いってらっしゃい あと何回? | Akkoのブログ

Akkoのブログ

毎日の出来事を日記がわりに書いています

7月が誕生日月なんで

7月いっぱいで引退と言っています、ダンナ

今ですら出勤は週1日(あと2日はリモート)

7月は有給消化でほとんど休み


ってことは?

朝ダンナを駅へ送って

いってらっしゃい

って言うのもあと何回かなぁ?


男ばっかりの職場

若い頃は、社員旅行では結構な悪さを

結婚決まってから台湾に◯春旅行に行ったこと

それがバレたら開き直った

結婚より旅行のほうが先に決まっていたとかなんとか

3泊4日の韓国旅行の時

小遣い10万持たせたのに、足りなくて人に借りて(6万くらい?)まで済州島でギャンブルしてきた


20年以上属していた部署がなくなることになって

まったく畑違いの部署に移動になった時には

過敏性大腸症候群のような状態が続きました

現場仕事で2~3週に1度週末しか帰ってこなくて

ワンオペだった時期も大変だったけど

本社勤務になって毎日送り迎えになってからも大変でした

もちろん手当ても何もなくなって収入面でも大変に


新潟地震の時には

毎日終電か、帰ってこられなくて会社に泊まり

終電の時には12時半に帰ってきて

絶対お風呂には入る人なんで

寝るのが1時半

5時半には起きてまた出社

私は送り迎えだけで大半だったけど

その間仕事してるんだからどんだけだったんやろう


大きなプロジェクトの責任者になり

2年間単身赴任する予定で

4月からの準備で3月に行ったら

直後に東日本大震災

この2年の間の手当てで結構老後の蓄えが出来ると思ったのも捕らぬ狸のなんちゃら

計画は頓挫

戻ってきて管理職になり、もう現場に出ることはなくなり

残業代も出なくなり

持ち株はあっという間にダダ下がりで

数百万の損失


それでも命おとしたり、職なくしたりしたわけではないんだから

ずっとずっとありがたい


勧奨退職?一転して次がいないから残れ、とか

とにかく会社都合で翻弄されたこともありました


男の更年期みたいな症状で1年半くらい

ずっと調子悪い調子悪い言われて

聞いてるほうも辛い

でも本人が一番辛いんだろうから、と

なるべく何も言わなかった

そういえばいつの間にか言わなくなった


一歩玄関入ったら、絶対に仕事の愚痴は言わない

どうしてもの時は、送り迎えの車の中で

どう思う?と

ある程度以上の役職は

親会社からの天下り

納得いかないことも多々あったことでしょう


なんだかんだ言って

私はずっと扶養の範囲内のパートで

家も持てて

子どもふたり高校から私立でも

大学も奨学金も借りずに行かせることが出来た

すべてはこの人の働き


家計のことや子育てのことでごちゃごちゃ言われたことは一切なく

今家にいくら貯金があるとかまったく知らない(興味ない?)聞かれたこともない

自分は、野菜の種や苗と肥料くらいにしかお金使わず

大きな病気、入院手術などしたこともなく

私にとってはとてつもなく出来たダンナです


なので

おしっこが近い(ツアー旅行の時大変だった)

トイレが長い

じじぃみたいなデカイ声の咳払い

耳が遠い

などは受け入れなくては


そして

私が純活にハマったり、着物沼にハマったりしなければ

プリウスあと◯台買えたことは黙っておこう




我が家の桜にも葉が出てきました

芍薬

ツツジ


アジサイにも第1花芽発見

ミカンにも花芽がうじゃうじゃ