すべての元は天然痘毒素にあったという論です。
毒素を押し込めた、抑圧された病原体として残るというわけです。
人間はまず感冒という簡単な毒素排泄の浄化作用が基本だったのですが、
それを嫌って(苦痛があるから)病源を内に押し込めたわけでしょう。
それが何代もくり返す内に人類全体としての土壌成分が悪化してしまった。
それが天然痘として吹き出すことになる。
それはもう風邪どころか症状がまったくひどい状態だから、これも押さえ込むことになった。
それがその後のあらゆる病源になったというわけです。
だから予防接種のはしりが種痘だったように、いま盛んに行われようとしているインフルエンザ・ワクチン接種の愚とは
そもそもインフルエンザ(風邪)が人体にとって毒素排泄作用という有用な作用なのに、
それを押さえ込んでしまう
という愚です。
本当に風邪が必要なくなるほど人体が清浄化すれば、当然風邪にも罹らないし、予防とかなんとか考える必要はないわけです。
体内に毒素がある限り、なんらかの方法で毒素の排泄=浄化作用が起こるわけで、他のどんな病気も同じ原則ですから、これに逆らう方法は、結局は天に逆らう結果が待っているものです。
一時的な(これは究極は肉体生存消滅まで含めるのだろうが)マイナスを嫌ってしまうのは至極当然ですが、最後の最後にそのツケが回ってくるというものなのでしょう。
しかし、生死をかけてでもツケ払いをしようと思うほど強くない表面意識はどうしても一時的であっても楽になりたい、もっと生きたいと思うのも無理無いのです。
そういう意味で「放っておいては長く苦しく罹る」という自然療法をできるだけ早く楽に手助けしないという事で岡田茂吉は手かざし療法としての浄霊法を前面に押し出したのだろうか?
しかし、その浄霊法が効果薄くなった時何が起こったのでしょうか?
効かなければやはり対症療法に戻る
という現象が起こったのです。
ゆえにどういう療法とか言う前に根本的な原理をもっと腹に落とさないと、数多ある治療法を効果の有る無しだけで決めるのは早計だと思うのです。
病気は個人によって総て異なると思った方がよいようです。
これをやればこうなるという絶対的方程式は無いのですから。
これは手かざしでも何でもおなじ事だと思います。
では、勝手な前書きはとばしてみたでしょうから、本文へ
昭和14年の講義をまとめたという医学試稿からの続きです
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
病原としての天然痘毒素
陰性化されたる天然痘毒素は、いかなる作用をなすやというに、人体内のいずれかに浄化作用によって集溜するのである。
その集溜する個所は、感冒の項に述べたる通りの個所にて、
感冒の浄化作用停止が回を累(かさ)ねる結果、肺結核となるのであるから、
近来の結核の増加は、感冒を防止する事により、
感冒は陰性化天然痘毒素であり、
それは又、種痘の為であるから、
結核増加の根本的原因は、種痘という事になるのである。
この毒素は独り結核のみではない。
あらゆる病原となるのであって、
例えば、結核と同じく、激増しつつある腺病質の虚弱児といえども、右の結核と同様の経路にて、感冒防止が原因である。
又近眼の激増もこの毒素であって、これを説明してみる事にする。
近眼は、子供が小学校へ入学してから発病するものであるのはどういう訳かというと、急に頭脳を働かせるので、しかも、机に向い頭を下げつつ勉強する為、
後頭部の下辺、延髄付近にこの毒素が溜結するのである。
近視眼者の右の部を診査すれば必ずそうなっている。
しかるに、視力の活動は一定のエネルギー即ち血液を消耗するのであるが、
その眼に供給する血管が右の部に近き為、
溜結の圧迫によって圧縮され、
血液の供給が不足する為に視力が減殺され、
遠方を視得るだけが不足するのである。
医学の方で近眼の瞳は楕円形であるから治らぬというが、それは結果であって原因ではないのである。
その他、あらゆる病原となるのであるが、この毒素の外に、
薬毒、尿毒――等も説明をし、この三毒による病原を詳しく説明する事にする。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
ボクは近眼が治ると言われてある浄霊をやる会に入ったのだ。
しかし、
近眼は治らなかった。
たったひとり身内(子供)が視力が良くなったが、それが浄霊法のせいなのかどうかは証明できない。別の理由もあるかも知れない。
当時の過去の浄霊と現代行われている浄霊の効果に違いがあるのかも知れないが、ここでは治療体験とか特定の治療方法を推薦するのは主眼ではないので、数多ある自然療法は自己選択でやればよい。
で、主眼とは
現代医学、東洋医学でもそうだが、ほとんどが対症療法だということだ。
その点、千島学説やホメオパシーなどは根本を解いている。
岡田茂吉の医学論も、根本は霊体の曇り、つまり血液の汚濁の素となる毒素を源としている。
そういうものを
これからは出来るだけ入れない。
既に入れたものは出来るだけ出してやる。
産まれながらに備わったというか、既に産まれながらにある遺伝毒素は一人一人異なるから、それは一生の課題だ。
それは自分の心持ちと連動しているらしい。
とにかく、医学の対症療法の大黒柱は くすり 薬 クスリ なのだ。
それを最終的にはまったく入れない様にすることが、人類の救済事業なのだ。
川におぼれた人をすくい上げるだけが救済なのではない。
川におぼれないように教えてやる。そのための知識だ。
本当の事を知ればよいだけだ。
救いなどという大げさな事を言って、この方法だけが唯一のものだ!などと言って叫んでまわるのはもう止めた。
聞く耳を持つ者は自分で探し回るものだ。
そんな時、ああこういう考え方もあったのか。と思えばよい。
いずれはクスリが病気を造るという事が自分自身の身体で皆が知るようになるだろう。
そんな時、基本中の基本、身体の浄化作用と薬毒の原理を知ればよいだろう。
治療法が先か後かは別問題だ。
その証拠に浄霊法があまり効かない時に、人はまた現代医学のクスリに頼る。
そういう様子を少なからず見てしまった。
良く効くからクスリを止めた。じゃあ、良く効かなくなったらクスリ飲むのか?
うわさだけど、岡田茂吉の信者さんでさえクスリを飲むと聞いた。
まひかり系統の信者さんから直に聴いた事がある「癌の時にクスリも医者にもかからないって? それはひどい!」と。
だからボクは信者なんて関係ない、誰それの信者とか言うのは止めたのだ。
だから岡田茂吉師でさえ、批判の的になる。
それが岡田茂吉研究者の条件ともなる。
ゆえにここに掲載している論文などはあくまで研究材料なのだ。それを取捨選択して残るものがあれば参考にし、違うと思えば遠慮無く捨てる。
だから、自分の優秀な判断力が必要なのだ。
書いている、紹介しているこのボクはどこが正しくてどこが間違っているかは正直、自分では分からない。
ただ、そのときそう思ったものを選んでいる。
あとで、間違いだと気づくものもおおいのだろうが・・・・