パスツールの勘違いからはじまった医学の勘違い | akyoonの異端の医学と不思議な情報

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医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。


 さて、我々が次に考えなければならない問題は、医科学界で異彩を放つ存在として、誇張して見られているルイ・パスツールの業績についてである。


 


     [[パスツールと彼の遺産]]


医科学界の多くの変革者によくあるように、ルイ・パスツールは医学者ではなく実験化学者であった。ここに医学史上の彼の立場の再評価を考慮しなければならない根拠がある。というのは、彼の誠実について疑いが表明されているからである。実際、彼の偉大な「発見」のいくつかは、同時代の科学者アントン・ビーチャム教授に負うところが大きい。


 


 アーチー・カロケリノス医博とグレン・デットマン哲学博士は、次のような論争を書いている。


[[「近代医学は、病気についてはパスツールの細菌学説を基礎としている。ある特定の有機体が特定の病気を引き起こし、特定のワクチンが防衛力を与えるという学説である。ある先天的体質の子どもは、予防接種でも防衛力が得られず、接種時に死亡することもあるという事実を観察すると、このパスツールの独断の正当性に対して疑いの影がよぎるのである(第五章参照)」]]


 


 [[人間はさまざまの理由で病気にかかりやすくなり、病原菌そのものも感染状態で簡単に優位に立つということが、やがて明らかになった。したがって、感受性のある者に予防接種をすることは、必ずしもその人たちに免疫を与えることにはならない。それは逆効果になるかもしれないのだ。]]


 その上パスツールが、同時代の偉大な科学者ビーチャムの研結果を剽窃したことが明らかになったとき、この間題が白日の下にさらされた。この鋭い観察者によれば、生命の基本となるものは細胞ではなくて、彼が「マイクロザイマ」と呼んだ生きた「遺伝子」なのである。マイクロザイマは栄養環境によって、ウイルスになったり細菌になったり、有毒になったり無害になったりと変化して、進化できるのである。そして明らかにある特定のウイルスは、よく似た有機体を産出できるが、これはある特定の環境状態が存在する場合にのみ可能なのである。他の状態下にあるときは、他のウイルスや細菌に変化することが起こりうるのである。



 同じように、感染も、マイクロザイマの進化の過程による展開しだいで、内因的にもなるし外因的にもなりうるわけである。こうして、ワクチンの誤りが説明され、細胞のおかれている栄養環境の重要性が述べられているのである。


 


 しかし、パスツールを剽窃者だと単純にきめつけてしまうことは、複雑な免疫の問題を理解するためには役に立たない。我々が冒頭で提起した注目点は、パスツールと彼の後に続く者たちに対するものである。もちろん、それは二十世紀の人たちの心に深く刻み込まれた、彼の業績に根ざす学説をめぐる、いくつかの論争に関するものである。


 パスツールは化学者であって、彼の初期の業績は、結晶学に関するものであった。結晶構造の変異に関する研究と、これらを分離しようという努力の過程で、彼は、特殊な微生物は変異種を識別できるので、実験に使うことができることに気づいた。彼はその後半生に、ブドウ酒、ビール、果実酒での異常な変化について、原因を突き止めることを依頼された。それは、外見上同じ環境にあって何事も起こっていないように見えているのに、酒が酸っぱくなったり不適当な発酵が起こり、経済的に大きな損害をこうむるという問題であった。


この分野での彼の最初の研究は、牛乳に関連したものであった。そしてその結果彼が得た結論は、分離することはできなかったが、特定の微生物が牛乳を酸っぱくする酸敗反応を示すのだということであった。次いで何年間もビール、ブドウ酒、酢、バターと、発酵と酸敗に関連する珍しい事象の研究を行い、これらの生産物中のさまざまな変化はその中で活動している微生物に関係していると結論づけた。こうしてパスツールは、酸っぱいミルクの中には、酸っぱいブドウ酒の中とは違った微生物が存在することを示した。そして変則的な変化が起こったときには、違った微生物が存在していることに注目した。


 


 この成果を、イギリスの科学者ジョセフ・リスクーが発展させた。彼は殺菌した傷口からは感染しないことを示し、外科的処置にこれを応用し、石炭酸を用いることを始めた。



 [[さらにパスツールは、多くの人間や動物の病気にまで研究を広げた。彼はそれぞれの感染症には、それぞれ特定の微生物が関係していると結論づけた。そして、これらの微生物を同定することによって、ジエンナーの初期の研究に関連している考えを用い、病気を防ぐことを始めた。パスツールが追い求める微生物は、同じ環境の中で生活している宿主にまったく寄生していて、動物や人に外部から感染する、と彼は信じていた。]]


 


 ところが、パスツールが華々しく活躍したときと同時代のビーチャムの業績は、反対の意見を示していた。というのは、マイクロザイマと呼ばれる材料から、細胞中で微細な有機体の自然な変化が起こることを、彼は信じていたからである。これら微細な粒子は、適当な環境の下にあれば、ウイルスや細菌そのものに変化することができると、ビーチャムは主張している。こうして感染の外部感染源説は、パスツールがワインの発酵過程についての発見を「借用した」その人によって、対論が出された。


 



 ビーチャム自身、彼の著書『血液とその要素』で、次のように述べている。


「一八七二年、パスツールは、彼の最も大胆な剰窃を試みた。ブドウ酒発酵の酵母は、ブドウの中に自然に存在するということを私が発見した八年後に、いきなりそれを「発見」した。これに関連して、植物や動物の構成物の中には、小さな細胞の中で、遺伝子がなくても、自発的に物質変化を起こさせるものが通常存在していることをパスツールは発見した」


 


 ビーチャムの学説によれば、マイクロザイマは生命現象の最小単位とみなさなければならない。細胞ははかない存在のように見えるが、生理学的には不滅のマイクロザイマから構成されている。十九世紀後半において、?線や電子顕微鏡の助けもなしに、ビーチヤムが、遺伝コードとしてのDNA構造の二重ラセン形成のためにマイクロザイマが結合することを著述していることを知るのは、素晴らしいことである。



 彼は著書の中で、次のように書いている。「マイクロザイマの集合体は、二重ラセンを形成する」。
 彼は、はっきりと具体化された率直な方法を用いた。そのおかげで、一九六〇年代(ノーベル賞受賞者のウイルキンス、ワトソン、クリックが?線屈折を用いて証明する)までは、十分に表現できなかったものを見ることができるようになったのである。ビーチヤムの方法は偏光を用いることであった。これは第一のプリズムを通った光の彼の振動を、第二のプリズムを通して見るというものである。


 


 [[広く宿主の体内にマイクロザイマ(つまりはDNA)と呼ばれる基本物質がほぼ確実に存在しているという事実を、ひとたび受け入れたならば、我々はウイルス粒子の起源について、理解しやすくなる。]]


雑誌『タイム』の記事によると、ウイルス粒子はビーチャムのいうマイクロザイマに、非常によく似ているようで、「ウイルス粒子は生命最小単位のモデルである。それはただ単に遺伝物質の核のみ ー DNA分子やRNA分子 - から形成され、保護のサヤはタンパク質からできている」。



 だが、ウイルスは、我々が知っているように、すべての生命体に共通の構成物である細胞構造が欠けている。



 『タイム』は続けて、「真の生命体とは違って、それは栄養代謝を必要としないしできもしない。宿主の助けなしには成長しないし、増殖もできない。もしウイルスを試験管の中に入れても、そのままで何も起こらない。それは自分自身のコピーを作ることすらできない」


 


 


 ビーチャムは次のように述べている。



「細胞は永久的な組織発生の要素ではない。その存在ははかないものであり、生命現象の単位でもありえない。細胞はマイクロザイマであるというよりは、マイクロザイマが細胞を作り、細胞が破壊されたときには作り直す働きをする。それは組織された生命原基の要束である」



 不利な条件下では、このマイクロザイマ (いいかえれば原初期のウイルスあるいはバクテリア粒子)は病原となることができる(病気を引き起こすことができる)。


そして、このことは病的状態が体内で生ずるのか、あるいは外部の病原から移ってくるのか、どちらにせよ真実なのである(ビーチヤム説を支持する最近の証拠については、第六章参照)。


 


 こうして、感染の起源について、外部説を信ずる者と内部説の信奉者の間で、論争が続いている。


たしかなことは、前者は近代医学で業績を上げている多数者である。しかし真実への決め手として、ビーチャム説を支持する意見もまた大きな広がりをもっている。


実際には、感染性有機体の起源について二つのまったく異なった見解があり、けっきょくこれが予防接種の一番の関心事となっているのだ。


微生物発生の起源についての外部、内部両説には、真実についての大き要素が存在するのであろう。というのは、両説とも尊敬すべき支持者によって、十分にそして大きな力と論理をもって、議論されているからである。


 


 予防接種に反対する人たちの立場からは、ビーチヤムの業績は、身体の健康の重要性、免疫組織の活力、そしてそれによる病気への自然抵抗力を強調しているように見える。それは哲学的的概念を抜きにしても、毒を弱めたもの(あるいは感染過程の他の副産物)を使って身体の防衛力を刺激し、さまざまな微生物からの攻撃から身体を守ることを目ざしている人々とはかけ離れた、もっと大き分野のことに思えるのである。


 


 そしてこうした見解の相違は、標準的な免疫獲得のためにどちらを選べばよいかを理解するのに、基本的な問題ととなる。まず、予防接種の不利益がどんなものであれ、他に実行可能な選択がないかぎり、それに対する反対論は崩壊してしまう。


また、現在受け入れられている方法に、「科学的」根拠があるといっても、その基礎となっている方法論と論理が不十分ならば反対意見の有無にかかわらで、実際を見ると、不適当に作り上げられた方法論と論理を基礎として行われている予防接種には、基本的な難点がある。


いいかえると、予防接種の結果として浮かび上がり、我々が今見ている失敗は、不可避なのだ。


なぜなら、それらが合理性に反する体系に基礎を置いていることのほかに、実験室での無菌状態で適用される原理は日常生活とはあまり関係がないということがいえるからである。もちろん外部から細菌が入って起こる感染は、論争するまでもない。



しかし、環境と適応状態にある身体の中でも自然に発症しうることは、現存のウイルスによる「感染」の範囲の広さから、強く示唆される。また、このようなウイルスや細菌の多くが、明らかに健康な人の体内でも発見される場合があるという事実も、同様に示唆されているのである。


とすれば、毒性の程度がどうであれ、外部から引き込んだ感染源でさえ、当然のこととして感染を起こすのではなく、ただ宿主(人間)がその活力を維持することができず感染源に対し適切な環境を与える場合にだけ、病気が発症するということになる。


 



 ところで、この間題と現代の天罰エイズとの関連性が、ますます注目されつつある。サンフランシスコのロス・カリフォルニア大学でエイズを研究しているジュイ・リビイ博士は、「エイズウイルスは、必ずしも人にその病気と接触させることを必要とするものではない。他の感染症、麻薬使用、栄養不良、ストレス、睡眠不足が免疫(防衛)組織を弱める方向に臥軒する可能性もあるようだ」という言葉を、○○に引用している。


「もし人の免疫組織が、このようなことで悪影響を受けないならば、それはエイズウイルスと闘って撃退し、病気を悪化させないようにできると私は信じる」とも語っている。これは事態の正しい展望といえる。


宿主すなわち感染した人と彼の免疫組織こそが、エイズ (あるいは何か他の感染症)に罹患するかどうかを決定するのだ。もし身体がそういう事態を許すような状態ならば、そこはウイルスあるいは細菌のかっこうの活動の場となるのである。


 



 ロックフェラー大学のデュボス教授は
 「ウイルスや細菌は、他の何かがないと、それ単独では感染症を引き起こさない」と述べている。



 カロケリノス、デットマン両博士は、それにつけ加えて
 「[[ウイルスと細菌だけが、感染症の唯一の原因ではない。他にも原因はある]]」といっている。



 両博士がいうように、「[[重要なのは、ウイルスや細菌が引き起こすものではなくて、それらを病原体に変身させ攻撃的にさせるもの、たとえば細胞の栄養状態などである。だから我々の生活態度が重要になってくる]]」



 そんなわけで、エイズ感染の基本原因としては、エイズに接触した一〇人のうちの一人だけに深刻な感染を引き起こす可能性があると考えられているウイルスよりも、麻薬の乱用や無分別な性交や無軌道な生活のほうが、大きく関係すると考えられるのである(エイズの原因については、ぜひ第七章を見ていただきたい〉。



 [[こうしたことは、すべての感染症に当てはまる同一の基本的な事実である。なのに、これまでは病気を起こす主たる要素として微生物の重要性を強調しすぎたため、健康管理に対する個人の責任を放棄させてしまったのである。]]我々は後の章でこのことについての状況を論ずるが、この段階では、読者は次の二つの考え方が生み出す異なった強調の仕方に留意していただきたい。…は、我々は微小な生物の気まぐれと危険に陥りやすく、もし我々に、先天性あるいは後天性の免疫力がなければ、それらの力に負けて病気にかかるという考え方である。


この考え方にかかわるかぎり、自然に獲得された防衛力はうまく働くか働かないかの問題であるから、人為的な免疫によって、感染源から我々が「守られる」必要があるということになる。 


そして、もう一つは、我々一人一人の最も重要な関心事は最善の健康維持であるべきだ、という考え方である。この考え方による恩恵は、感染に対抗できる十分な免疫力を含めた健康障害に対する抵抗力と防衛力であり、また感染したとしても完全に対抗できる能力であろう。しかし、人体防衛のメカニズムが確実にこの目的に対して影響されうることが証明できなければ、現行の予防接種に対する批判はただ単なるアラ探しになるように思われる。


 以上ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続く