岡田有希子さんと明菜 | 中森明菜三昧/はとこばのブログ

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昨日、4月8日は岡田有希子さんの命日でした。

 

あれから36年も経つんですね。

そのニュースが飛び込んで来た時には本当に驚きましたが、一方で、「やっぱり…」という気持ちもありました。

少し前から、テレビ画面に写る彼女に異変を感じていたからです。

まだ18歳。

若過ぎる死を多くの人が悼みました。

 

 

岡田有希子さんは明菜と同じ『スター誕生!』出身。

決戦大会では「スローモーション」を歌い合格、夢だった歌手デビューを果たします。

 

小説や漫画に出てくる''可憐な少女''のイメージそのままのルックス。

振付けはちょっとぎこちないけど、歌は上手。

芸能界に入る許可を得るための難関をクリア出来るほど学業も優秀で芯もしっかりしているのに、前へ出るのは苦手で控え目。

アイドルとして愛される要素が詰まったような人だけれど、芸能界を器用に上手く渡っていくタイプではなさそうに見えました。

 

1984年は、不作と言われた前年とは打って変わって、有希子さんの他にも、吉川晃司さん、菊池桃子さん、荻野目洋子さんなど、大型新人が生まれた当たり年。

有希子さんは数多くの新人賞をほぼ総ナメにした後順調にヒットを飛ばすもなかなか1位を獲るまでは至らず、同日デビューの菊池桃子さんに先を越された形になりましたが、ようやく「くちびるNetwork」で1位を獲りこれからという矢先……


あの日、明菜は「ジプシー・クイーン」の音入れを予定していましたが、とても歌える状況ではなく日を改めることになったそうです。

訃報から僅か2日後の「ザ・ベストテン」。

出演者が皆悲しみに包まれる中、言葉少なに黒地に白柄の衣装で「DESIRE -情熱-」を歌った明菜を覚えている方も多いと思います。

 

有希子さんはデビュー年が明菜の2年後輩で歳も2つ下。

動画サイトを観ると、有希子さんが歌う後ろで手拍子しながらずっと一緒に歌を口遊んでいたり、バラエティ番組で奥の方で控え目にしてる有希子さんを連れてカメラに向かい二人でポーズをとったりと、姉が妹を心配しているような感じで仲が良さそうで、それだけにショックも大きかったと思います。

 

明菜は、平成7年の「夕刊フジ」の連載 ''トーク・エッセー ふかしぎ歌姫 中森明菜'' であの頃の気持ちをこう話しています。

 

<今でも、本当にね、私がもうちょっと何か出来たのにと思うと悔しいですよ。有希子ちゃんが亡くなったときは3ヶ月くらい、私は仕事も手につかなかった。…………… 何か言いたいんでしょうって、もっとお節介でも聞いてあげてたらとか言ってみたって、きりがないんですよ。…………… あの時は、ほんとに辛いものがありましたね。>

 

 

有希子さんは生きていたら今年55歳になります。

明菜ファンが「元気でいてくれたらそれでいい」と言うように、有希子さんのファンもたとえ芸能界から離れて''佐藤佳代''としての人生に戻ったとしても生きている彼女の存在を感じていたかったと思います。

 

それは叶いませんでしたが、彼女の遺した作品はファンの生きる支えとなり、また僅か2年間の芸能活動とは思えない鮮烈な輝きは今でも多くの人の心に残り続けているのです。