入場料を受けとってご案内から公演を行う以上、こちらはプロとしておもてなしすることが条件だったにも関わらず、様々な点でスムーズに出来ずにお気を煩わせてしまったお客様方、もし何かご意見や質問等ありましたら、今後のイベント運営の向上に繋がる為、このブログのコメント欄かメール(strummer1110@gmail.com)で、匿名でも結構ですのでご連絡いただければ幸いです。
ここからは、3/10(日)、
南阿佐ヶ谷蕎麦屋「道心」
http://hpgate.jp/doushin/index.htm
にて行われた自主企画、
「応答願います」
のライブレポートっぽい雑記となります。
筆無精な僕も、さすがに今回ばかりはライブレポートを書きます。
写真が無いので伝わりづらいかもしれないけれど、
写真があったって、きっとあの夜の風景や空気は
実際に足を運んでくれた人にしか分からない。
入場者は18人で限界のお店だけど、21人立ち見も含めてご来場して頂いてパンパンになり、それでも予約が立て続けにきてしまった出演者さんのお客様は、やむを得ずお断りしてしまった。
キャパシティのあるライブハウスでやればよかったんじゃないだろうか、という事は少し考えたけれど、
南阿佐ヶ谷道心だったからこそ、あんなにも素晴らしいイベントが出来たんだ、というのは今振り返っても思う。
敬称略で、演奏の個人的な感想を記載します。
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―古宮夏希―
すごく、彼女らしさがあふれでたステージだった。
風景と思い出、感覚が呼び起こされる歌の中の言葉。
夏希さんのお客様の子供で、二歳の子供がこの日は来ていた。
その子が何かつぶやいて、場内に静かな笑みの輪が広がった。
その後に夏希さんもそっと笑い、
溢れ出すように、「僕は泣いている」を奏で、歌いだした。
僕が彼女の歌と、存在を知るきっかけとなった曲。
全てを許されて、何もかも忘れて目を閉じていたくなるような、そんな歌だった。
―スナカワタカヒロ―
生きることの痛みと、自分以外の全てを、拒んでは受け止めようともがき続け苦悩する彼の日常が、歌の端から、言葉の端から常に流れてくる。
ギリギリ聞き取れるかどうかのMCと、感情のバランスを失っているような言葉が切々と歌に乗せて放たれてくるステージの情景は、同じように痛みを抱えている人たちの中に、淡い希望と勇気を与えてくれるんだと思う。
―偶然の産物―
普段はヴォーカルエフェクターやループなど使い、奇跡的と言えるほどの、ほの暗く美しい世界をギターと声で奏でる彼は、アンプラグドになっても全くといって良いほどパフォーマンスに遜色を見せなかった。
それどころかギターと声の一音が作る空気の震えが、ダイレクトに会場の空気を支配し、塗り替え、始まる前に部屋の中に漂って交錯していた無数の想いや言葉が、浮力を無くして沈殿し、眠って動かなくなっていく
。
深海の底にランタンを灯して、偶然の産物という1つの風景を見ている。
そんな感覚に陥るステージだった。
―握月(アコースティック編成)―
どんな風だったのかは、見ていた人にしか分からない。
ただこの日、「応答願います」という訳の分からないタイトルの1日に、何かを期待してやってきてくれた20人以上の人たちは、
その思いがこれからどんな結末を迎えるのかを試すように、
視線で、
背中で、
声援で、
心の中で、
音楽に身を委ねてくれているのがわかった。
何度も胸の中から何かが込み上げてきた。
何度も、聞きに来てほしいと思っていた人と眼があった。
窓の向こうに手を伸ばしたって何も掴めないように、
人の心の中に手なんか伸ばせるわけがない。
それでも確かに、何かが、確かに宇宙より遠い誰かの胸の中と
歌っているときに繋がった気がした。
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いろんな人たちが声をかけてくれた。
僕じゃない出演者さんを見に来たお客様もCDを買ってくれた。
すごく色んな人とたくさん言葉を交わしたことは覚えているし、
笑顔を向けてくれたことは嬉しかったけれど、
「また今度な」といって肩を抱いて去っていってくれた君が、
今日も明日も明後日も変わらず、普通の毎日を、
楽しく、強く生きていこうとしているようにお店の外に出ていったのを見て、
このイベントが、彼の心の中に少しでも明かりを灯すきっかけになってくれたら
そんな風に考えずにはいられなかった。
尊敬する歌い手さんも聞きにきてくれた。
彼はやっぱり僕にないものを持っている。
それでも心のどこかで、音楽をやる人間として存在を認めてほしいと思っていた僕は、彼の言葉に、これから先の自分の全てを音楽にかけても良い、そう決意した。
お店が閉店してお客さんも帰路へと去っていった後、
出演者さんたちはみんな笑顔で手を降り、「いつ」とは言わず、「いつか」と言って去っていく。
この道を進み続ければ、いつか必ず、また重なった道の上で、もしくは大きな海の上で出会う。
そう僕は解釈している。
見に来てくれたナカノくんとミタニくんが帰り道ギターとかバッグ持ってくれた。正直歩いているのがしんどいぐらいフラフラしてたからありがたかった。
―応答願います―
そのこえは小さくても、
今は誰にも聞こえずとも、
いずれ、
いつか、
その時にはきっと。
※ご来場いただいた全てのお客様と出演者方、場所を提供していただいた南阿佐ヶ谷道心に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。
