歴史の裏を見ると、なんと驚きの連続で目が白黒で、口はあんぐりです。
そして、いかに吾ら人間は易々と騙されて来たのだろうか?あまりにも愚かすぎるのではないだろうか?
という疑問がわくと思います。
しかし、もっと高見のところから見ると、実はこれは人類の集合意識という凄いところがあって、むしろこういう神話というか筋書きを自ら創っておいて、そこに個々に分かれて芝居の役を楽しむという様なものかも知れません。
その際、一切を忘れてこちらに望むのですからそこに体験する事は実に新鮮でかつ感動的ではあ~りませんか。
これも一切忘れているからこそ出来るのであって、そこには喜怒哀楽が充分楽しめる訳です。
まあ・・悲しみや怒りは 楽しみにならないというかも知れませんが、そこが役にはまっているから分かんない事で、とにかく善悪を創ってそれを道具にして、戦争や病気とかの舞台設定でそこで以下に体験を味わえるかということで
陰謀が確かに存在するかも知れないとしても、実は陰謀や嘘が通用するのはそれに載る方の側が受け入れるからであって、決して主役は陰謀側ではないのでしょう。
受け入れる側が主役であって、ちょうど病気の人を直す人が主役でなくて、本当はそういう役割を引き受けて、癒しをさせてやる主役だと分かったらどうなるでしょう。
なんだあ、主客転倒した時、陰謀側も騙された側も恨みつらみも忘れて、おお~よく配役をやっていたもんだなあ~~とほめ合う中になるかも。
まあ、この神芝居のような現実がうまく行くのは、「忘れていること」「知らないこと」が前提ですので、「思い出してきた」とか「知ってきた」とかが始まると、だんだんとうまく行かなくなってくるってのがこの芝居の終焉のようです。
そういう事も既に芝居の筋書きに入っていたというものの様で、そろそろ終演間近というのが筋書きの様ですが、やはりクライマックスには演劇も過剰気味に大げさに見えるというのも、これも筋書き通りってことかな?
藤原先生のネット放送をいつも聴いているのですが、今回の推薦というか、地元にも来たという話ですし、これ聴いてみてください。
な~るほど~~と
単純に感心している きょうこのごろです
うん マネ書きです。