簡単に共感なんてさせない『劇団時間制作 迷子』 | 拝啓、ステージの神様

拝啓、ステージの神様

ステージには神様がいるらしい。
だったら客席からも呼びかけてみたいな。
観劇の入口に、感激の出口に、表からも裏からもご一緒に楽しんでみませんか。

劇団時間制作『迷子』を東京芸術劇場 シアターウエストで見た。

観たというより、見た。
見せられたでもいい。

作品のイントロダクションを読んで、これは見たいと思わされたのだ。
見せられたとか、思わされたとか、他力だけど、それが一番合っているし、その選択は間違っていなかった。

誰もが気軽に劇場に足を運べる雰囲気をもがれている今、他力に頼ることも一つの選択なんだよと思う。

舞台には懐かしさを感じさせる台所にダイニングテーブル、ちゃぶ台、テレビもある。
加藤家だ。
家族ぐるみの付き合いをしてきた、芹沢家と葛生家もいる。
◯◯家というが、どの家にも欠けたものがある。
娘、親、日常、平穏、哀しみ、真実、
オープニングから、欠けたものが見えたり、匂ったりした。

観客に簡単に共感などさせてくれない。
そのなんともいえない緊張感を感じ始めていたときに、偶然だが地震が起きた。
すぐに揺れを感じたが、地震なのか、演出なのか、自分のドキドキなのかの判断がつかないほどだった。

娘を亡くした母と亡くさなかった母。
親を亡くした息子と亡くなさなかった息子。
心を傷めた母を目にする娘や息子たち。
誰が一番ツラいとか、誰が一番キツいとか、
言えるわけもない。
思うことさえ許されないような緊張感に、
事実(真実)の粉が振り掛けられて、口の中がジャリジャリしてきた。
粉がついてないところはせめて、少しは甘いのかも、やわらかいのかも……とどこか期待しても、もっと苦かったり、無味だったりして、ジャリジャリは消えない。

火災の原因、その後の裁判がもたらす家族間、知り合い同士のゆがみ。
物語は共感を徹底的に寄せ付けず進んでいく。
寄せ付けないけれど、他人事と言い切れない現実に追い詰められ、涙が出た。

自分がこの登場人物になったとしたら、果たしてどういられるのだろうか。
冷静なつもりが、迷いの中にいた。

そして、やっぱり共感などさせず、安心などさせず、この物語はとりあえずここで終わる。
とりあえずだなんて言ってしまうのは、彼らの未来が明るいわけでもなく、でも絶対の悲劇かどうかもわからないからだ。

zoom慣れした日々で、円滑に進めるために身につけたのは、誰かと声を被らないようにする話し方。
それはリモートの場ではマナーでもあって、それが出来てないとイエローカードを出したりしてしまう。

舞台『迷子』はその真逆といえるほど、会話が重なり、声がかぶり、思いが制御不能になり、距離や強弱が密だ。
それが演劇だし、日常だよなと、今、少しだけホッとしている。
こんな日常だから、演劇を観たいんだし、観るんだよ。
簡単に共感などさせてもらえなくてもね。



〈公演日程〉
2020年11月21日(土)~11月29日(日)
東京芸術劇場 シアターウエスト