(ネタバレあり)
ドラマは西暦1001年から1002年になります。

宣孝(佐々木蔵之介)は娘の賢子と遊びながらまひろ(吉高由里子)に内裏であった話をしています。

ききょう(ファーストサマーウイカ)がまひろを訪ねてきました。
ききょうは、定子の遺児である脩子、媄子の世話をしながら『枕草子』を書いていると話しています。
(実際この時定子の遺児の世話をしていたのは定子の実の妹(道綱の四女)です。この辺の話がドラマでは抜け落ちているので、別途書きます)

ききょうはまひろに読ませるために『枕草子』を持参して、まひろに読ませます。
ききょうはまひろに、道長に騙されてはなりませぬ、恐ろしい人だと言います。

5月。宣孝の本妻から、宣孝が亡くなったと連絡がきます。
時間が経っていた(長保3年(1001年)4月25日に死去)ので、葬式もすでに済んでいました。
(この時紫式部は「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」と詠んでおり、宣孝は火葬にされたことがわかる)

越前での役目を終えた為時に、道長から田鶴(長男頼通)の教育係の依頼がありましたが、これを断ります。
為時には、兼家の間者をして苦悩した過去がありました。

倫子(黒木華)は高価な品々を持って娘・彰子(見上愛)のいる藤壺(後宮)に通い詰めていました。
それでは一条天皇が訪ねにくくなると道長に注意されますが、聞き入れません。
(実際は道長が率先して一条天皇の目を引くような品々をそろえさせた)


詮子(吉田羊)は体調を崩しています。
道長に定子の忘れ形見・敦康親王を彰子に養育させるよう言います。
一条天皇に進言する道長。
こうして敦康親王は 彰子といっしょに藤壺で暮らすことになります。
長保3年(1001年)8月のこと。


10月9日。
土御門殿で詮子の”四十の賀”が執り行われました。詮子の息子・一条天皇がお祝いの言葉を述べます。(四十の賀で行われた内容を1回見ただけで理解できる人はすごい、史実でも次男(母明子)の舞の方が長男(後の頼通:母倫子)よりうまかったそうです)
その時詮子が苦しげにうめき倒れこみます。

詮子は、伊周の恨みを鎮めるため位を戻してやってほしいと道長に頼みます。
道長はこれを聞き入れますが、詮子は亡くなります。
長保3年閏12月22日(1002年2月7日)のことです。享年40。
(このドラマでは詮子の満15歳から39歳までを、実年齢50歳の吉田羊さんが演じました。これができる女優さんは他にいないですね)


まひろは賢子に『竹取物語』を読み聞かせていました。
漢詩を嫌がる賢子も『竹取物語』は楽しんでいるようです。

そこでまひろは自分でも物語を書こうと、筆をとるのでした。


【定子が亡くなった後のもう一つの悲劇】
ドラマではカットされているようです。

ドラマでは、ききょうが定子の遺児の脩子、媄子の世話をしていると言っていました。まんざら嘘ではないかもしれませんが、実際に定子が生んだ3人の子供の世話をしていたのは、定子の実の妹の御匣殿(みくしげどの:実際の名前は不明)道隆の四女です。
たびたび「枕草子」に登場します。

定子は3人目を生む前から、先は長くないと悟っていたふしがあり、辞世の歌もしかりですが、妹の御匣殿に頼んで子供の世話をしてもらっていました。

天皇の衣服などの裁縫をする所を御匣殿といい、定子の妹はそこの別当(女官長)に就任していました。

この御匣殿も姉定子に似たきれいな人だったらしく、定子が亡くなってから、しばらくして一条天皇が手つけてしまい懐妊します。しかし子供が生まれる前の長保4年6月3日(1002年7月15日)に亡くなってしまいます。
定子が亡くなってから1年半後です。享年17または18とされています。

この時も一条天皇はひどく悲しんだと伝わっていますが、お前が一番悪い。

定子のすぐ下の妹原子(道隆の次女で、東宮(後の三条天皇)の后)も、この2か月後に亡くなります。血を吐いて亡くなったとされており、毒を盛られたという説もあります。享年22または23。
道隆の娘3人が立て続けて亡くなります。3人とも母は高階貴子。


【藤原道隆の子供と枕草子の記述】
道隆----妻:高階貴子(?-996)
  |三男:伊周(974-1010)
  |長女:定子(977-1000) - 一条天皇皇后
  |四男:隆家(979-1044)
  |次女:原子(980?-1002) - 三条天皇女御
  |男子:隆円(980-1015) - 延暦寺権大僧都、号:小松僧都
  |三女:頼子? - 冷泉天皇皇子敦道親王妃
   -四女:御匣殿(985?-1002)

  ----妾:藤原守仁の娘(?-988)
    |長男:道頼(971-995) 

  ----妾:不詳
  |次男:頼親(972-1010)

道隆には上記以外に妾3人 3男2女いることになっている。(Wikiより)
高階貴子は979年~980年の2年間に3人の子を産んでいます。

●長男道頼:兼家の養子となるが、枕草子にはイケメンで性格もよかったと書かれている。父道隆の2か月後に亡くなる。
●次男頼親:近衛中将。枕草子には出てこない。
●三男伊周:ドラマの三浦翔平さんと異なり、かなりのデブだったと記されています。枕草子では漢詩を読んでいる姿がよく出てきます。
●四男隆家:性格がよく兄弟の中では一番上手な生き方をします。枕草子ではやんちゃ坊主として出てきます。大鏡では政権をとったら天下をうまく治める人物と評価されています。
●男子隆円:一族の繁栄と加護を祈るために、跡継ぎ以外の子息の一人を僧にすることを慣例にしていた時代で、一族の犠牲になったといえる。枕草子には「僧都の君」として登場します。

男子は次男以外は枕草子に登場します。

女子は全員枕草子に登場します。
原子は「淑景舎」、「中の姫君」として、三女頼子は「三の御前」として登場します。

 

「光る君へ」の時代を考察する(第二十八回)