。


お医者さんが医学に騙されている

と。

ゆえに批判の的は人類が共同作業でこしらえた医学という学問なんです。

人身批判でやっていたんでは、根本は解決できないのでしょう。


しかし、ボクの思うところ、岡田茂吉という信者さんにとっては主神(神様のトップ)となるのでしょうが、いまそれは少し違うんじゃないのか?と。


21世紀には宗教と医学は必要なくなる。

細かい事は書きませんが、この表題はまさに真言だったと思います。


宗教も必要なくなる

ということは、宗教にもなにか宇宙常識からみたらまだ地球だけの常識であって、どこかはずれたものがあるのでしょう。

医学は必要なくなるというのは

今の医学は東西含めて対症療法として病源を取り去るのではなく押し込める抑圧療法だからです。

宗教の不必要になる理由はあちこちで読みましたが、ここでは宗教論というものは別にして、岡田茂吉の医学革命論の主眼としての「薬毒と浄化作用」が大切だと思うのです。






ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
薬剤の毒(一)

 天然痘毒素の外に薬剤の毒、すなわち薬毒という毒素が、いかに恐るべきものであるかを説明してみよう。


 古今東西を問わず、病気に対する薬物療法は、人類にいかに根強く浸潤したであろうか。病気に罹れば薬を服(の)むという事は、腹が減れば飯を食うという事程、それは常識となっている。


しかるに驚くべし、

薬物は〃病気を治癒する力〃は全然なく、反って病気を作る即ち病原となる――

という、恐るべき毒素である

という事を、私は発見したのである。



到底信じ得べからざる大問題であるが、しかし、真理は飽く迄真理であって、いかんとも為し難き事である。




 昔有名なる漢方医の言に、

「元来薬という物は世の中にない。皆毒である。病気の時薬を服むのは、毒を以て毒を制するのである」

と言った事を私は何かの本でみた事がある。
実に至言なりというべしである。


又、毒薬変じて薬となる――という諺(ことわざ)もある。

なるほど痛みに堪えられぬ時、モルヒネを注射すれば、立所に痛みは去るのである。
これは痛む神経がモヒの毒で一時的麻痺するからである。これは医学でも判っているのである。


 私は、最初の方で

病気の原因は、浄化作用であり、浄化作用は苦痛が伴う
――その苦痛が病気である

と説いてある。



即ち人間は誰しも苦痛は厭だ、早く免れたいと思うのは判り切った話である。


その場合、苦痛を除るには、二つの方法しかない。



一つは完全に除る――という事、

それは排泄さるべき毒素を、全部排泄さして後へ残さない事である。



今一つの方法は、

一時的苦痛から遁(のが)れる事である。

それは、苦痛の起る以前の状態に還元さす事である。

それは、浄化作用を停止し、浄化作用の起らない時の状態にする事である。



ところが、前者の完全排泄は自然治癒法であるから時がかかり、であるから、早く苦痛から逃れたい ――という事が、

今日迄の薬物療法は固より、 あらゆる療法を生み出したのである。

又、今日迄の医学では、右の原理も分らなかったのである。











薬剤の毒(二)

 人間が病気に罹るとする。

熱が出る。痛み、不快、咳、痰などが出る。

薬を服むと軽くなる。

ちょうど、薬によって病気が治るようにみえる。


しかし、度々言った通り、薬と称する毒を服んで全身を弱らせる。

弱らせるから浄化作用が弱る。

苦痛が軽くなる


――という訳である。



ところが、それだけなら未だいいが、その服んだ毒はどうなるであろうか、

それが問題なのである。



 ここで説明をしておくが、

人体には毒素を嚥下(えんか)すると、解毒又は排毒作用が行われるようになっている。


しかし、毒といってもほとんどが食物の毒である。
であるから、人体内には、食物だけの解毒作用の力はあるが、それ以外の毒素の即時解毒作用の力はないのである。


であるから、
食物以外である所の薬毒の解毒作用は全部行われないので、ある程度体内に集溜する。


それは矢張り天然痘毒素の場合とひとしく、神経の集注個所である。

故に、こういう理屈になる。

陰性天然痘毒素の溜結が浄化排除作用が起った時、それを止めて新しき薬毒を加える――それが薬物療法の結果である。

従って、今度は二元的毒素となって溜結する。

それの浄化作用が起る。

故に、第一次浄化作用より、第二次浄化作用の方が毒素の加増によって悪性なのは勿論である。



故に、第二次浄化作用即ち再発の場合は初発より押並べて悪性であるのは、この理に由るのである。

右の理由によって、第三次、第四次も起り得るのである。




ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー