皆さんは
人間として生まれてくることができて、
本当に幸運です。
人間としての一生を
神聖なものにする人々は幸いです。
人間は、
肉体意識を放棄して初めて
アートマ(真我)の原理を
理解することができます。
(「今日の御言葉」として配信されるサティア・サイババの言説の一部抜粋。2016.8.7の分)
なんと人類を生物の最上位に置こうとするサイババのこの論法にわたしはどうにも納得できないでいる。
サイババによればまた「人類には叡智がある」ということになるが、その持つところの「我執」のために自利と利他のバランスを、その思考の中でうまく量れないでいる人類の、いったいどこをめくったら叡智などというものが出てくるのだろうか。
「人間に生まれて幸運」なんてどう考えてもいやみとしか受け取れない。地球上の他のさまざまな生物と比べて人類を位置づけるなら、その小賢しい判断力を行使し続けたがために、ひとり至福の宇宙胎内からはじき出されようとしている愚かな支配者ということになるだろうか。
わたしたちは
人間として生まれてきてしまって、
本当に大変です。
(これは幸運なのか不運なのか)
人間としての一生を
神聖なものにする修行はとても辛いです。
人間は、
肉体意識を放棄してやっと
アートマ(不二一元)の原理を
理解することができますが、
実際にそんな人はわたしの聞く限り
お釈迦さまと空海以外いません。
(少なくともさいたまにはひとりもいません)
対して山川草木犬猫毛虫たちはどうでしょう。
彼らは
他我の関係性を客観視できません。
そもそも存在の概念を持ちません。
肉体意識ももちろんありません。
故に、
アートマの原理を理解しています。
あたりまえに。
宇宙の仕組みに従って発現した個体にわたしたちは過ぎず、宇宙の法則(ブラフマン)に生まれながらに突き抜かれたアートマンとして生きているはずなのである、本来は。
だが、自他の認識を得、我執を心王に育ててしまったわたしたち人類は、不二一元の至福世界におけるただひとりの罹病者となり果て、一方、真理を違えた思考を発現させることのない(つまり脳みそがない)山川草木森羅万象馬羊猿鳥は、依然アートマの至福のうちに生成し続けるというわけなのである。
過分な自他意識によって蓄積されてより久しいこの我執なるものをどうにかしないことには「君たちに明日はない
」と神は言う。しかし、神になにを言われようと、かえるくんやみみずくんたちから憐みの視線をどれだけ浴びようと、とんと意に介さず、わたしたちは今この瞬間も無明の銃弾を「明日に向かって撃つ!
」のであった。