(ネタバレあり)
ドラマは西暦1004年になります。
時間が数年飛んで髭バージョンになります。

都は大干ばつに襲われていました。

200年ぶりだという帝自らの雨乞いも効果なく、
道長(柄本佑)は引退した安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)に雨乞いを頼みます。
晴明がその代償を求めると、
道長は「私の寿命、10年をやろう」と答えます。
晴明が夜を徹して祈り続けると、雨が降り出しました。
晴明が力尽きて死んでしまったような演出がありましたが、のちにまた出てくるのでここでは死んでいなかったようです。
(この干ばつのため、長保6年(1004年)を改元して寛弘元年とします。
道長の日記『御堂関白記』には、
7月10日 主上(おかみ)が庭でお祈りをされた。
7月11日 昼過ぎから小雨が降りはじめる。雷鳴が聞こえる。
7月14日 晴明が五竜祭を奉仕したところ、雨が降った。被物(かずけもの:絹織物)を賜うこととする。
史実では、清明はこの1年後に亡くなります。)


清涼殿では、一条天皇(塩野瑛久)が、伊周(三浦翔平)隆家(竜星涼)兄弟と定子の思い出を語らい合っています。

隆家は一条天皇と兄・伊周の様子を道長に伝え、道長の信用を得ます。
行成は道長の失脚を図っていると注意します。


まひろは、六日に一度、公任(町田啓太)の妻が主催する勉強会で和歌を教えていました。そこに、あかね(泉里香)がやってきて、好き勝手ふるまい、宮中で話題の『枕草子』は面白くないと言います。
藤原公任(町田啓太)の妻敏子(柳生みゆ)も「『カササギ語り』のほうがはるかに面白うございますよ。」と言います。
(ここで和泉式部(泉里香)の登場です。

この時26歳くらいです。清少納言より12歳程若く、紫式部よりも8歳程若い。

この時にはすでに結婚しており、5,6歳くらいの娘がいたことになっています。

ドラマの1004年は旦那さんは陸奥守となり陸奥国に下向します。

性に奔放な女性で、1004年は冷泉天皇第四皇子の敦道親王と不倫関係にあった時期です。
女優さんの実年齢はファーストサマーウィカさんが一番若く34歳、吉高由里子さんが一番年上で36歳、泉里香さんは35歳です。)


中宮・彰子(見上愛)は17歳になり、内裏の藤壺で亡き定子の子・敦康親王と暮らしています。
一条天皇は息子である敦康親王に会いに来ますが、彰子とは会話がありません。

そんな様子を見て、倫子(黒木華)はある決心をします。
一条天皇と面会のおり、
「どうか主上から中宮様のお目の向く先へとお入りくださいませ。母の命をかけたお願いにございます」と意を決して帝に申し上げます。

道長は、対応を安部晴明に相談すると、今は闇の中にいる状態だがいずれ光がさすと言われます。
「今、あなた様のお心に浮かんでいる人に会いにお行きなさいませ。それこそがあなた様を照らす光にございます。」

道長は、公任(町田啓太)斉信(金田哲)行成(渡辺大知)にも相談します。
行成は、書物の好きな帝のために『枕草子』を超えるおもしろい読み物を用意してはどうかと提案。
すると公任が、妻が開いている和歌を学びの会で話題になっている読み物があり、その書き手が藤原の為時の娘だと話します。

すると、まひろが家に一人でいるとき、突然道長がやってきます。


【カササギとは】
まひろが「カササギが人間の世界で見聞きした出来事を語る」という設定の物語を書いていることになっています。

この時代、カササギとは牽牛と織姫の逢瀬のために銀河に連なり橋をかける鳥のことです。

百人一首にもある、大伴家持の有名な歌
「鵲(かささぎ)の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける」
にあるように、鵲の渡せる橋とは天の川のことです。

源氏物語はこのカササギが人間の世界で見聞きした出来事を語っているということですか?

ところが、源氏物語の第51帖浮舟において、
「寒き洲崎に立てるかささぎの姿も、所からは、いと、をかしう見ゆるに」
という文章があります。

このカササギは、明らかになにか鳥(XXサギ)のように思えます。

しかし、現在カササギといわれる鳥は大陸の鳥で、17世紀以降に日本に輸入されたと言われており、当時日本にはいませんでした。

紫式部はなんの鳥をカササギと言ったのか、それとも別の意味で言ったのかわかっていません。

「光る君へ」の時代を考察する(第二十九回)