(ネタバレあり)
ドラマは引き続き西暦996年です。

松原客館でまひろの父・藤原為時(岸谷五朗)が宋人達に囲まれています。

宋人のリーダー・朱仁聡(浩歌)と話をすると、宋人達が帰国しないのは船が壊れ、修理を前の国守に頼んだもののできあがらないからだと聞かされます。


浜辺を散歩するまひろは、宋の青年(松下洸平)と出会います。
まひろが名乗ると、相手は木の枝で砂に「周明(チョウミン)」と書きました。

翌日 越前の国府へ発つことになっていた為時たちは、別れの宴に招かれました。
そこでまひろは周明と再会します。


翌日、国府に到着すると、越前介の源光雅、越前大掾の大野国勝らが出迎えます。
贅沢な部屋に官吏たちが居並ぶ様子は、為時とまひろを圧倒します。
さっそく船の修理の件を持ち出しますが、官吏たちはいいかげんな返事ばかり。
さらに賄賂を渡し黙らせようするのを拒否すると、
嫌がらせがはじまり、そのため為時が胃痛に苦しみます。


その姿を見た朱仁聡は、宋の医師(くすし)周明を呼び、鍼治療をします。

朱仁聡は朝廷への献上品をもってきます。

内裏では宋の品々が届けられ、その中にオウムもいます。


国勝は通事の三国が殺されたことを告げ、その犯人が朱仁聡だとして捕らえていきました。

まひろは対応について道長にお伺いを立てますが・・・
越前のことは越前でなんとかせよとの回答。

道長は 妻・源明子(瀧内公美)の住む高松殿を尋ねます。


伊周(三浦翔平)は、母(板谷由夏)が病になり、京に戻ってきます。
ですが、時すでに遅しで母は亡くなります。


道長は、定子(高畑充希)が一条天皇(塩野瑛久)の子を身ごもっていることを知り、懐妊の事実を一条天皇に告げますが、内裏に戻すことは認められないと告げます。

定子は喪服を着ています。

定子が出家したのは996年5月20日。第一子・脩子内親王を出産したのは997年1月27日。
記録では予定の出産から大幅に遅れたとなってますが、出家した時には妊娠していたということになります。

周明は朱仁聡の無罪を訴え出ます。
周明は日本語がぺらぺらでした。日本人だったのでしょうか?


余談ですが、オウムの声は超有名な声優さんがやっています。種﨑敦美さんです。
「SPY×FAMILY」のアーニャ、「葬送のフリーレン」のフリーレン、「薬屋のひとりごと」の玉葉妃などの声優さんです。
「薬屋のひとりごと」の主人公の猫猫(マオマオ)も薬師(くすし)ですが、字はこちらを使っています。


【為時は中国語を話せたのか?】
為時が越前の国司になったのは、宋の言葉を理解できることが理由であった。
第9回放送で為時(岸谷五朗)が花山天皇(本多奏多)に、中国語で自作の漢詩を読み聞かせていました。この漢詩は「本朝麗藻」という平安中期の漢詩集に収められているものです。
今回の放送でも少しだけ中国語を話していました。
このドラマの時代以前の平安時代では大学寮で中国語を教えていたようです。しかし、唐から宋になるころには、中国語も下火になり大学寮は明経道に統合されていったと考えられています。
よってぎりぎり為時は中国語を学んだ可能性はありますが、現実的には筆談を用いて会話したと思います。
有名どころでは、空海は大学寮の出身で中国語を話せたと言われています。


【松原客館】
Wikiによると「平安時代前期の9世紀頃に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるために越前国に設置されたと考えられる迎賓・宿泊施設。現在の福井県敦賀市・気比の松原近辺にあったのではないかといわれているが、考古学的な裏付けはなく、所在地は明らかでない。」とのこと。
藤原道長は貿易を大宰府に限定していたため、宋人たちを越前に設置していた松原客館へ移した。その後大宰府に移されることになる。
渤海とは7世紀から10世紀頃、今の北朝鮮から中国北部を領土とした国です。
韓国ドラマが好きな人であればご存じだと思いますが、大祚榮(テ・ジョヨン)という渤海建国にいたるまでの波乱万丈を描いた超有名な史劇があります。全134話で主演はチェ・スジョンシーです。そのほかではチャン・ヒョクシー主演の「輝くか、狂うか」があります。
「光る君へ」の時代を考察する(第二十一回)