阿久津皇のブログ -26ページ目

日本語教育と英語教育

 世田谷区では平成19年度から区立の小中学校で総合学習の時間に教科「日本語」を始めました。


 授業や教科書の中身については議論があるところですが、そこは専門家にお任せするとして、その目的は素晴らしいと思います。

-深く考える子どもを育てる。
-自分を表現することができ、コミュニケーションができる子どもを育てる。
-日本の文化を理解し大切にする子どもを育てる。

全て、戦後教育に欠けていたことではないでしょうか。


 一方で、来年度から小学校での英語教育が義務化されます。先日も、池上彰さんの番組で既に英語教育を行っている小学校を紹介し、大絶賛していましたが、私は大いに疑問に思っています。やはり、日本語や日本文化をしっかり学ぶのが先でしょう。


 私は日本で大学を卒業してから米国で2年半ほど学びましたが、私の経験から言うと、いくら小学校から英語を始めても日常で英語を使うことのない日本で生活する限りは、英語力は伸びないし、そもそも必要ありません。逆に、海外で生活すれば、大人になってからでも充分英語力はつきます。


 また、英語を公用語にする日本企業も出てきていますが、はっきり言ってナンセンスだと思います。よほど国際企業で、社員の半分が海外から来ていて日本語を話せないとか、連日テレビ会議でシンガポールやオーストラリアとやり取りをしているといった企業なら理解できます。そうでないなら社員間のコミュニケーションや書類作成に手間がかかり、間違いなく生産性の低下や商品の質の低下に繋がります。


 極論をすれば、日本で生きてゆく限り英語なんて必要ありません。どうしても必要な際は通訳を雇うか、翻訳サービスを使うべきです。中途半端な英語力で仕事なんかしたら、誤解や間違いの元ですから。


 それに、英語は結局のところ単語力ですよ。どんなにリスニングや発音を鍛えたって、単語を知らなきゃ意味も分からないし、発言することもできないんですから。


 先の池上さんの番組では、英語の義務教育化を絶賛した後、最後に一言、「一部に日本語教育が先だと言って強硬に反対している勢力もあることを付け加えておきます」という主旨のことを仰っていました。いったい何が言いたいんでしょう?

ビオトープ(Biotop、Biotope)

 JTR(日本税制改革協議会) の勉強会は、2日間に渡り8名の講師がそれぞれに特色のあるお話をされ、とても勉強になりました。どれも日本を今日のどうしようもない閉塞感から救う政策のヒントに溢れていました。


 特に、野口理佐子さんがお話されたビオトープ 活動は、すぐにでも実践でき、都会の子供たちに元気を与え、われわれ大人にも希望や活力を与える素晴らしい活動だと感じたので、少し紹介させてください。


 ビオトープとは、簡単に言えばもともとその土地にあった自然環境を再現することで本来の生態系を再生するものです。学校や公園の一部を本来の自然環境に戻すだけで昆虫などの生態系が取り戻せ、半径1kmくらいの範囲に同様の環境を設けていけば、人間活動との共存も不可能ではないというものです。


 私は世田谷区の明正小学校で学んだのですが、今でも覚えているのはサケの稚魚を育てて多摩川に放流するというものでした。翌年には、サケが戻ってきて新聞に紹介され、とれも誇らしく感じたのを覚えています。


 今では多摩川も随分きれいになりアユが戻ってきたことなどしばしばニュースになりますが、自然や動物の世話をすることは子供たちにとって大きな喜びとなり、自然を破壊してきたことに後ろめたさを感じる我々や上の世代も、まだ自然は取り戻せるという希望を感じることができるのではないでしょうか。


 これは、自然環境だけでなく経済や教育にも通じます。自然環境を取り戻すことで、経済や教育など、回復は難しいと思われていたことも、まだまだ回復可能なのだと、明るい未来をもたらせてくれる素晴らしい活動だと思います。


JTR(日本税制改革協議会)

ビオトープ協会

ジェンダーフリー

 昨日の続きを少し。


 男女混合名簿について、私の知る限り米国では男女混合名簿が一般的であり、主要国で男女別名簿を使っている(いた)のは日本だけだそうです。


 私は男女別名簿が性差別に繋がるとは思いませんが、混合名簿でも違和感は感じませんし、日本でも学校以外で使われる一般的な名簿は男女混合ですから、現場で判断すれば良い問題だと思います。ただ、学校では体育や技術/家庭といった生活科目、あるいは身体検査など男女別に行う科目や行事がありますので、男女別の名簿で統一したほうが利便性は高いのではないでしょうか。


 混合名簿は一部の教師たちの思想的な理由から導入に至ったというのが実際のところでしょうから、そのような教師たちが幅を利かせている現場では、昨日書いたようにジェンダーフリーがエスカレートして様々な問題を引き起こす可能性があると思います。


 ここで一つ考えたいのは、日本だけが男女別名簿を使っている(いた)ことを、日本が間違っていると是正するのか、日本独自の文化や考え方だと尊重するのか、ということです。


 ジェンダーフリーを突き詰めると、最終的には戦場の最前線の兵士も半分は女性でなくてはならなくなります。また、「男らしさや女らしさ」といった考え方や桃の節句や端午の節句といった文化や伝統にまで踏み込まなくてはなりません。


 一番大きな問題は、こういったことを主張している一部の女性活動家や女性政治家たちの声が世の中の女性全体の声だと認識されてしまうことではないでしょうか?