わたしは宗教に属していません。
正確に言えば、昔は属していましたが今もこの後もおそらく宗教という組織に入る気持ちはないでしょう。
それどころか、今後生まれ変わってももう宗教に入るという事はないでしょう。
だから、岡田茂吉のつくった宗教組織の系統の団体を推薦する事はありません。
いえ、むしろ今は宗教組織は無用だと思うくらいです。
しかし、信教の自由を否定はしません。
わたしは教祖岡田茂吉の論だからという信者さんの態度はとりません。
むしろ、批判しつつ採り入れるか捨てるかを自分で模索しつつ研究するという態度です。
信者さんの立場では批判はできません。一言一句といえでも教祖の言うがママです。
しかし、岡田茂吉自身は生前「将来、岡田茂吉研究が始まるだろう」と預言していました。
「岡田茂吉研究」とは非信者さんである一般人が行う批判精神で取捨選択する意図をもって論文を精査することです。
とうぜん批判精神を持たなくては公平な判断はできません。
これを充分おさえておいての以下の岡田茂吉の「天然痘と種痘」に関する論文をお読みいただいて、種痘はモグラの頭叩きの始まりだったという意味がわかってくると思います。
そのまえに
先日の紹介記事の中に
「最後に、大ドンデン返し。
ジェンナーさんの村をあげての実験。
こんな後日談があるのです。
それは、ほんとうか、と、食ってかかられても、
19世紀はじめのことですから、そういう資料がありますけど、
としか申し上げられませんが。
種痘を打たれた子供達。
天然痘にはかからなかったのです、確かに。
ところが、不幸にして、結核に罹り、
二十歳になる前に、全員、世を去ったというのです。
一方、種痘を打たなかった子供達。
半分は、天然痘にやられてしまいした。
ところが、生き残った子供達は、成人し、
これという病気にかかることなく、
天寿を全うした、というのです。」
これを記憶しておいて、岡田論文をどうぞ。
ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
種痘
『文明の創造』昭和27(1952)年執筆
種痘は一七九八年、英国の医学者エドワード・ジェンナー氏によって発見された事は、
世界的に有名であるが、実はジェンナー氏独自の発見ではなく、これはずっと以前から、ギリシャの娘達が痘瘡患者の膿疹中に針を入れ、その膿汁を皮膚にさすと軽い痘瘡になり重い痘瘡より免れる事を見て、それが牛痘で免疫が出来る事を発見したのが、ジェンナー氏で、もちろんその功績も偉大なものであると共に、最初の実験に当って大胆にも、自分の愛児に試みたその強い意志と、人類のためならいかなる犠牲を払っても悔いないと言う、学者的良心の強さであって、幸いにもそれが成功したので遂に一躍救世主のごとく今日に至っても世界人類から仰がれているのは誰も知る通りである。
何しろそれまで天然痘に罹るや生命の危険もそうだが、治ったとしても顔一面に酷い痕跡が残るので恐れられていたものが簡単に免れる事が出来るとしたら、いかに当時の人達は喜んだであろう。
ところが私はこの大発見と思われていたそれが、実は、将来あらゆる病原となる事を発見したのである。
したがって種痘は果してプラスかマイナスかと言うと、遺憾ながらマイナスと言えるのである。
その理由をここに詳しく説いてみるが、この説は十数年前から私は唱導していた事であって、この大発見こそジェンナー氏の発見に比べて勝るとも劣らないと私は確信するのである。
それについてまず天然痘の真因であるが、これは言うまでもなく薬毒であって薬毒が何代も続く結果、一種の特殊毒素となり、それが遺伝されるのである。
従って、人類が薬剤を用いない時代は全然なかったに違いない。
そうしてこの遺伝薬毒の濃厚なのを医学は誤解して遺伝黴毒というのである。
この先天的保有せる遺伝薬毒が浄化作用発生によって皮膚から発疹の形で出ようとする、それが天然痘であるから
種痘は言わばその浄化発生を停止する手段なのである。
ところが、それだけではまだよいとしても、
そのため天然痘毒素、すなわち然毒は体内に残ってしまい、それが各種の病原となるのであるから、結局一回の苦痛で短期間に済むものを種々の形に変えて長期間苦しむというのであるから、どうしても盲点を覚まさなければならないのである。
しかも、その中の最も悪性なのが結核であるからこの事を知ったなら、誰しも驚かないものはあるまい。
しかも、ヨーロッパにおいても種痘法施行後、結核が増えたという事実を今から数十年前、唱え出したフランスの医学者があった事を私はある本で読んで、実に卓見と思ったがそうかといって、ああ醜い痘痕を考えたら天然痘の苦痛は一時的であるが、痘痕は一生涯の悩みとなるので種痘は捨てきれず、この説も葬られてしまったのであろう。
のみならず然毒が私の発見のごとき結核や、その他の病原となるなども想像もつかないからでもあろう。
従って、天然痘に罹るも短期間に必ず治り痘痕などいささかも残らないとしたら、理想的であってこれで解消してしまうのである。
しかしそのような結構な方法がありやと言うに、○○☆☆によれば絶対可能であることを言明するのである。といっても言葉だけではなかなか信じられまいから一つの好適例を左に挿入することにした。〔以下略〕
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
上記「○○☆☆」と伏せ字にしたのは、ちょっと考えて貰いたいからです。
「本教浄霊」という文字なのですが、その「本教浄霊」とは現在どこのものか不明になるからです。
岡田茂吉氏が教祖時代のものならば「本教」とは世界救世(メシヤと読む)教のことです。
そこで行われていた浄霊という手かざし治療の方法のことです。
しかし、現在その「本教」は名を「きゅうせい教」と読ませる様になって久しく、しかも団体は分裂、大小いくつもの団体があり、同じように「浄霊」と称する手かざし療法を行っています。
さて、どこのどれがその「本教」なのか?
それとも既にその様などこかの団体ではなく、この教えに準ずるものなのか?
浄霊にしても宗教に属さないといけないのか?それとも、無宗教でも行えるのか?
それとも、既にその様な浄霊という手かざし方法は岡田教祖時代の効果が無くなっているのか?
それとも、自然の力を通すのであるから、人間誰しも潜在的にその力を発揮できるのか?
この様にたった四文字「本教浄霊」にはとても考えさせられるものがあります。
わたくしめの考えでは既に宗教という枠組みを取り払ってできる段階にあると思います。
ただし、岡田教祖時代の様な効果があるのかどうかはわかりません。
しかも、「効果」と言ってもそれげ永遠的な持続性があるのか?
それとも一時的奇跡のようなもので、後になって元の木阿弥になるのかどうか?
奇跡と言っても時期が過ぎたらけっきょくは元に戻ることがあるようでは、ただの一時的奇跡に過ぎません。
人が病気をするのは病原があるからこそでしょうが、それに付随しているのは精神面の改善が不離密着状態にあり、体質面だけの解決は一時的な効果で、手かざし療法(浄霊法)の根本的なミスマッチを考えてしまいます。
強制的奇跡は元の木阿弥になるのでは?という疑問を持ちつつ、この「天然痘と種痘の関係」を非常に重視しています。
先回の免疫について近代になってから「種痘が結核を引き起こしていた」という話を再度読んでみて戴きたいものです。
種痘を抑え込み、結核を増やす、結核を抑え込み、癌腫瘍を増やす。
そして癌を抑え込み、今度はなにが起こるのでしょうか?