(ネタバレあり)
ドラマは西暦995年のままです。

筑前に赴任していた宣孝(佐々木蔵之介)が4年ぶりに為時(岸谷五朗)の屋敷を訪ねてきます。
宋の話や土産物などに話が咲きます。

内裏では、道綱(上地雄輔)や実資(さねすけ・秋山竜次)らが、
道隆亡き後の次の関白のことを話しています。

一条天皇は、道兼(玉置玲央)を関白とする詔(みことのり)を出します。

しかし、この時、すでに道兼は病に侵されていました。

一条天皇に慶賀奏上をしようとした道兼は、倒れます。
35歳でこの世を去りました。

二条第では、伊周の弟・隆家が、「七日関白」と道兼のことを嘲笑しています。

伊周は次こそ自分が関白だと喜んでいます。

大納言以上の位にある公卿で疫病にならず生き残っているのは、道長、伊周だけとなりました。

詮子は清涼殿を訪れ、関白を伊周に決めた一条天皇に決定をひるがえすよう迫ります。

泣き崩れる母を見た一条天皇は、道長を”内覧”とし、関白の決定を先送りにします。

史実では、その後約20年間摂関不在状態が続きます。

そのことに怒り狂った伊周は、妹の定子に暴言を吐きます。

しかしひと月後、道長は右大臣に昇格します。



【七日関白とは】
長徳元年(995年)
4月10日 道隆亡くなる
4月27日  道兼は関白宣下を受ける
(4月は29日まで)
5月2日  慶賀奏上
5月8日   道兼亡くなる。享年35。
在任期間は11日間だったが、俗に「七日関白」と言われた。
他の説では5月2日に慶賀奏上(天皇に御礼を述べるために関白として初参内)してから7日であったからとも言われる。


【道兼の子供もくずだった】
道兼の次男兼隆。長兄が夭折したため、嫡男として育てられる。
紫式部の娘藤原賢子(大弐三位)を妾とし、一女をもうけるも捨てる。
賢子はその後再婚する。
厩舎人(馬の世話をする従者)を殴殺する事件や藤原実資の下女の家を略奪・破壊したりと問題を起こしている。
寛仁元年(1017年)に敦明親王が皇太子を辞しているが、兼隆が敦明親王を騙した結果によるもので、「天皇・東宮に近づけてはならない一族である」とまで『大鏡』に書かれている。

 

「光る君へ」の時代を考察する(第十七回)