お布施と祈願 | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

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お布施と祈願

これは表裏一体の関係にありそうです。

祈願するとすると、必ず御礼としてお布施を上げる。

祈願しなくとも、なにがしかのお金を上げる行為はつきものだと思いますが、そのお布施やお玉串料のお金が教団を維持する糧となる訳です。

維持料や活動費は必要だと思う反面、あまりにも頻繁に出費となるお金となると、考えものです。

1時間800円の時給にてやっとの思いで稼いだお金、
月何十万円いや、百万円くらいは楽に稼ぎ出す人

お金の価値観は天地の差がありますが、それを同一に出させるような決まりや雰囲気があるとしたら・・・・

お金の切れ目が縁の切れ目となるような宗教だとしたら、それでもう価値が分かると思います。

これは今どこの宗教組織でも隠しきれない矛盾を生み出しているのではないでしょうか?

地上天国の方を作るなどと言って、どの派生団体も同じ様に立派な建物や庭園、美術館を作っている事を見ていると、どうやら、もう宗教のエゴ意識の方が大きくなって、本来の役目を終えている様な気がします。


大昔なら、教えなどを広める手段としての宗教組織は役にたっていたかも知れません。しかし、この時代あらゆる伝達方法が揃っているので、あえて組織など無くとも最低限度の活動費で広く世界に情報発信できる世の中になりました。



団体組織を拡大するという事が当初の目的「真理を広めるための手段」から離れてしまって、「権勢拡大」の様な形で、見える物質尊重を主にしているかの様です。

手段が目的にすり替わっていると思うのです。


物質の世界を主として拡大しようとすると、必ず多額の資金が必要になります。

それをあたかも神のご託宣の如く信者に思わせて、資金集めの為にお布施をしなければ幸せになれないような雰囲気を作ろうとしている組織があまりにも多い。

これは自分の体験でも分かります・

教え方によっては「お金を出す方が幸せになる近道」かの如く思わせる事も出来ます。自然な感謝から自由なお布施をするというよりも、それをしなければならないと思いこむ様な教えがあるとしたら、それはもう宗教どころでなく、それはカルマ製造業者に成り下がっているのです。


なんども書いておきます。
宗教組織は手段ですから永遠性のものでは無いと考える方が自然です。
永遠性の無いものはいつ畳んでもよいものです。
それが自主的か他動的になるかは別ですが、大自然の法則からみると、そういう結果になる方が当たり前です。

それを組織の方が大事だとばかり、世間に合わせているようじゃ、もう先進性は無くなっている証拠ですから、お役は終わったと思うべきです。

より素晴らしい教えの方に皆で参加しましょう

と言うほどの教師がいたら本物ですが・・・
そんな人は見かけた事がありません。




祈願についてもいろいろ理屈がありそうですが、本来の神は自分の奥底にあるとしたら、外の世界に求めるということはドンドン本来の神から離れて行くという矛盾もありそうです。



下記を参考になるかどうかは自分次第なんでしょうが、宗教に関わる人は今こそ考えてみる内容でしょう。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下引用ーー

7.布施と祈願

 お布施と祈願も宗教団体には付きものです。お布施の額は、一般社会常識で判断したいものです。しかし、カルト宗教信者や会員には通じないかもしれません。

教祖の説く法が絶対であり、社会的価値観より、教えの価値観が優先してしまいますから。

 いくら高額な布施を求められても、他者に盲信してしまうと、付いて行くしかありません。際限のない布施の要求に、疑問を持たず対応しようとするでしょう。哀れです、私自身本当に悲しく思います。


 布施とは求められてするものではなく、自分の富の一部を捧げる事によって、少しでも社会や世界が良くなってほしいという願いによって成されるものです。

 自分の生活や家族を犠牲にしてまで、するものでは断じてありません。ましてや、神仏や聖霊が物質的なお金など求める訳がないではありませんか。カルト信者はこの事さえわからなくなっています。


 教祖を盲信しているのは、自分の心の内に神を観る事をしなかったからなのです。

その結果が教祖の語る言葉を鵜呑みにし、それを心の拠り所としようとするから、マインド・コントロールが解けないのです。


 布施の高額化と強要は宗教ビジネスそのものであり、その事をわかろうとしない信者や会員は、ロボットのように従う、貢だけの存在になっています。その事に早く気づかなければなりません。これ以上、生活破綻や家庭崩壊を招く悲劇を増やさない為にも。



 次に祈願に関してですが、私の体験からは、縁のないようなものであれば、いくら頼んでも天界には通じないように思います。

 祈願とは宗教施設や団体に行かなければ出来ないものと、人々は思いこまされています。しかし、霊的真実はそのような事はないのです。

あなたが、人生で目標とする偉人や聖者がいるならば、その方に祈りを捧げてみるのが良いと、私は思っています。あなたが、尊敬し、どうしても惹かれる歴史上の人物ならば。あなたにとって、縁のある方だと思ってさしつかえないと思います。(あるいは霊団)

 もちろん、その時は、一人静かに、だれにも見られる事なく、祈ってください。必ず、なにがしかの答えは見つかると思います。当然、自助努力は大切ですが、聖霊や天使は地上の人間をいつも見守り、いつでも援助したいと思っているのですから。

 祈願の効果は、霊的価値観に目覚める為のきっかけとして、ある程度認められると思っています。その時は効果をしっかり確認してください。

そして、祈願料がやたらと高いのは詐欺だと思って間違いありません。効果はあるかもしれない、しかし、結果は自己責任などと言いのがれのを言う輩がいます。このような者は、良心の呵責を感じないのでしょうか。本当に反省すべきです。
宗教を学んでいながら、反省すらできないとは、一体どうした事でしょう。

宗教団体にいる者は、自分とは何者か問いなおさなければなりません。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上ーーーー