(ネタバレあり)
ドラマは西暦998年から999年になります。
長徳4年10月1日(西暦998年10月23日)、日食と地震が同じ日に都を襲いました。
為時(岸谷五朗)の屋敷も地震の被害を受けましたが、まひろ(吉高由里子)の夫となった藤原宣孝(佐々木蔵之介)の経済力のおかげですぐに修繕が行われました。
都の死者数は100人を超えました。
安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は道長の問いに
一条天皇の心の乱れが収まれば 天変地異 も収まりますと答えます。
一条天皇(塩野瑛久)はあいかわらず中宮・藤原定子(高畑充希)がいる職御曹司に通い詰めていました。
彰子を一条天皇に入内させれば事態は好転すると晴明は言います。
妻の倫子(黒木華)に娘の彰子を入内させると切り出した道長。
妻からは猛反対され、どうしても彰子を生贄になさるなら、私を殺してからにしてくださいませと言われてしまいます。
内裏では、一条天皇が体調を崩し、譲位を言い出すが、
行成に説き伏せられ、一条天皇は譲位を思いとどまりました 。
この行成の説得は、道長からの命令によるものでした。
道長の進言で「長保」と改元された正月(999年)。
安倍晴明から定子が懐妊したようだと知らされる道長。
道長は敢えて一条天皇に男子が生まれる頃に彰子(見上愛)を入内させようと決め、帝に申し入れをしました。
長保元年(999年)2月9日。入内に先駆けて彰子の裳着(もぎ)の儀式が盛大に行われました。
(彰子は988年生まれなので、この時まだ満10歳であった。その役を見上愛さん23歳が演じている。見方によっては非常に若くも見える)
まひろへの宣孝の足は遠のきます。
宣孝の浮気に怒るまひろ。
お前のそういう可愛げのないところに左大臣様も嫌気がさしたのではないかと言ってしまう宣孝。
まひろは宣孝に香炉の灰を投げつけます。
これ以降、宣孝はますますまひろから足が遠のくことになったのでした。
(史実としてこのようなことがあったかどうか不明だが、夫婦仲が良くなかったことはこの頃の紫式部の和歌でわかる。この年999年に娘が生まれているので、この時には既に懐妊していたと思われる)
まひろは、また石山寺に参詣してみようと思い立ち、いとや乙丸を誘って旅にでます。
久しぶりの石山寺。そこで道長と再会します。
(これは完全に反則ストーリーである。焼けぼっくいに火がつき、娘の父親は道長かもしれないと思わせようとしている。石山寺に参詣した史実は確認できない。大河ドラマの脚本としてはルール違反と思います。)
【平安時代のトイレ事情と遷都との関係】
平安時代トイレというものはありません。
貴族はおまるのようなものにして、それを外に捨てる。
庶民はいわゆる野糞です。しかも平気で道端でやる。
ですから、平安京は糞尿まみれの街だったわけです。
これ以前藤原京、平城京、長岡京など絶えず遷都してきたのは、この公衆衛生の問題が影響していたと言われています。
都が出来て人が増えれば、必然とこの問題が出てきます。
平安京が長く続いたのは、地形的に北から南に傾斜していて、定期的に大水が出て洗い流してくれて、また新しい都を構築するということを繰り返してきたから京の街は長続きしたとも言われています。
糞尿をためて肥料に利用するようになったのは、鎌倉時代の終わりころからと言われています。糞尿を肥料にして農作物を作って都で売るというリサイクルが確立したのは江戸時代になってからです。
通常糞尿は金を払って処理してもらうものですが、江戸時代では売って金になりました。食事内容によって糞尿の買取価格が違ったと言われています。一番高額だったのは江戸城の糞尿だったそうです。江戸城の糞尿は葛西村(今の江戸川区)の農民が独占していたとの記録があります。
このタイミングで次回の放送は休みというのはもっと反則行為である。
