15年の月日がたっているのだととても不思議な気持ちになりました。
『天保十二年のシェイクスピア』
このブログは2011年に2005年の感想を引っ張り出して書いたもの。
それをまたまたリブログしてみています。
今回、この舞台を演出したのは、2016年まで蜷川幸雄さんの作品に演出助手として携わっていた藤田俊太郎さんです。
音楽は宮川彰良さん、そしてそして、作は井上ひさしさんです。
第一声は隊長役の木場勝巳さん。2005年も同じ役でした。
木場さんのお声は本当に素敵。個人的に私の好きなお声、5本の指に入っています。
さて、今、私はとてもとても驚いています。
オープニングで歌われるのは「もしもシェイクスピアがいなかったら」という、実に井上ひさしさんらしいユーモアたっぷりの曲です。
で、間違いなくオープニングのこの曲でこの作品の世界にあっという間に連れていかれるのです。
今回もそうでした。
2005年上演の際の音楽は、宇崎竜童さんが手がけられました。
とても印象的で(というのもエンディングでも歌われるということもあり)した。やはりこの曲はテーマソングだからそのまま使われているのだな、と思っていたのです。
しかし、あれ? ん? パンフレットを読み、改めて2005年バージョンの映像を観たら、曲、全然違う。
す、すごい。これはつまり、今作の完成度の高さであり、この作品・この歌詞の魅力であり、力であり、役者さんたちの声であり、なのだと。
(この際、私の記憶力の低下は横に置いておいてください)
この感動に震えながら、先日観た作品を振り返ります。
佐渡の三世次を演じるのは高橋一生さん。かなりの曲者、かなり屈折した男で、「リチャード三世」を思わせます。
三人娘のお文(樹里咲穂)、お里(土井ケイト)、お光(唯月ふうか)の関係やエピソードには、「リア王」。
二人の姉がよだれ牛の紋太(阿部裕)と小見川の花平(玉置孝匡)の二派に分かれるのは、モンタギュー家とキャピュレット家の「ロミオとジュリエット」。
お冬(熊谷彩春)は、オフィーリアで「ハムレット」。
そして、きじるしの王次(浦井健治)は、ハムレットだし、ロミオだし……とまあ、こんな感じで、シェイクスピア作品の登場人物と場面が、もりもりに盛り込まれているのです。
全作品を網羅しているそうなので、到底書ききれません。
オープニングの「♪もしもシェイクスピアがいなかったら」のおしまいには、
「もしもシェイクスピアがいなかったら、これから始まるはずのこのお芝居もここでおしまいさ」
と歌われますが、本当にそうで、
もしもシェイクスピアがいなかったら、このお芝居は生まれていなくて、こんなにシェイクスピア作品をもっと知っていたら・・・と日本人に思わせることはなかったろうし、駄洒落って結局粋だよね、なんて思わなかったろうな。
ちなみに、この曲の途中で、「もしもシェイクスピアがいなかったら、バンシュタインはウェストサイドをとても作曲できなかっただろう」という歌詞とそのあとにあのメロディーが続くのだけれど、
きじるしの王次を演じた浦井健治さんが、ただいま豊洲のIHIシアターで絶賛上演中の「ウエストサイド・ストーリー」の次のシーズン、Season3に主演するという流れは、ファンでない人もニヤリとしてしまうおまけみたいな事実です。絶対見たいぞ、Season3。
最近は、ドラマでも「考察」というのが流行っていますね。
いや、流行っているというか、むしろそういう見方ははるか昔から存在したに違いありません。
でも、あえて流行っているということにも乗っかって、この祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」も考察を楽しめる作品だと書いてしまいましょう。
まずはパンフレットを熟読して……。
で、いつもはそんなにしない、ハッシュタグ検索をしちゃうのもいいかも。