9月8日(日)

池袋アダム
MAP
open/18:00
start/18:0
ticket/1500+1D

「SUNDAY BLOODY SUNDAY」

アサライト/
GRADE13/
握月/
阿久津 透The GuitarScream/


握月でのライブ。19:00より30分出演予定。


初ライブより一ヶ月半ぶりに「握月」のライブ。

好きなCDを聴いて
好きな歌を歌って

またステージに4人で立てる幸せ。

お会いできたら光栄です。


待ってますよ。


#8/17

友達が子供を産んだ。

「そろそろ出産します」
って連絡は10日ぐらい前に来ていた。


友達は、ロッカーだ。

出会ったのは僕が学校から社会に向かう1年ぐらい前で、

楽器に付けるエフェクターとか作る会社の面接でだった。

なんかとりあえず音楽に関われる仕事に就きたいって彼女は言ってて、
免許証を見せてもらったら、モヒカンだった。

僕は「とりあえず普通の会社に入っても面白くなさそうだから受けた」

みたいなことを言ってた気がする。


その人は神戸から来ていたらしく、面接が終わったら高速バスに乗り込んでいった。

別れる直前に「そうだ、夏のロックフェス行きたいな!」
とか言ってて

僕は「そうだね、じゃあまた」

と言って別れた。

シュウショクカツドウをする学生は、
社交辞令、守る気のない口約束を別れ際に言って気持ちよく別れる処世術を身につけている。
それが大人になるためのステップだからだ。

で、そのあと僕は

結構いろいろあって

骨が折れたり

なんか毎日2、3時間ぐらいしか眠れなくなったり

怖くて人の目を見て話せなくなったり

急に息が苦しくなって立てなくなったり

とにかく面白い事が続いた。


で、高校の時の友達がそんな折に「夏のロックフェスに行こう」とメールしてきた。

二人で抽選に応募したら、チケットが4枚当たった。


そんで僕とその友達は当選したチケットの分だけ一緒に」行く仲間を探すことにしたが

見つからないったらありゃしなかった。

1日がんばってロックバンドを炎天下の中見て叫んだり走り回ったりするだけです!

僕とその友達すら少し途方に暮れていた。


そして、なんか僕の頭の中で、例の社交辞令を交わしたモヒカン就活学生が思い当たった。

「お誘いありがとうございます!ただ…その日は選考がありまして…」

ふふっと未来を予想しながら、笑いながらメールを送る。


ってな具合だった。



そして、
2009年の8月の某日、
僕らと、かろうじて誘えた同じ高校の友達と、

神戸からやってきたその子は

夏の三大ロックフェスの一つである、

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に向かうこととなった。


僕はもちろん寝不足だったり、
頭の中がとろけていたり、

自分が何者なのかよく分からなくなっていたけれど

「ロックが良い子でどうすんだよー!」

って叫んで、大勢の人たちを煽ったり、

「ここに立てた事が誇りです」
とか言ってる人を見たり、

なにかに祈るように目を閉じてギターを弾いたり

歌ったりする人たちを見たり、

そんで最後に

「ええねん!」

って叫んでいた関西弁のおじさんのステージを見終わった時に


たとえ、誰に「泣くなよボケ!」ってひっぱたかれて怒られても

ダメなんだろうなってぐらい涙が後から後から、

どこからこんな出てくるんじゃいボケがって風に出てきてしまった。

そんな風に泣いていたのは僕だけじゃなかったみたいで、

神戸から来たその子も泣いていた。
モヒカンにする人が涙もろいとかいう話ではなくて

きっと、何かを教えてもらった人間が泣いているんだろうなって思った。

僕を最初に誘った友達は突如号泣しはじめた二人の友人に、戸惑って訳がわからなくなり、とりあえず僕の肩を叩きまくった。



誰も一人ぼっちでいることは無いって言葉を

心のそこから欲している人間が、僕以外にもいることを教えてくれた
ロックっていう生き物に、生まれて初めて感謝した。


僕はその日を境に

なんとなくその日聞いた歌を寝付けない日はずっとパソコンで聞いていたり、

他にもその日見たバンドの曲を借りて聞くようになった。

そうやって少しずつ、
悲鳴をあげていたどこかが、だんだんと、
ゆっくり朝を迎える頃に、
静かになっていくようだった。

何も変わらなくても
何か変えていけるかもって気持ちで
安心して涙が出た。


神戸の友達はたまにメールをくれた。

「やりたいことが見つかるかもしれん」
「すごいね」
「まあー、うまくはいかんけどな」


社交辞令が出来ない友達は、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、右往左往していた。

でも決まって最後には

「まあ、ロックがあるから大丈夫や。ウルフルズ見られて本当嬉しかったわ」

みたいな言葉を、だいたいどっちかが言って締めていた。



「就職先決まった」
「おお、たくま良かったな! ぶっちゃけ私は決まっとらん!」

「でもやりたいことがある」
「なに?」

「バンド」
「おお!良いやん!組む仲間は?」

「いない」
「まじか!」

「でも、いつか絶対に見つける。それまで俺、一人で歌い続けるわ」

「そうか! まあ大丈夫やろ! なんかあんた乗り越えそうやし!」


「誰かの力になりたい。俺はあの日、ほんの少しだけ人生を変えてもらったから」
「がんばれ!」






その友達が出産する前に、

「握月」はスタジオに入り、

その時一番歌いたいと思った歌をみんなで演奏して、

ビデオに撮って、

今は福井に住むその友達の元に送った。



ずいぶんかかってしまったけれど、

僕はやっと仲間と出会って

歌うべきことを歌って


ほんの少し、クソまみれになった誰かの顔を

笑わせられる可能性が増えた。




「ROCKな心の子に育てます!」



うん。

その子が、将来バンドを組みたくなるようなすごい歌を


これからオジさんたちが頑張って演奏するからね。









$akugetuさんのブログ-ROCK

#7/22


大久保水族館という、うす暗いバーみたいなところで、一人で歌った。

見に来てくれている人達は、なんだか夜のドラマをキッチンで見ているような感じの目だった。

歌ったら、なんか久しぶりに楽しかった。

人の前で歌う人、誰もがそうなれるわけでは無いって知ってたから、ちょっとだけ優越感を感じた。

でも、この日出ている人はみんな楽しく歌っていたり、演奏していた。

がっかり。俺はやはり特別な人間じゃなかった。

一緒に出てくれた、友人の長沼ハピネスさんが歌っている写真を撮って送ってくれたけれど、
なんとなく人には見せないで秘密にしておく事にした。

#7/28

引越し祝いということで、隣人の人とご飯を食べに行った。

電車で10分ぐらいの「立石」という町。

屋台のような飲み屋さんが軒並み続く不思議な町。

食べたり飲んだりしていると、音楽の話がいつもより噛み合っているような感じがした。

帰りは歩いて帰ることにした。

通りには誰もいないのに、誰もいないとは思えない気配がした。

でも、怖い感じじゃなかった。


昔この立石から僕の住む町へ行く途中の道のそばに

「ヨコヤマ」っていうライブハウスがあった。

ビートルズのコピーしたり

グループサンズの歌を歌ったり、

おじさん
おばさん
みんなが楽しく音楽をやっていたお店だった。

僕が去年の夏に、久しぶりに夜に遊びに来たときに

閉店していた。



僕はここで何回か歌ったことがあって

最後に来て歌った日には、少しだけ人がいて、

マスターも含めて、ほとんどの人が、ほどほどにしとけよって目を向けてきていた。

一人のおじさんが歌い終わったあとに、
「なにがあってもギターやめるなよ、歌やめるなよ、絶対に、絶対に良いことあるんだからな」

って言ってた。



気付いたら、車の行き交う国道に出ていた。


#7/29


仕事が忙しかった。

僕の隣の席の新しく入ってきた人は、仕事が大変だと
「ああー…多い…」と言って
うなだれる。

僕は机に入ってたお菓子をあげた。

「あ、ありがとーうごさいまーす」

と、微笑んでくれた。

― 後に、僕はこの人に多大な食の恩恵を受けることとなる。

「すみません、ぼくはこれで帰りますけれど、あのー、はい、がんばってください」

「いえー、またあした。お疲れ様です」

僕は帰る。

仕事をしながら歌を歌う日は、こんな調子である。



「浅草クラウド」で歌った。

ザ・魂ズの秀逸くんに誘われて出ることに。

前々から興味のある人たちがいっぱいいた。

自分が歌うことも楽しかったけれど、

その人たちの歌を聞くのも楽しかった。

友人の、にたないさんがやってきて、終演後のオープンマイクで歌っていた。

「僕らは死んでも星にはならないよ」
って歌っていた。

僕は死んだら何になるのかなー、なんて思って、

椅子に頭を埋めて目を閉じてみたけれど、

どんな夢も見れやしなかった。