引用の転載の転載
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ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
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薬が病気を作っている!」
☆薬の進歩は病気の進歩
抑々人間の生命と健康は自然尊重が原則であって、
人体内には食物以外は入れてはいけないのであって、
味覚によって定められてあり、
薬や異物は胃腸が処理出来ず体内に残存してしまうのである。
薬毒残存濃縮の現実によって、
薬はどんな微量でも有害である事を深く認識する事が極めて大切なのである。
永い年月病気は薬で治すものとの観念に支配されて来た人類は、どうしても薬は悪いものであり、病気の原因が薬であるとは思われないのである。
例え薬は毒であると思っても、
病気の苦痛を取去る為に仕方なく
薬を用いて苦痛をとって来たのである。
苦痛をとれば病気は治ったと思っても、薬毒残存によって体内の毒は増加し、次の病気の苦痛を増大してゆくことに気付かなかったのである。
だから薬を飲めば飲む程、
病気は次第々々に重くなってゆくのである。
医学が進歩すればする程、
病気が重くなってゆく現実は、
何人も否定する事は出来ないのである。
医学が結核予防を熱心にやればやる程、
結核が増加してゆき薬を強くして
病気を抑えつけようとしたり、乱用したりする程、
癌とか肝硬変その他薬剤性肝炎が増加してゆくのである。
癌は現代医学では治す方法はないにも拘らず、
癌の予防と早期発見に力を入れれば入れる程
癌患者が増加してゆく事になるのである。
ストレプトマイシンがストマイ@@ぼ
(注2;耳の不自由な人差別語のため伏せ字)
を作るのも今では常識である。
一時は救世主の如く医学界に君臨したペニシリンも、
真菌症という解剖せねば判らない
カビ病を作り出してしまったのである。
抗性物質が医学界で批判と検討の時代というのに、
何も知らない患者は言われたままに、
思うままにどんどん薬を体内に入れて居るのである。
全く空恐ろしい事である。
若しペニシリンが禁止になったとしたら、
今迄飲んだ人の損害補償は一体誰がするのであろうか。
厚生省も医師もその能力も意思もないように思われる。
患者は体内にカビを生やしたまま泣寝入りとなるのは、
終戦直後の日本国民の姿を思い出せば想像に難からないであろう。
苦情の持って行き処がないカビ患者の悲痛は
自業自得と言ってしまうにはあまりにも哀れというの外はない。
他の事ならどんな苦労も、やり直しも出来る。
七転び八起きということも可能であるが、
人間の生命だけは
一度で終りであるだけに問題は深刻である。
治り難い結核性疾患時代から治し得ない癌性疾患時代へと推移しっつある病症現況は
医学の進歩がその根幹となって、
薬毒、農薬、肥料、消毒剤、食品添加剤が
どんどん増加して来たのが原因となっているのである。
副作用がなけれはよい -
微量なら無害という薬毒物に対する医学的考え方が、
今日の薬剤禍に人類がおののかねばならなくなった
根本思想である。
而もこの考え方は病気は天恵の浄化作用であるという
真因を見究める事が出来ず、
病気を悪化作用と判断し、
苦痛をとれば病気は解決するものと錯覚し、
苦痛を逃れる為には薬は毒であっても
必要悪として使用を継続して来たのである。
ところが医学は薬毒残存濃縮の原理を知らなかった為に
十年二十年三十年と長年月の間に、
或は寡用より乱用へと進む内に
遂に薬では治らない病気が続出し始めたのである。
昭和四十二牢四月二日名古屋に於ける医学会総会で
副作用を医原性疾患と銘打って
検討の対照とせねばならなくなった医学界の新課題は、
来るべき近き将来薬剤放棄論という議題に変更せねばならなくなるのは、火を看るより明らかであって、既に時間の問題なのである。
副作用という事は、
実は本作用であって
症状を押えつける作用の方が
副作用である事に気付けばよいのである。
薬を主にせず人体を主にして考えれば、
直ちに解る事である。
病気とは人体内に入れられ集溜固結、蓄積濃縮された薬毒が、
やがて時期が来て自然良能力の発動によって溶解排泄される時の症状と苦痛であって、体内にある毒物の排除をする浄化作用なのである。
集溜固結を第一浄化作用と請い、
溶解排除を第二浄化作用と請うのである。
普通病気といっているのは後者である。
勿論親から受継いだ先天性毒素も同様である。
即ち薬が病気の原因であったのである。
原因である薬をなくすれば病気がなくなるのである医原性疾患を解決するには
薬を止めればよいのである
薬が病気を作っている!
薬の種類が多くなると病気の数も多くなる -
薬が進歩すれば病気が進歩するき何という間違いであろう。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー