カルト宗教 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

続き4
カルト宗教

宗教を否定するわけではないのです。

宗教によって、人がより自由になる

事ができればよいだけです。


しかし、宗教によって、ひとが不自由になるとすると、これをカルト宗教と呼ぶのかも知れません。

本来、宗教は宇宙の真理、すべてのひとは自由なんだという事を説いて、ある意味精神的呪縛にあっている人々を自由に解放するために発生したものだと考えると、どうも、当初の意味から離れてしまっているのがいまの宗教、特に団体組織をもったものに思えてなりません。


精神的に呪縛されて不自由な人が宗教によって自由に解放された時、その人にとっての宗教はもう必要ないのではないかと思うくらいです。

宗教は卒業するもの。

宗教は人を不自由からより自由へ解放する為の学校

学校はいつまでも通い続けることなく、ドンドン進級して最後に卒業するものとすると、宗教も入った者はドンドン卒業を目差して行くのが自然だと思うのです。

いつまでもその学校に居続けるというのは、その学校の教えかたが間違っているか、教師の教えが悪いか、いつまでも留年する生徒ばかりという事でしょう。


いい加減、卒業してしまわないと、そこに居るだけで自由から不自由という逆コースになりかねませんから。

また、教師や学長の教えを越えてしまう位の優秀な生徒を作り出せない学校だとすると、三流の学校です。
○○大学を卒業して立派な社会貢献する様な発明や発見をしている生徒はたくさんいるわけですが、あそこの学校は入学ばかり勧めているが、さっぱり卒業生が居ないし、師匠を超えるほどの人材が育たない・・・では、なんの為の学校でしょうか。

宗教も本来はそういう、教祖をも越えるか、教祖と同等くらいになるために、そういう組織(学校)を作った目的があるのでしょう。

それをいつまでも古い教材でいつまでも止め置くような学校は、大自然から淘汰されるのは目に見えています。

その自己崩壊の過程として、分裂や争いが起こるのはいつも上層部からです。

権威や権力というのはそういう大きな組織になればなるほど、崩壊の源になるという事です。

これはおそらく永遠性に近い宇宙の法則になるでしょう。


下記を読んでいてそういう気がしてきました。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下引用ーー
4.カルト宗教

 カルト宗教、それは魂を狂わすものです。その特徴は不寛容と権勢欲にあります。
聖イエス・キリストは「真理は人を自由にする」と言われたが、その反対に魂を牢獄に閉じ込めてしまうのがカルトなのです。

 霊界探訪において、私が地獄を見たかぎりでも、カルト信者は、他と接触出来ない空間に閉じ込められている事がほとんどでした。

 寛容な精神が無い為に、他と比較したり、より良いものを取り入れていこうとする精神がありません。自分の所属する団体や組織が説く教えのみを盲目的に信じ、そこから出てきません。

 なぜそうなるのか、それは教祖・信者を含め、社会的に不遇であったり、この世的に成功しない不満のはけ口を、宗教に求め、その中で絶対的な権力を握る事により、他者を服従させたいという欲望が渦巻いているからです。

 天国にいる霊人は、どの宗教に属していようとも、皆、寛容な心で、全ての霊と接しています。勿論人種は関係ありません。(肉体がないのですから、当然ですが)

 カルト信者らは伝道、信者獲得にも非常に熱心ですが、相手の心境を配慮したりはしません、ただ教団の論理を一方的に押しつけ、相手の反論を論破する事のみに執着します。
あなたの幸福の為といいながら、自分の教団での地位向上を願っています。教団に取り込まれると、一変して、自分の子分か、服従者のような扱いを受ける事でしょう。そして、嫌気がさして、脱会しようとすると、今度は”地獄に落ちるぞ”と脅しをかけてきます。

 カルト的なものは、全ての宗教団体にみられます。現在、世界にある、仏教系、キリスト教系、神道系、イスラム教の中で、天国の心境とかけ離れた団体が数多く見受けられるのです。伝統宗教・新興宗教に限らず、教祖や代表、団体の幹部の精神的態度が非常に問題です、生活態度が支離滅裂であったり、言っている事と行動が違う場合、その組織に居る、信者、会員は、まず間違い無く魂を狂わされていきます。

 そうなるのは、霊性の力が足りないからなのです。正しく判断する力は、常により良いものを捜していこうとする意欲からきます。その中で信念が鍛えられ、間違いのない選択を自分自身の判断で出来るようになっていくのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上ーーーー


ここで冷静な正しい判断力
というのが必要になってきます。

という事で、常に自分の判断が正しいとなれば間違いがないのですが、どうも失敗ばかりしているというのが普通の人かも知れません。



「そうなるのは、霊性の力が足りないからなのです。

正しく判断する力は、常により良いものを捜していこうとする意欲からきます。

その中で信念が鍛えられ、間違いのない選択を自分自身の判断で出来るようになっていくのです。」

この様に昔、真理だと教えられてそのまま継続して受け入れてしまう危険があり得る事になります。

その時代において真理だと思えた事も人類の進歩の状況に合わせてドンドン真理が奥深くなって行くと考えると、常に変化し得るのが真理だとも言えるからです。

真理は永遠に変わらない

というのも「思いこみ」かも知れません。

もっともほとんど永遠性のあるものと短期で変化するものとあるでしょうが、もともと「真理」と言われても、本当に永遠性があるものかどうかも判断しなければならないのです。

すると、常により良いものを捜していこうという意志の力が必要でしょう。


いつまでも「教えられた事」を鵜呑みにするだけでなく、常にそれに対しても批判の心も持ち合わせないと、タダの盲信になりかねないからです。


「教団の為」と思う様になったときは考え直す必要がありそうです。
「教団」などというものは、主役でないからです。
また「教祖のため」などと思う様になったときも考えものです。

ぜんぶ、「宇宙の法則」ーー「真理」を伝える時にある意味役立つ道具でしかありません。
だから、これらが主になったとき、逆転している事に気づかないと、後になって逆転の現象が必ず起こります。

(これは僕自身の体験から今になって気づいた事です)

イエス様もキリスト教も主ではない、お釈迦様も仏教も主ではない、
いま、こんな想いがしています。
したがって、ある人が現れて「救世主」などと名乗るという神話も本当ではないと想うようになりました。


また、自分が真理だと思って他の事に目や耳がいかない時、かなり固定観念に縛られている自分だと気づかなければなりません。


いつも見直し、嗅ぎ直し

で正しい判断。



と、手が勝手に書いているので、僕がこんな偉そうな事を考えている訳ではなさそうです。いや、奥の私が書かして居るんでしょ(笑い)

あまり偉そうな事書いて、自我は恥ずかしい!!