私の左隣。チーズtheaterプロデュース『海と日傘』 | 拝啓、ステージの神様

拝啓、ステージの神様

ステージには神様がいるらしい。
だったら客席からも呼びかけてみたいな。
観劇の入口に、感激の出口に、表からも裏からもご一緒に楽しんでみませんか。

土曜日の下北沢駅前劇場は満席だった。たぶん増席もされていたはず。
舞台『海と日傘』を観た。

座席は自由席だ。
思い思いの席から埋まっていって、一つ飛びで座っていた席もだんだん埋まっていく。
そのうち係の方が空いている席を案内して、さらに席がどんどん埋まっていった。
新たに椅子が足されたりもしていた。
私の左隣は1席空いていた。
そのうち、1名で来た方が「あちら空いていますのでどうぞ」と言われて埋まると思っていたが、そのまま舞台は始まった。
私の左隣は1席空いたまま。

誰かのための席で、誰かが観に来て座っているのだろうなと
なんとなく思った。
いや、そういう経験は私にはないし、最近身近な人を亡くしたということもない。
でもそんな感じがして、不思議と妙に安らぐ感じもした。
それがあまりにもしっくりくる1時間50分のお芝居だった。

舞台は長崎。
佐伯洋次(奥田努)と佐伯直子(吹越ともみ)の夫婦は縁側のある家に暮らしている。
病を患っている直子は、ザ・九州男児の夫を甲斐甲斐しく世話する妻である。

お隣の瀬戸山剛史(中田春介)、しげ(木村理恵)夫妻は、いかにも気のいい田舎のご近所さん。
ちょっとお節介で、ちょっとあつかましくて、とてもあったかい。

洋次は仕事が長続きしないようだが、小説家として原稿も定期的に書いて発表しているようだ。
妻の直子は、無理をしないでいいと夫の不甲斐なさも受け止めている。無理をしてはいけないのは自分の方なのに。

直子のはかなさには芯があった。
自分の運命を承知しているがゆえの芯のようだ。
でもその芯は決して折れない芯ではない。
ポキッとはいかないけど、突如ぐにゃっと曲がってしまうような感じ。
例えて言うなら蝋燭の芯のような。
ロウが溶けてしまったら、燃えるより前にぐにゃっと曲がってしまうかもしれない感じ。
吹越さんの透明感と体の薄さと、声といろいろがそれを思わせる。

洋次のイライラした感じのリアルさはなんだろう。
妻を愛している。そんなことは当たり前だ。
でもこの状況もわかっている。自分は冷静だ。
ここまでが、こうあろうとしている洋次の姿だ。
でも、それは瞬間瞬間でコントロールできなくなる不安定さを内包している。
冷静であろうとすればするほど、
そして妻が穏やかであればあるほど、
不安定さが顔を出しそうになる。
奥田さんの声量と、絶対の間がそれを見せつける。

物語は、日傘の季節からはじまり、ちょうど今のような季節の時期で終わる。
縁側のある家に憧れたよなと思う。
実家には縁側があったよなとか、おじいちゃん家にはああいう縁側と廊下とガラスの引き戸があったよなと
思った人は少なくないだろう。

いや、今となれば、昔の映画、昭和の初期の映画作品で見たような気がする……みたいな人も多いのかもしれない。

チーズtheaterの田谷野亮さん演じる吉岡の、はしごを昇り降りする動きや、洋次とのやりとりも、
大浦千佳さん演じる幸子の、たくあんをポリポリと鳴らしてご飯を食べる姿も
ちょっとユーモアがあって、ちゃんと普通だ。

ちゃんと普通がこんなに沁みるのはなぜだろう。
舞台が終わって、拍手が止んで、劇場を後にしてふと思った。
今日、私の左隣で観ていた人はどこの誰の、誰かだったのだろうと。


<公演日程>

2023年1月25日(木)~1月29日(日)
下北沢 駅前劇場