渥美清の「泣いてたまるか」第1~4話 | あきら・ド・クリエ の ブログ

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奥歯の毒入りカプセルを、いつ噛むの?今でしょ!

第1話 「ラッパの善さん」 (1966/04/17放送) 主演:渥美清
 個人的評価(1~5):3
 脚本:野村芳太郎 監督:中川晴之助
 渥美清:小さいタクシー会社の事故処理係。実は蒸発亭主だった。
 左幸子、小山明子、イーデス・ハンソン、坊屋三郎、江幡高志、穂積隆信
 けっこうな出演陣。ほぼ喜劇。内容は大したことないので省略。
 タクシーに轢かれて死んだ外人のボクサーが実は犬だが、高くついた。
 建物があまりにボロくて、見るに堪えないとだけ言っておこう。

第2話 「やじろべえ夫婦」 (1966/04/24放送) 主演:渥美清
 個人的評価(1~5):3
 脚本:桜井康裕、山根優一郎 監督:山際永三
 渥美清:おもちゃ会社の研究室から営業(品物運搬係)へ異動。
 曽我町子、四方晴美、中村是好、森川信、伊志井寛、山際永三、南廣
 今時の若い人には分からないだろうが、なかなかの共演者である。
 渥美と曽我町子が夫婦役っていうのは、なんとも強烈ですな。
 言うまでもないが、渥美の娘役の四方晴美はチャコちゃんだ。
 おもちゃ作りが好きな寝たきりの少年の病名はネフローゼ(症候群)。
 
 ネフローゼ症候群
 病名でなく症状の総称で、幼少の男児の発症がもっとも多いらしい。
 子供の頃に医学辞典を見て、症候群という言葉だけで震え上がったが、
 こいつは難病にも指定されており、原因不明で、ほぼ完治しないという
 冗談でなく相当にやっかいなやつだ。現在の推定患者数は約16,000人。

第3話 「ビフテキ子守唄」 (1966/05/08放送) 主演:渥美清
 個人的評価(1~5):4
 脚本:鈴木尚之、掛札昌裕 監督:佐伯孚治
 渥美清:タクシーの運転手
 京塚昌子、藤村有弘、黒柳徹子、悠木千帆、清川虹子
 これだよ、これ。こういう出だしの話を待ってたんだよ。
 ただ、中盤以降の展開は、まあこんなものかという程度かな。
 トンカツが50円で、安い牛肉が300円、しかもビフテキと来たか。
 問答無用でしゃべり倒す徹子節が炸裂。悠木は写真のみの出演だ。
 渥美が京塚に対して「姉さん何キロくらいあんのかね?」とはヒドイ。
 黒柳徹子は、古くから渥美清と親しかったんだっけかな。
 「夢であいましょう」(NHK)で共演が多かったからだと思うけども。

第4話 「オールセーフ ALL SAFE」 (1966/05/22放送) 主演:渥美清
 個人的評価(1~5):2
 脚本:光畑碩郎、高岡尚平 監督:高橋繁男
 渥美清:プロ野球の審判(主審)
 津島恵子、佐藤英夫、進藤英太郎、高橋とよ、渡辺謙太郎
 口うるさい妻役がなんと津島恵子で、息子役が藤江喜幸だ。
 大洋ホエールズの近藤和彦(背番号26)がゲスト出演している。
 私がよく知る時代の横浜の背番号26と言えば、田代と佐伯ですがね。
 長嶋と同時代に、天秤打法と呼ばれる独特の構えでヒットを量産。
 巨人の松本哲也の構えが、これと似ていると言われているらしい。
 佐藤英夫の名前は記憶にないが、ケンちゃんシリーズのパパ役だ。
 よみうりランドの水中バレエ劇場の映像がバッチリ出てくる。
 第2,3,4話で、石井ふく子の「カミさんと私」の主役陣であった、
 伊志井寛、京塚昌子、高橋とよ、が順番に出演している。
 
 「よみうりランド 水中バレエ劇場」
 (1964.10.5~1997.12.1)
 日本ジャズダンス協会会長:近藤玲子のプロデュースによる。
 出演者は、当然ながら 「近藤玲子水中バレエ団」 の団員。
 舞台挨拶から、ダンサー紹介、解説まで近藤玲子が行っていた。
 よみうりランドが1964.9.24の開園なので、創業時からの定番だった。
 水槽の水深は11m、水量は4,300トン、客席594席でけっこう大きい。
 開業時の演目が浦島太郎もので、当初は「龍宮城」という名称だった。
 浦島と乙姫はホースを咥えて、亀はボンベを背負って、演技をする。
 ホースを咥えれば水中で息ができると、大人でも勘違いしたらしい。
 圧力をあげて送り込まねば、水中では吐くことはできても吸うことは
 できなくなる。水槽の前面を遮っている柱が邪魔というのが第一印象
 だが、これはガラス張りにして屈折を極力抑えて見せる措置らしい。
 緞帳の代わりに水槽の前面に泡を出して開演まで中が見えないように
 していたそうだ。音楽、歌、セリフは録音物を流し、演者が合わせて
 口パクするそうである。呼吸する瞬間は、音は聴こえないそうだ。
 しかも、衣装以外の装具(水中メガネや鼻栓)は一切使用しないらしい。
 1997年末までやってたのか。一度見ておけばよかったかな。
 閉鎖の理由は、客離れもあったろうが、後継者不足もあったようだ。
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