2011.4.14
本当に嵐のように過ぎた3日間でした。
葬祭は予定ができないので、ほんとうに大変です。
まあ今回は主人一人奮闘しましたが・・・・
7年前の義母の葬儀記録をきちんと残していたので、それを参考にしたそうです。
義母と同じ位で決めたそうです。
少し高くてもいいのに・・と思いましたが、何事も自分で判断できない人ですから
同じくらいというのが決める基準です。
我が家の近くで葬儀などもしたかったのですが、義父の遺言だそうです。
久留米でしてくれと・・・
でも93歳の葬儀というのは寂しいものですね
義父はとても義理がたい人でしたので、友人、知人の冠婚葬祭はよほどのことがない限り
参列していました。
私も何度送り迎えをしたことか
でも本人のときはもうどなたも残っておられないんです
みんなに先立たれ、最後に残るのは辛いものですね
こういう集まりはとても好きだったので、きっと”これだけかね・・・”と言っておられるかな
通夜にはどなたも友人が来られなかったので、家族、親戚だけでした。
家族といっても息子2人と嫁の私
孫の次女、私の母と弟が神戸から
東京から義父の甥、姪の方が2人
それと知人の方が2人という
総勢11名でした。もう主人たちも会社を辞めているので、そういう関係もまったくありませんし・・
「家族葬」でいいんじゃないという私の意見でしたが、主人がそういうわけにいかんやろと
生前義父が残していた名簿の方々に連絡したそうです。
その中で何人かの方がすでに亡くなっておられて、やはり家族だけで済ませましたので
お知らせしませんでしたと言われたらしいです。
最近は増えているそうです。この家族葬が
主人も”僕はそれでいいわ”と言いました
私は悪いけど家族葬は嫌よ
友人葬にしてもらうように頼んであるから・・・・
自分たちの死の旅立ちを真剣に考えなければいけない年齢になりました。
葬儀には俳句のお仲間の方が何人かきてくださり、みなさん自分の足元もあやういのに
わざわざ来てくださり、入り口に飾ってあった俳句や俳画をながめて、泣いてくださいました。
良かったです。きっと義父も喜んでいるでしょう
私、義父の死を聞いたときも涙はでませんでした。
棺に入った顔を見たとき、少しウルッとしましたが、泣けなかったんです。
冷たいのでしょうか・・・
最後の闘病の苦しさも知っていただけに、これ以上の辛さや痛さはもう十分じゃないですか
ほっとしました
”よく頑張られましたね・・・。やっとお義母さんが呼びにきてくれましたね”と声をかけました
でも孫である娘2人が”おじいちゃん、がんばったね。ありがとうね。”と涙を流し
棺にそれぞれの家族の写真を入れていました。
孫をとてもかわいがってくれた義父です。
その二人に優しく見送られて、やっぱり喜んでくれたと思います。
最後の初七日の法要はとうとう家族だけの5人でしたが、気もつかわず
心がこもっていたのではないでしょうか
孫たちはそれぞれ松江、福岡とそれぞれの生活に戻っていきました。
ありがとう、あなたたちがいてくれたのが一番嬉しかったです。