ぼくはみみずくん その9 かえるくん東京に現わる | ジャズと密教 傑作選

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空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です

ここにおいて、しかし、この急激な変化を阻止しようとする者が現れる。それはかえるくんだった。かえるくんは悲壮な決意の表情をたたえて我々の前に姿を見せた。

「なにしに来たんだ、かえるくん」わたしは叫んだ。
「理性で折り合いをつけようと思う」彼は真剣な眼差しをわたしに向ける。「ぼくは東京を救うために来た」

こんなところまでやって来て一体なにを言いだすのだろうか。考察の地平が我々とは異なるのだ。
「理性と言ったね、かえるくん。折り合いとも言ったかい」

わたしの投げかけにかえるくんはどう応えるだろうか。かえるくんはなにも言わない。我々の間を隔てるそもそもの前提の大きく異なることに彼は気づいただろうか。

「理性とは」わたしは言う。「折り合いのことに他ならないのではないのかい」
かえるくんは黙ったままだ。理路を自分の土俵の方へ引き寄せていかなくてはならない。かえるくんはそう考えているのかも知れない。わたしは付け加える。「君たちの世界では。あるいはその常識においては」

たぶん、人間社会を代表してかえるくんはここへやって来た。姿かたちは巨大なかえるだが、彼のものの考え方は人間と同じだった。きっと人間社会に寄り添って暮らしてきたのだろう。

わたしはいくつかの例を思い浮かべる。
踏んづけられてチャーリー・パーカーの胃袋に放り込まれたマーマデューク
。わがままな王女によって壁に叩きつけられた名もなきがまがえる。そして、ひろしのTシャツに貼り付いたど根性ガエル。

その辺りを考え合わせると、なぜかえるくんが人間社会の利害の尺度を抱えて我々のところまでやって来たのか分かるような気がした。



※ わざわざ言及するのもなんですが、タイトルの「かえるくん東京に現わる」は1956年度大映映画「宇宙人東京に現わる 」のパロディです。