200年度版倉庫から 整理しないで捨てます。
その前に
なるほど、なるほど
悲しむ事ができる私、怒ることができる私、嘆くことができる私、嫉妬する事が出来る私、落ち込む事ができる私、○○する事ができる私、・・・・・・・それを見て喜ぶ事ができる私がそこに居ることに気づく時、すべて喜んでいる私。
宇宙には喜怒哀楽を味わえない生命も居るという。
この地球で喜怒哀楽という感情を深く味わうことができる私。
おなじ食べ物を食べても味が分からない人も居る。
しかし、辛いも苦いも甘いも分かるから、美味しいことが分かるのだ。甘いだけでは美味しくないのだ。ただ食べるだけだったら味わいなど無くても生きて行ける。
しかし味わいがあるからこそ食べる楽しみもあり、食欲も湧くというものだろう。
宇宙からみたらこの不自由な身体をまとって、しかも苦労の多いこの地球に降りたって来たんだろう。それはまさに「味わえる」体験ができる私を体験したかったからだろう。
この世の極限的な不幸も一過性の経験でしかない。この世界の旅から帰った時にはそれはリセットされる。幸不幸は比較性が無い世界では味わえない。
食べ物にまずい美味いが味わえるように。
もしも私に感情が無かったら、それはただ黙々として生きているだけの生命物体でしかない。この感情こそが私の冒険旅行を楽しむための大切なツールであるだろう。
それが分かると苦痛や苦悩さえもやわらいでしまう。
それが分からないとそれにはまり込んでしまう。感情に支配されてしまう。
運命に翻弄されるのと、運命に身を委ねるのとはちょっと違う。
それは他者から制限をかけられて生きて行くのと、自ら制限をかけて生きて行くのとの違い。
他者が設定したものじゃなく、私が設定した人生行路。その設定もたった一つではない。選べる自由も含まれている。
ただ、初めに設定したことを変えると自分が満足できないから、また再挑戦することになるだろう。変えて良くなるというより変えない方が満足するというのだろう。
しかしこの旅行中はすべて忘れるのが条件だ。最初から何も先入観のない旅でないと感情も体験できない。なぜなら知っていることだったらそこには不安や怖れもないからだ。
不安が無いからいちいち怒ったり悲しんだりする事も極端に少なくなる。
喜びも少なくなる。
なぜなら「それらが起こることを知っている」から。
それでは冒険旅行の醍醐味を味わう事はできない。波が無い、ちょっとだけ揺れている海に行ってサーフィンを楽しむ事はできない。
私は時空のサーフィンを楽しむために来たのだ。目的は「楽しむ」ためだ。
波の揺れの程度も自分で選んで来たのだ。中には揺れのほとんど無い海に来た人もいる。しかし、冒険心の強い人は超高波に挑戦し、荒波に翻弄されている人もいる。
みんなそれぞれ選んだ海の波が異なるのだ。もちろん似たような人もいるだろうがすべてひとりひとり質が違う。それぞれクォリティが異なる。
世界中でおなじ指紋の人が居ないように(おそらく過去から未来まで比較してもおなじ指紋の人は居ないと思う)、神は同じものを嫌うようだ。似てはいてもまったく同質なものは宇宙には存在しないことのようだ。まったく同じ事の繰り返しもないはずだ。
だからループというのは宇宙には無くて、螺旋の進行形になるのだろう。
そして宇宙には完全無欠なものは存在しないのではないだろうか。
完全無欠な性質は
完全無欠は動きがとれない、進展後退、拡大縮小などの動きがない、終わっているものだから。
この宇宙自体は何かが欠けているのが本質なのかも知れない。
「足りない」からこそ「満たそうとする」ーーーその動きが根本の宇宙の働きになると思う。
地球に生まれてきている人に完全無欠な人は一人も居ないと思う。きっと何かが欠けていると思う。きっと完全無欠だと存在出来ないだろう。欠けていて当たり前。だから間違って当たり前、むしろ間違うためにこの世界を旅している体験者。
間違いの無い人生には喜怒哀楽は必要ないのだ。間違いがあると感情が働くし感情があるから間違いも起こる。
荒波のサーフィンでこけて絶望したり、何度も失敗してから成功した時の喜び、ずっと静かな波で幸せ感を味わっていたのに急の高波に襲われのまれて溺れそうになったり、この人生は実に不自由なんだろうと思う時もあるし、そのまま生を終える人もいる。
途中でその不自由さこそ自由を味わえる条件なんだと気づく人もいるだろう。
しかし最後には皆が不自由の中に居て完全なる自由を味わえるという時が来るかも知れない。そのときはこの形のゲームも終わろうとしている時かも知れない。そして、いまこの地球はそんな事に気づき始めたのだと思う。なぜなら忘れていたことを思いだして来たようだから。
苦難の冒険の旅もじゅうぶん味わったからこれからうんと喜びの旅にしようとみんなが思い始めたのかも知れない。いくら美味いものを喰いたいからと言って、その前に苦い物まずい物をたらふく食べて・・・というのもやり過ぎちゃあね。
いくら何でも飽きちゃうって。
もうまずい物のバリエーションは充分いただきましたので、本当に美味い物を実感できる準備は完了しましたよ、わたしは。(やけくそ宣言)
それでもまだまだまずい物が食べたいという人には「止めやしませんよ。けど余所へ行って自由に思う存分食べてくれませんか?このレストランはもうそういうものは置いておけなくなりましたので」
思考途中放棄・・・・・・・・・